20140913:信号機淡恋話

「おじさんの馬鹿!」


 信号機として世の中に出て、日々を真面目に生きていた。

 タイマーに従い色を変え、道路の整流に努めてきた。

 舌打ちされるのはしょっちゅうで、たまに無視されてしまったりもするが、概ね順調に来たようにおもう。働きぶりがよかったのか、はたまた単なる偶然か、事故は一度も起きたことがなく、従って、生けられては枯れていくという花にも縁がなかった。


 口内炎が出来たらしいと感じたのはいつだっただろうか。

 信号機が口内炎というのもおかしな話だが、人にたとえるとそうとしか言えそうにない。気が付くと、エネルギーである交流電流に滞りを感じることがあったのだ。

 まるで、口内炎が出来、モノをかみ砕くのに躊躇する瞬間があるように。

 電流は『食いだめ』が出来ない。『食いだめ』が出来る信号も風の噂ではあるらしいが、こんな田舎道に突っ立ち、夜の九時には黄色点灯に変わるような自分には縁のない機能で。

 従って、『口内炎』は信号機の点灯にも影響した。


「こんの信号機も古いけんなぁ」

「変圧器が鳥にやられてるっぺ」

 あるとき、いつものお務めを粛々と熟していると、見慣れた配電作業員のおじさん二人が上ってきた。精一杯伸ばし続けた両手、張られた電線の付け根を見ている。

 そうそこは、ちょうど『口内炎』を感じる位置で。

「検査にとめっぺ」

「あいよ。手旗持ってきてるき」

 ……え?

 おじさんたちの会話はどこまでも軽かった。

 青から黄色、そして赤へ。

 タイマー通り色を変えようとしたその瞬間。

 ――やめろ!

「ほい、な」

 声が届くはずも、なく。

 道ばたの単なるでか物に、なりはてた。

「んじゃまぁー、工事すっか」

 おじさん一人が腕へ工具を突き立てる。

 もう一人は車が通りかかる度、手旗で進行を指示する。

 信号がないなら、手旗があっぺ。

 そんな声が聞こえる気がする。


 タイマーは交流電流によらない内臓電源式だった。

 だから、信号を変えられないというのに、時間だけはわかっていた。

 いつの間にか陽が傾き、影が長く伸びはじめた。雨の気配もなく、いつもなら、みんな上を見て信号を見てくれる、そんな天気だったのに。

 みんなが見るのは、おじさんの旗、だ。

「あれ?」

 見慣れた女子高生が友達とのおしゃべりを辞めてふと見上げた。目が合った。……逸らせるモノなら、逸らしたかった。色のない、信号機、なんて……。

「わたんのけ? 今くるまさおらんけん、わたっちまいな」

「信号機、お休みなんですか?」

 やすみだってー! 女子高生達がきゃらきゃらと笑う。声が支柱に滲みて、反響する。

「修理だっぺな。すぐ直っよ」

「あ……そうですか」

 友人達にからかわれて、顔を真っ赤にしたあの子はぺこりとおじさん達に頭を下げ、きゃらきゃら笑う友人達について去って行く。

 最後に一度振り返り。……再び目が合った。


 女子高生はこの近所に住んでいるらしかった。

 幼い彼女は母親に手を引かれ、何度も横断歩道を渡った。信号を見上げ、時には手を振り、見る間に成長した。

 持っている鞄が黄色の斜めがけから真っ赤なランドセルに変わり、手提げの革カバンになった。

 毎日見上げ、車の有無を確認し、安心したように道をわたっていった。


 そんな彼女を見守り続けた。見守ることしか、出来なかった。

 僕は信号機で。仕事を放り出すなんてことが出来るはずもなくて。

「もちっとだなぁ」

「あいよー」

 でも、今は。

 少しだけなら、仕事を忘れても、良いのかも知れない。


 電線を伝い、意識だけで彼女を追う。まるで飛ぶように、彼女の後ろ姿を見つける。さらりと揺れる肩までの髪を、両手で鞄を持つ様を。少しばかりつんのめるように歩く癖を。

 やがて一人の友達と別れ、二人になった。信号のない十字路を折れ、田んぼの中の道を行く。

 ふと、きゃらきゃら笑う中で、言葉が飛び込んできた。……その時だけ、周波数が合ってしまったかのように。

「恋って、どんなものなのかな」

 ――恋。

 ぱっと火花を散らせてしまった。

 音に気付き、火花に気付いた二人は電線を見上げ、またきゃらきゃらと笑い合う。

「気にするってことはぁ、やっぱり、先輩?」

「え、そんなんじゃ……」

 きゃらきゃらと笑い合う。

 その背中が遠くなる。

 飛ばした意識を元に戻す。ばちんと音を立てて、交流電流が戻ってきた。

 赤。一分を刻んで、青。二分経過で黄色。五秒数えて、また赤へ。

「よさそだな」

「おつかれだなー」

 おじさん達の声がする。

 口内炎はすっかり消えて無くなった。


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<お題>


小説の最初を『○○の馬鹿!』で始める。

口内炎

信号機

飛ぶ

恋とはどんなものかしら

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