20150220:ゲーム世界の彼女の面影
重蔵は女の腕をしかと握った。女は痛みなどまるで感じないようにふわりと笑んだ。
CGだとは信じられないほどに優美で繊細な微笑みだった。かちゃりと鎧が鳴った気がした。重蔵の手は知らず緩んだ。
「重蔵様。目指す街は草原を越えた先にあります。草原には少々悪戯をする獣がおりますの。剣の使い方はご存じ?」
女は掴まれたことなど無かったようにさらさらと言葉を繰る。いやと重蔵は気の抜けた返事を返した。
実際、女は腕を掴まれた事などみじんも気にしてはいないだろう。いや、気にするようなパラメーターを持っていないというべきか。
──AIというのはこういうことか。
女は否定の言葉ににこりと笑む。それでは見ていてくださいねと、自らの得物を構えて見せた。重蔵は慌てて、女の指導に従い、構える。
飛び出してきた巨大なネズミを、女の指導で叩き切る。ネズミは血を散らすこと無く光となって宙に溶けた。
重蔵はそれを……オンラインゲームが初めてであるかのように、ただ口をあけ、目を瞬いて見送った。
「さぁ、参りましょう」
女は促すように手を差し出してくる。
重蔵は思わず目を細めた。女の笑顔に確かな既視感を覚え、目を細める。
僅かに浮かぶ頬のえくぼ。ほんの少し細くなるその両目。綺麗なアーチを描く眉。小さくは無いが整った形で存在を主張する鼻。実に細やかに再現された高く結い上げた髪に、うなじに零れる僅かな後れ毛。
年を感じさせないなめらかな肌はCGならではの補修というか、省略というか。
記憶よりも若く美しくはあるけれど。
重蔵の口が僅かに開き、音を持たずに閉じられた。
──初音、さん……。
重蔵を迎えたAIは、初恋の人とうり二つだった。
*
「イニティは良い出来だよな」
語るのはエースと名乗る斧遣いだった。
最初の女……イニティの役目は初心者を酒場まで誘導すること。その間にチュートリアルを済ませること。重蔵のようなオンラインゲーム初心者に武器の使い方を教え、アイテムの使い方を教え、基礎知識を身につけさせるのが役目なのだとエースは語る。
「良い出来、なのか」
「大体、最初に出てくるのはもっと事務的で冷たいのが多いんだけどな」
イニティはあれだから、とエースは続ける。
「初心者にも優しい。惚れ込んじまう奴もいるくらい。だからこのゲームは初心者が多い」
おたくもだろと言われれば、重蔵に言葉はなかった。
「ま、最初なんてどうでも良いもんさ。本番はこれからだ」
おまち! 云われて運ばれてきたジョッキをエースは高く掲げる。促され、重蔵も合わせて掲げる。
エースは筋骨たくましい男のアバターで歴戦の勇者を思わせる傷だらけの顔に笑みを浮かべていた。重蔵からすればひょろ青くしか見えない外見で、重蔵も笑む。
「よろしくな、相棒!」
がちりとジョッキが鳴らされた。
*
エースとは馬が合った。……という言い方をすると、古くさいんだなと返された。
少しばかり先にゲームをかじっていたエースに先導されるように重蔵はクエストをこなしていった。
ちょっとばかり鈍くさいと云われ、別れ際に夜が早いとからかわれ、ついでに言葉遣いもと。
言われる度に重蔵は苦笑する。
──もう以前の私じゃないはずなのにな。
それでも旅を進めれば、それなりに重蔵にも要領が判ってくる。
鈍くさいと言われることも減り、言葉遣いはそういうもんだと了解された。
「でさ、重蔵は何が目的なん?」
化け蛙を倒した後で、ふとエースは聞いてきた。どういう意味かと顔を上げれば、首を傾げてきょとんと重蔵を見返してきた。
「レベル上げに熱心にも思えないし、チャレンジクエストをやるわけでも無い。課金はそれなりにしてるっぽいけど、ストーリーを追うでも無い」
重蔵は言葉につまった。目を泳がせて言葉を探す。
クエストをこなすのは単純に面白かった。ストーリーは今時過ぎて、実はちょっと理解し切れてない。チャレンジクエストはめまぐるしすぎて、一度の挑戦で懲りていた。
