20150110:夢見る恋定義

「恋をする理由とは、何だと思う」

 千ページの哲学書持って笑顔で振り返られて。俺にどう答えろと。

 しかも、精一杯爽やかな……眼鏡の奥を不気味にゆがめ、夜道で出会ったら通報されかねない相貌で。

「さてね?」

 お医者様でも草津の湯でも、治せないのが恋の病。そんな病に理由があれば特効薬だって発明済みだろ。

 チチチ、ナンセーンス。ってもちろん無視する。何処の何のつもりだか知らないが、学会ではやるなよ、白けるから。

「生存競争の形の一つだとは思わないか? 執着だよ」

 まぁ、そんな説もあるよな。おざなりに頷いておく。恋より俺は論文の締め切りの方に執着したい。

「雨の音を聞きながら。明け方の街を臨みながら。冬遊びの手を一つ止め。赤いストーブ沸く薬缶。僕は君専用の膝枕を用意する」

 歌うように書庫の間を行き来する。

 随分……文学的、と言っておこう。ちょっと鳥肌を感じないでもないのはご愛敬だ。

 ここにいるのは今は二人。俺と、コイツ。他にいないから……まぁ、良いか。

「柔らかな手触り。軽やかな擦音。深淵を覗かせる思考。理解を拒むその展開。僕の思いを受け止め逸らせ、語り続ける君の言葉」

 ほんの少し、俺は椅子を端に寄せる。奴から少しばかり距離を取る。

 後二冊、確認すれば。後二冊、ノルマをこなせば。……その二冊は禁帯出だ。

 奴は向こうの書棚のその影で、分厚い書を抱えたまま、くるりと回ってさえいるようだ。

 あぁ、そうか。

 腑に落ちて。どうでも良くなり、時折伺うように投げられる視線に溜息。

 面倒くさい君だとは、知っていたさ、最初から。

「恋したと、言いたい?」

「そうなんだ! それを何度言えば信じてくれるかと冷や冷やしていたんだが」

 信じるも信じないも。ある意味信じたくはないが。

「これは恋なんだ。そうとしか僕にはもう、思えない!」

 へいへい、勝手にやってくれ。

 ページを捲る。目次をざっと斜め読み。次の本。最後の本。伸ばした手が。

 掴まれた。

「常に手元に置き、いつまでも居たいと思う様なんだ。僕のこの気持ちは満たされることは有り得ない。三省堂国語辞典要約」

 あんだよ?

 見上げてみれば眼鏡があった。細い目がじっとこちらを。

 ……にらみ返すのが、礼儀だよな?

「精神的な一体感を分かち合いたい。出来るなら肉体的な一体感も得たい。やるせない思いに駆られることもある。新明解国語辞典抜粋」

 逸らしてこない。夢見るような表情は消え、俺だけをじっと見つめてくる。

 こつり。書が置かれた。

 ……教授様。締め切りを他の研究室より三日ばっかり早く言ってきた教授様。今頃ご自宅でぬくぬくとバーボンでも飲んでいらっしゃる教授様。

 逃げちゃ、ダメですか、ね?

「辞書に状態は書かれていても、理由は書かれていない。だから僕は執着と定義した」

 ぐらりと傾いだ上体に、とっさに出た手は……果たして正解だったのか。

 頭のどこかで危険を知りつつ受け止めて。

 コイツ、こんなに軽かったか?

「……あぁ、悪い。ちょっと目眩だ」

 間近で見れば、落ちくぼんだ眼下に充血した目。深い隈。外は雪かという季節にどこか漂う獣臭。

 ちょっと待て。

「今日は十日、だよな?」

 眼鏡の奥で、目をぱちくり。考えるように視線を巡らせ、奴は再び書を抱く。

 重いハズの書を。

「いつだっていいさ。僕は今、日付などに囚われないこの気持ちを」

 思い出せ。俺が来たのは今日の……日付が変わった。昨日の朝方。コイツはその時すでに居た。

 違和感を感じ無かったか? 俺以上に切羽詰まったコイツのこと、それもあるかと納得したのは。……昨日と同じシャツの柄。

 待て。昨日と同じは同じだ。そう。昨日と、一昨日と、その……。

「なぁ……論文、進んでるか?」

 ぐるん。ふらつく足でダンスを踊るかのごとく。その顔には、笑み。

「もちろんさ。僕は僕の思いを込めたラブレターを」

 彼女に。

 ──確かに、そう。

 奴は哲学書を目の前に持ち上げる。プルプルと腕が震えている。

 溜息。椅子を立つ。三歩近寄り、奴の目の前。

 哲学書を掴み、息を吸い。

「幻覚なんか見てんじゃねえっっっっ!」

「は……」

 書を引っぺがし、腰を掴む。蚊の鳴くほどの抵抗なんぞ効くものか。

 腰をで担いでドアへと向かい。

「恋でも愛でも愛しい哲学書の逢瀬でも、なんでも付き合ってやるからその前に」

 開ければ研究室。くたびれたソファ、どこか臭う気がする毛布。追いやり押し付け、最後に吠えた。

「八時間以上起きてくるな!」


 白昼夢に人を巻き込むな!

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