20141207:古楽器音色模造の後で

 旧家の蔵から発見された古びた楽器は、古文書の中に登場する楽器に酷似していた。

 琵琶のような弦楽器で、人の声より多彩な音色をもち、金糸雀のように繊細に歌うのだという。

 祭祀の中で用いたとあり、爪弾き役は巫女だったとされる。

 嵐の最中にも陽射しを呼び、雪の中でも花を咲かせたと良い伝わる。


 聞いてみたいと思うのが研究者という生き物だ。

 しかしながら、問題がない訳では無く。


「弾くなんてもってのほかです」

 当然でしょうと保管庫の管理人は胸を張る。

「複製で我慢しろ」

 担当教授は取り合ってもくれない。

「ストラディヴァリウスの複製であの音色が再現できますか!?」

「お前は聞き分けられるのか?」

 ……ぐうの音も出なかった。


 貴重な物なのだ。

 偽書論争まっただ中の古文書を立証するシロモノなのだ。しかも古く劣化が進み、弦の振動に耐えられないことも考えられる。


 どうする。

 保管庫の監視カメラを目の前に、私は腕組み考える。


 やはり複製か。

 ……却下だ。分析の結果はじき出された素材は、すでに絶滅した糸杉のものだ。素材が違えば音色は変わる。それでは私が欲しいものではない。

 盗むか。

 出来ないことではない。管理人は酒に弱い。夜に忍び込めば、思うよりたやすいだろう。

 しかし、破壊の可能性は。劣化も音に関係する。期待する音も手に入らず、破壊もされたでは望みが絶たれる。

 では。


「試してみればいいんだろ」

 坂井はラボ備え付けのみかん籠から無造作に一つつかみ取り、モニタの前で剥き始める。

 パラメータは試し放題。破壊の懸念もなく、きわめて安全。コレなら堅物教授も文句言うまい。

 白い筋を神経質に取りながら独り言のように続けると、最後に私を見上げにやりと笑んだ。

 ミカンを頬張る。咀嚼の音がラボに響く。

 僅かに眉をひそめる私へ片眉を上げて見せると、カチリと弾くようにキーを叩いた。

 初めは何の変化もなかった。時折木枯らしが窓を叩く。

 やがてこの冬最初の雪のように、シンとした、しかし確かに優しい音が耳に届いた。

 ……音だと思った。しかし、旋律があり、繰り返しがあり。

 曲なのだと判った。

 にまり、坂井は深く、笑む。

「24bitの音はどう?」

 特定の楽器の音を用いない、テクノと呼ばれる分野の音楽だった……のはずだった。

 しかし、耳に突き刺さるような鋭利な音も、鼓膜を揺するような重低音の振動も、氷を叩くような硬い音色もそこにはなかった。

 柔らかい。オペラを聴くように響いていく。

 可聴域を超える音をも再現できるという彼の作品が……静かに私を誘っている。

 複製より、窃盗より、ずっと甘美で困難な道。

 ──シミュレーション。

「……のった」

 乗り出す私に坂井は満足そうに頷いた。


 材質をさらに細かく調べる。密度、厚さ、細胞同士の結びつき。そこから導き出される固有振動数。

 絲についても同様だ。素材はなにか。張り具合は。太さ、伸縮、強度、エトセトラ、エトセトラ。

 調査だけに数年を要した。

 坂井は助手から助教になり、私はオーバードクターを続けている。最初は面白がっていた同僚たちは、ある者は移籍し、ある者は卒業し、ある者はリタイアして去って行った。

 付き合ってくれるのは、自身の研究とも重なる坂井、ただ一人だ。

 そう、これはもはや私の酔狂でしかなかった。


「なんでそんなに拘るわけ」

 私の専門は民俗学である。もちろん、オーバードクターとして籍を置く以上、本職もきちんとこなしている。けれど、職は得られていない。

 ……もちろん、理由はコレだ。

 ミカンをひとつ手に取った。暫くもてあそび、爪を立てる。

 僅かに弾ける感触と共に、柑橘の甘い香りが広がった。

 一房を口に放り込む。咀嚼し、飲み込む。

「わからない」

 発見された時。埃を被り、今にも解体しそうなそれを見たとき。

 強烈に音色を知りたいと思ったのだ。

 出来れば戸外、茜色に滲む視界の中で。陽の光を正面から受けて。やがて月光とかがり火の揺れる光へ変わる時に。

 手に取りたいと思ったのだ。優しく吸い付くような触感を。つま弾く弦の振動を。


 単なる興味、と、今でも思っては、いる。

 単なる伊達で、酔狂なのだ、と。


「……ま、俺は、伊達も酔狂も嫌いじゃないけどね」

 坂井は軽やかにキーを叩く。

 工学部の後輩を脅してすかして解析させた数値を打ち込む。

 最後の入力が終わり、ENTERボタンが有効になる。

「今度はお気に召すかね?」

 ミカンの房をはがす手が止まった。


 風の音だった。

 水のせせらぎだった。

 木の葉が呻っていた。

 石が転がっていた。

 雪が降っていた。

 嵐がやってきた。

 雲が流れた。

 月が囁いた。

 太陽が歌い出した。

 歓喜があった。

 悲哀があった。

 慟哭が混じった。

 懇願が押し寄せた。


 人々の暮らしがあり。

 神へと向けた言葉を紡ぐ。


 紡ぐのは私。

 宙へ届けと弾きならす。


 ──届いていますか。

 ──人の声が届いていますか。

 ──神よ。

 ──我らの願い奉ります。


 冷たい手が触れ、私は瞬く。

 茜色の草原は消え、私は研究室のただ中に、いた。

「さかい……?」

「涙、どうにかしろ」

 ……泣いていたことに、それで、気付いた。


「この辺りで良さそうだな」

 ハンカチを目に当てる私など視界に入らないとでも言うように、坂井は続ける。

「ソフトとデータ、やるから自分のとこで聞けば良い」

 差し出されたUSBを素直に受け取る。

 坂井は返す手でミカンを掴んだ。

「……聞かないのか?」

 ふて腐れたような声だったことに……自分で驚いた。

 坂井はぷつりとミカンに爪を立てると豪快に剥き始める。

 剥く。白い筋を取る。念入りに。つるつるになるまで。

「……お前は、研究の新たなとっかかりを手に入れた」

 とっかかり?

 怪訝な顔した私に、一房寄越してきた。

「俺には判らん事が起きたのかもしれんが……研究者なら、それを形にすることを考えろ」

 形に。

 二度、三度。

 瞬きした私は、差し出されたミカンを取った。

「そうだね」


 古文書は真書であると。

 あの風景が本物であると。

 ──証明できるのは、私だけ。


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