目的は。……そのためにはどうすれば良いのか、重蔵自身、分かっていない。
「……イニティとは一緒に旅が出来ないものか」
きょとんとエースは目を瞬く。最初に言ったけどと、暫く経って口を開いた。
「イニティは導入用のAIだから、クエストはしないよ」
「そうなんだが」
なんと説明すれば良いのか。
現実の重蔵は、困り果て頭をがしがしとかいた。動きを読み取るゲーム専用リーダーが、画面の中の、ひょろ長い青年に同じ動作をさせていた。
つっと手のひらに痛みが走って、重蔵は溜息をつく。エースがさらに首を傾げたのが、見えた。
「もしかして、ゲームじゃないのか?」
そうかもしれない。重蔵は痛みの走った手をじっと見る。手のひらの半ばに古傷が一つ走っていた。
握って、開く。まだ、疼く。
「……ぱらぱらを知っておるか」
「ぱらぱら?」
聞き返すエースは見た目に反してかなり若いと思っていた。おそらく学生。下手をすれば中学生と言うことも有り得そうだ。
ほんの一時流行ったダンス。ぱらぱらなど知らなくても無理はないと重蔵は思う。
「ぱらぱらのな、動画が流行ったんだ」
仲間内で冗談半分に作った動画が思った以上の再生回数を稼いだ。
踊った仲間内で唯一の女性の初音はアイドル的存在となり、動画を撮った本人は映像会社へ引き抜かれていった。
重蔵はたまたま、そのヒットした映像の内容にも撮影にも関わってはいなかった。……手のひらに大きな怪我をして、何も出来ずにいたからだ。
「……なにそれ、重蔵の思い出ってやつ? 初音ってのは恋人?」
「憧れでは、あったよ。初音も、初音の思い人もな……」
重蔵は空を見上げる。木々の隙間から見える空は現実かと見まごうほども高く、青く。空を覆う枝葉は細密で、風にそよそよと揺れている。木漏れ日も下草に落ちる影も、現実かと見まごうほど。
エースを見やれば頬に走る古傷のディテールは見事な物で、何度かバトルを繰り返した鎧の傷具合、斧の刃こぼれ、具足への泥の付き方、どれも実物であるかのように感じられる。
「なんだよ。取られたの」
「そうじゃないよ。初音もまた、片恋だったからね」
重蔵は思い出す。
映像を撮った寝屋川は、そのまま映像の世界に入り、やがてリアルCGを生み出す事に熱中した。結婚は無かった。仕事が伴侶と言い換えてもいい男だった。
「いっそ叶わぬ恋ならば、とね。彼女は奴の視界にあり続けることを願ったのさ」
草を蹴り上げ、どうと寝転ぶ。ちぎれた草が風に浚われ流れていく。葉と葉の隙間、空を見ながら、右手を掲げる。腕時計のようにプレイヤーに一人一人に付けられた、小さなバンドを。
「チュートリアル」
唱えて触れれば、イニティがふわりと現れる。
新しい武器の習得に、呪文の解説に、彼女は呼べば現れる。
「重蔵、あんた……このゲームを『見た』かった?」
「そうかも、しらんな」
重蔵を、呼び出したプレイヤーを見て、微笑みかける。彼女と同じ、けれど、空疎な、その瞳で。
「…………って、ちょっと待って、このシステム作ったってのってさぁ」
じりりりと現実の重蔵の耳に目覚ましのアラームが響いてきた。まてとエースを手で制し、重蔵はよいせと……要らぬかけ声で身を起こす。
「時間だ。悪いな。続きはまた……」
右手に触れる。選ぶコマンドはログアウト。
「あ、ねぇ、待ってよ、重蔵……さん!」
「明日があればな」
しゅんと耳元で音を聞いた気がする。
重蔵はぎしりと軋んだ背筋を伸ばし、深く深く溜息をつく。
ぱっと灯りが点き、顔を上げて目を瞬く。
「おじいちゃん、ゲームおわりました?」
「……今日も、ありがとう。明日も、頼むよ」
叶わぬ恋に身を投じ、自信の全てをゲームに捧げた彼女に逢いに行くために。
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