20141122:バグ・コマンド
1.コップに水を張りましょう。
2.満月をその水に映します。月のパワーを充填させましょう。
3.一気に飲み干します。
これであなたに月のパワーが宿ります。
くしゃみを一つ思わずしながら、懐中電灯下の雑誌を嘗めるように読む。
目の前にはコップ。空には満月。コップの中の水の上にも。
手順は完璧。後はコレを飲み干して。
「なにやってんの」
ぱっと庭が見え、月が消えた。月の代わりに蛍光灯。
「あーっ」
「……これで完璧、月の美貌をあなたのものに?」
振り返るまでもない。
蛍光灯の明かりが遮られ、今度はコップに影が落ちる。
「なーさん。理科って、知ってる?」
見上げれば、ムカつくほど整った顔立ちが見下ろしてくる。冷え冷えと、絶対零度にも近い視線で。
信吾は。一つ違いの弟は。
これ以上無いほど馬鹿にした目付きで雑誌を取り上げ、放り投げた。
「映るってのは反射。エネルギーもなにもないだろ」
「……それくらい知ってるわ!」
「なんでそんな機能つけたんだかねぇ」
はいはいと肩をすくめて、奴は軽い足取りで風呂場へと去って行く。
残された私はと言えば。
コップを手に取りしばし眺め。
結局一気飲みを敢行した。
僅かでもいい、女子力アップに期待をかけたのだ。
シャンプー、リンスは香りの良いものを。
着るモノはジャージと決まってはいたけれど、柔軟剤は香り付き。
少しでも良い香りを。少しでも可愛い仕草を。
彼に少しでも女の子らしく映るように。
「七海さん、ほら」
染みいるような彼の声に頷く。操り人形にでもなってしまったかのように、示されるままのぞき込む。彼の胸が肩に触れ、私の手に指先が重なった。
視界には満天の星。けれど、私の気持ちはそこにはなくて。
「どう?」
「うん……綺麗」
ついしてしまうのは生返事だ。耳元に囁く声が身体の中まで響いてきて。
天の川もオリオンもポルックスも何もかも。詰め込まれた知識の一つも出てこなくて。
つんと目の奥が痛くなる。
心臓が止まりそうなほどに、幸福で、残酷で。
「じゃ、次は……ちょっとごめんね」
私が離れて、入れ替わる。望遠鏡を操作する。
十一月の風は妙に冷たくて。
彼の体温が離れて余計に……寒くて。
「そろそろあがるぞー」
無情な先生の声が響き渡る。
あぁ、神様。
この夜を少しだけ、長くしてください。
もう少しだけ、彼の温度を感じていられたら、と。
「もう終わりか。また、来月ね」
彼の手が肩に残した僅かな感触と、彼の笑みを心に焼き付け、私は。
頷くことは出来なかった。
また、来月。
言葉をもらっても、あとのまつりだ。
私は可愛い女の子だったろうか。彼の中に刻まれたろうか。
思いながら私は飛行機タラップに足をかける。
見上げた空は快晴。また一機、大空へと飛行機が駆け上がっていく。
今頃は三時間目の授業中だろう。
この飛行機は、教室の窓から見えるだろうか。
突然の転出話に、みんな、彼は、どんな反応をしただろう。
「なーさん、ほら」
「わかってるわよ」
足を段へ。目の前には分厚い扉。
「そんなに未練たらたらなら、行かなきゃいいじゃん」
扉の中へ踏み込みかけて。弟へと振りかえる。
奴は私より数歩下がった位置で。無表情に見上げていた。
「……そういうわけにもいかないでしょう」
転出は決まった事。それは義務にも等しい。彼が引き留めてくれたなら、私には別の道もあったのかもしれない。
けれど。可能性も何もかも。あとのまつり、だ。
いや、最初から、そんなものもなかったのかも知れない。
「なーさんが望むなら……」
そう、これは決定なんだ。頑張って彼の中に残っても。女子力が本当にアップしていたとしても。それが全てそう判断されたんだから。
障害<バグ>だと。
「望んでどうなるの」
計算されつくされた、整いすぎた信吾の顔が歪んでいく。
あれはそう、悔しい顔。言いたいことが伝わらない、言いたいことが上手く言葉にならない。もどかしくて、悔しくて、自分自身が許せない。そんな。
「なーさんは、なーさんで、あれはバグなんかじゃ」
「決めたのは、お父様よ」
完璧な『人』である『弟』と『人らしい』不完全さを供えた私。世間への影響と、私たち自身の変化をデータとして蓄積し、『次』を作る。
バグだと判断されたから。私は。私たちは人格改造<メンテナンス>に回される。
この扉を潜ったら。記憶は無いが、記録はある。八人目の『私』は消えるのだ。
「なーさん」
『完璧』の設計はすばらしいと、こんな時でさえ思う。
綺麗な滴が信吾の滑らかな頬を伝い、落ちた。
「バグはアイツの声の方で、なーさんは何も悪くないんだ」
彼の持つ声の波長が私たちの特殊入力コマンドに近いのだと。信吾は語る。
……そうだったとして。事実は変わらない。
「僕は『完璧』じゃない」
手を引かれた。
僅かにかがみ込む私。一歩踏み出した信吾。
一人目からずっと、と、囁く声が。
「愛したのは君だけだから」
唇が重なり。
「証明しよう。八人目のなーさんに、バグなんてないってこと」
思わず頷いてしまったのは。
多分きっと。
新たなバグで、コマンドが上書きされたから。
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