20150405:伝説になった男
月夜に自転車で空を飛んだり。
着物と刀と満開の桜の下の死体だったり
新宿の伝言板にXYZの伝言だったり。
口伝え、フィクション、都市伝説。有り得ないとされるもの。
それがファンタジーってもんだろう?
この男は真面目な顔してそんな言葉をほざいてみせる。
くたびれた学生服に、トレイの横には参考書。現役真っ盛りの受験生に突入したばかりだってのに、コイツの頭の中身こそがファンタジーだ。
「溜息つくな」
「……幸せが逃げるってのか?」
「その通り」
僕には時間が逃げ行く方が深刻で。ポテトに手を伸ばしながらも単語帳へと目を落とす。
三年最初の模試は明後日。どうにか上位クラスに入り、人気の講師にありつきたい。
「信じろとは言わないがな」
ずずいとヤツはコーヒーをすする。あちと最後に呟いた。
「物語の中だけの存在になりたいと思ってる」
真顔だった。
再びコーヒーを啜る。音が届く。
パイの最後の一切れを口の中へと放り込み。はふはふ魚みたいに口パクさせて。
僕が買ったポテトへ手を伸ばし、三本同時につまみやがって。
「……馬鹿じゃねーの」
ようやく僕は声を出した。
「どうかな?」
勝ち誇った笑みを漏らして、コイツは椅子から立ち上がった。
参考書を乱暴に閉じ、鞄の中へと突っ込んでいく。僕は慌ててポテトの残りを口の中へと放り込む。
「ことだまって考え方がある」
トレイを持ち、僕へとにやりと振り返る。ようやく荷物をまとめた僕へ。
「言った分だけ。音になった分だけ。言葉は力を持つんだぜ」
……高校三年になったばかりとも思えぬ発言を放り投げた。
*
月夜の自転車は特殊撮影。
着物と刀と満開の桜の下は、どこかの文豪の小説だったか。
XYZを書こうにも、伝言板なんてありゃしない。
受験生の身空の夢は、就職進学、社会に出ることと決まってる。現実から出てどうするって言う気なんだか。
*
「生方、どうしたよ」
そんな声が聞こえ始めたのは一学期も期末試験が近くなった頃だった。
なんとなく香るミント系のスッキリした匂いに鼻をひくつかせながら、僕はうすらを顔を上げた。
「しらん」
どうしたと聞かれても、僕だって知らない。中学が同じ。高校に入って以来、三年間クラスも一緒。帰宅部同士、何となくつるむことは多かったけど。
電話をしあうわけでもない。一緒にやっていたゲームは、すっかり飽きて放置しっぱなし。アイツがログインしてるかどうかも確認してない。ログインしろと怒られたわけでもない。……怒られても、今なら勉強しろと言い返すけど。
怒られた?
僕は参考書から顔を上げた。すっかり夏色の陽射しが、冷房の風を押してここまで届いてくる。
そういえば、いつから、怒られてない?
アイツが、纏わり付かなくなったのは?
*
夏休みに入る前には、教師が家に行っただとか、警察が動いているとか、そんな噂が流れ始めた。
とはいえ、俺達は受験生の身空である。秋に差し掛かる今頃、人の事ばかり心配などしていられない。
英語、数学、化学に、物理。国語は必要最低限。なんでだか流行ってる香りをかぎながら、団扇仰ぎつつ、あいまあいまにニュースも見る。新聞も読む。小論文対策っていうやつだ。
最近の流行は違法ドラッグ。法律の抜け穴、対策の難しさなんて法学部向けの内容から、記憶がなくなるやら凶暴性が増すのやら、危険を訴えるご家庭向けの内容まで。
お次のトピックスは宗教がらみのいざこざと。政治経済、あれやこれや。面倒くさいね。世の中は。
気分転換に学会雑誌なんてのを開いてみる。こんな内容知ってても受験には全く役立たないけど、最新の研究記事は僕にやる気をくれるわけで。
──伝説の作り方。
妙な記事に目を止めた。
*
認識とは意識である。
意識したこと認めたことのみが事実であり、意識されない事は真実であれ事実では無い。
意識されない事により起こされた事実は、それ故、事実でありながら過去との連続性を持たない。
そのような連続性を持たない事物であっても、それ単体で存在する事は有り得ない。
必ず成した者がいるはずであり、しかしそれは意識されない者である。
それは、ファンタジーと呼ばれ、伝説と呼ばれる。
*
──哲学か?
