20141229:記録できない授業
「アカツキさん。寒いです」
「最近のは軟弱だねー」
ひっつめ団子頭に綿入れを着込んで、アカツキ女史はガハハと笑う。笑いながら鍋をひっかき火の通り具合を確かめる。鶏肉がまだ赤い。
僕は布団の中へ手を突っ込む。足は温かいけれど、分厚い上着は必需品。
風の音が雨戸を叩く。混じる木擦れは屋敷森の。そう遠くない水の音は、屋敷の横の水路のものだ。
慣れない音。冷たい空気。知らない空間。……僕の気持ちも知らないで。
「火鉢を沢山置いたらどうですかね」
「燃えるだろ」
皿よこせ。目線で言われて渋々手を出す。うぅ。やっぱり寒い。鍋底をちょろちょろ撫でるカセットコンロの青い火がこんなに暖かいなんて。
女史は寒さなんて感じてないかのごとく、ひょいひょいと手を動かす。豆腐。肉。にんじん、白滝、あ、ネギは止めて、入れないで。
「日本の家屋は木造が基本だ。火は相性が悪い」
たんまりとネギの入った取り皿に、つい、溜息。
僕の事なんて気にもしない女史は、自分の皿には白滝を山盛りに。……そんなに白滝好きなんですか。
「じゃぁ、囲炉裏は」
日本家屋には囲炉裏が付きものと教科書には書いてあった。こたつだって、そもそも囲炉裏の上に櫓を組んで布団かけたモノ、だったはず。
「囲炉裏は必需品なんだよ」
それくらい勉強しておけ。言いつつ女史は先を続ける。
「囲炉裏で煮炊きすることで天井の強度が増すんだよ」
湿気と温度と木材と。防虫性に防水性。
だから、絶対に必要だと。
女史は取り皿をつつく。白滝をふーふーしながら口へ運ぶ。含んで噛んで飲み込んで、食べる合間に授業する。
夏に来たときは蚊帳で寝た。窓を開けたまま、寝苦しい夜をしのぐために。
日本家屋を知るためにはと再び連れて来られた今は、掘り炬燵を体験中。
夏は蒸し、冬は寒い。夏の風通しを実現するためには、気密性は捨てねばならず、かといって、木造に火は大敵。
だから、局所のみを暖める。
「合理的」
むふりと緩んだ笑顔は、実に実に嬉しそう。
「実際、君は寒いと言うけどね。下半身を温めるのはそう悪い話じゃない」
箸でリズムを取りつつ僕を見る。
「人の身体ってもんは、足で温まった血液で手先まで温まる」
確かに女史の細い指先は、体温に近い温度をしている。
「どうしても冷えやすい肩のために、綿入れや半天の文化が生まれたんだろう」
言いつつ女史は綿入れを脱ぐ。ぬぐ?
おやと視点をずらしてみれば、女史の横には一升瓶。水と思ったグラスを女史はくいと傾ける。
「鍋と来れば甘い誘惑。地場ものだよ」
君もやるかい? なんて掲げないでくださいね。
「飲めませんよ」
「……その図体で?」
傾げた首の角度は深く。酔い初めの兆候。ちょっと危険。
「成人設定ではありますが」
水、取りに行った方が良いだろうか。
水があるのは台所。台所に行くには炬燵を出て。でて。
……出る? この、寒い空気の中へ?
「魔力に捕まったなー?」
にまー。女史の口は最大の笑みを形作る。目はとろけ、ついでに首もとろけそうに傾いでいる。
「成人設定だろうが、酒も飲めないんじゃあ、まるで赤子だ」
そんなんじゃ、日本家屋を知る事にはならんよ、って大きなお世話です。
「次は分解酵素をインストールしてきます。それでいいんでしょう」
勢いづいたまま思い切って足を引き抜く。うぅ、寒い。暖まった体液は確かに体中を巡っているけど。僕の血圧と体脂肪率……体温保持力では保って精々十分ってところ。
水を取ってくるくらい、二分もあれば済むけれど。
火の落ちた土間を横切り、冷たい水をコップに注ぎ。戻るまでの僅かな間に、女史は船漕ぎモードにさしかかり。
「アカツキさん、少し薄めてください」
差し出した水をうろんに見上げ、何も言わずにひったくった。
やれやれ。外は寒い。炬燵が恋しい。
自分の場所へと回り込もうとした僕の手は、むんずと熱い手に掴まれた。
「勉強は進んでる?」
炬燵に入りたい、のに。
「進んでますよ。それが」
色々な国の気候、気候に基づく暮らし、考え方、知恵。考えて動く、人というもの。受け継がれて出来る、習慣。民族というカテゴリー。
教えてくれたのはあなただ。
「……どうかな」
腕が引かれた。女史の顔が近くなる。
どこか甘い女史の香り。ぷんと漂うアルコールの匂い。
ふわりと微笑む、滅多に見ないのぼせた女史に。
──見とれた、わけ、じゃ……。
「いっ!?」
頭が捕まった。薄い胸に押し付けられる。乱暴な手が僕の頭をかき回す。
「ちょ、アカ……」
「なんで酒も飲めない成人なんかなぁ!?」
痛いです、寒いです、炬燵に入りたいです、苦しいです!
「いつもはガキ設定のボディのくせに!」
「しょーがないでしょ、教授が選……」
どうにか抜け出し上げた顔。口が口にふさがれ、て。
息、が。
「……ガキか猫って言ったのに」
今度は、座布団に押し付けられた。上気した顔の……すっかりできあがったアカツキ女史は。
「炬燵なら、猫だろ。最悪でも普段通りと思ったのに。なんだよ、こんなアタシ好みのボディにしやがって、あのオヤジ」
「アカツキ、さん、何……を」
真剣な目が迫ってくる。
こんな時の対応は? メモリチップを端から端まで総検索。どこにも人間の女性のあしらい方なんて記録はなくて。
僕は……。
「どうすれば良いんでしょうか」
「……今夜だけはあんたを……ヒトの男と思わせてちょうだい」
メモリに記録出来ない授業が、始まった。
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