思いつつ読み進める。
やがて論文は脳内物質へ辿り着いた。
*
さて諸君、糖分補給は如何だろうか。
脳は糖の最大消費器官である。適度に甘い物でも取りながらこの続きを読んで欲しい。
脳は糖分によって機能するわけだが、数々のドラッグを見てもわかるように脳内物質によって働きを変え、人へ様々な作用をもたらす。
人為的に作成した脳へ作用する物質が、即ちドラッグである。
ドラッグの効能は遥か古代から知られている。
数々の宗教的な解脱体験にはドラッグの媒介が重要とされる。言わばトリップ状態で見る夢というわけだ。
このことについての是非はここでは問わないが、重要なのは、トリップ中の夢であれ、事実とされるという現象である。
(略)
逆を言うならば、知覚されないこともまた、ドラッグにより再現可能と考えられる。
*
学会誌を閉じ、僕はベットへ寝転がる。
随分怪しい論文を載せた者だと思いながら、何か心に引っかかる。
学会誌の、参考書の、栞に使った紙から、ミントのような香りが漂って。
……そういえば、最近は何処へ行ってもこの匂いだなとぼんやりぼんやり、思い出す。
*
多分、初めはテレビ番組かなにかだった。
『集中力を高める』だとかが謳われて。『副作用は無い』と諭されて。
それはハーブの一種でアリ。古代から使われてきた香りであり。合成に成功したと伝えられ。
母さんたちや担任や塾がものは試しと使い始めて。
成績は上がった。クラス全体で上がったから、順位は変わらなかったけど。
テストの平均点があがって。標準偏差が狭くなって。
文部省が驚いて。
……それが初夏の頃の話だ。
アイツはどう思うだろう?
無意識にスマホを取る。惰性のままにロックを解除、通話ボタンへ指をかけ。
──アイツって、誰だ?
僕は思わず、動きを止めた。
*
十一月も終わりに差し掛かる頃には、北風の合間に受験対策だとか、お守りだとか、叫ばれるようになった。
そろそろ受験勉強もおさらい、復習がメインになって。ますますニュースはかかせなくなった。
最近のトレンドは『奇跡』だった。朝一番、朝飯を求めてダイニングに入っていけば、『おはようワールド』の女性キャスターが挨拶する。次に聞こえてくるのは、昨日の不可解な事件だ。
──ひき逃げが起き、半日後に犯人が出頭した。しかし、犯人は、何故出頭したのか記憶が無い。
──宝石店に泥棒が入ったらしい。らしい、なのは、気付けば犯人らしき男と宝石が、入り口の横で伸びていたから。
──トンネルの事故。大事故にはならなかったが、事故を起こした本人すら、炎上する車の中にはおらず、その後、トンネルの外で発見された。
SFかファンタジーか。論文対策には不要だが……Curiosity killed I. ちがう。ここは目的格だから、Curiosity killed me. いや、そもそもこれはことわざで……。
「お前は猫だ」
そうか。the catか。
念のためにと辞書を開く。Curiosity killed the cat. 好奇心は身を滅ぼす。……いやまて、滅ぼしてどうする。僕。
「ほんとに認識しないんだなぁ」
吹き込んだ風に一度震えて窓を見る。……おかしい。開けたつもりはないのに。
窓を閉めて。エアコンの温度を上げる。もちろん、部屋の上部扇風機は回っている。
すっかり馴染んだミント系の芳香剤が部屋を回る。
部屋を回る。
「……言っただろ。オレ、伝説になるって」
がらりと音がして、見れば窓が開いていた。
……おかしい。僕はノイローゼにでもなったのか。
再び窓をしっかり閉じて、カーテンを閉めてデスクに戻る。
買った覚えのない、芳香剤が山ほど。ノートの上に置かれていた。
見覚えのない文字と共に。
──お前の人生、好きに生きろ。
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