20140801:理想彼女とリアル弁当

 君と満月の夜に手を繋げたらどんなにかいいだろう。

 君はきっと腰まで届くくせのない髪をさらりとなびかせて、ぼくのほんの少し前を歩く。風に煽られた眺めのスカートが形の良い足に絡み、君はちょっと困ったように裾を押さえる。

 後を歩く僕には花のような香りが届く。香水のような強い香りでも、洗剤のような色気のない香りでもない。きっと君自身の香りだ。

 顔を上げた君は右手で乱れた髪をかき上げる。ほんの少しだけ見えた横顔がどこかに溶けて消えてしまいそうで、僕は思わず左手を握る。

「あ……」

 ぴくりと手の中で君の細い手が震える。

 漏れたの声は君の。少しだけ驚いたような。けれどどこか安心したような。

 僕の手のひらの中、もぞりと動いて、けれど離れず。

 指を絡めて、収まるんだ。


 ──そういう未来はどう。

 僕は白い画面に浮かび上がる文字を目で追い、ついにEnterを押した。

 お手紙マークがくるりくるりと画面を回り、『送信できました』のメッセージが現れる。

 無音。いや。

 じぃぃっとバックグラウンドに流れるノイズは彼女と僕を繋ぐマシンの駆動音。さらに遠く、開け放った窓の向こうから、国道を走り抜ける幾台ものバイクの音や、車のエンジン音。

 深夜と呼ばれる時間帯は静かで。アニメか馬鹿ドラマか映画かショッピングしかやっていない映像コンテンツににも興味が湧かず。

 仕事という文字がちらりと頭をかすめたけれど、一度眼を閉じ、かすめなかったことにした。

 上司の意見に同意を返すだけの、お局のご機嫌取りを常に考える、そのくせ、バグが出ようモノなら真っ先に矢面に立たされ、飲み込みの悪い後輩に一から十まで手取り足取り教えてやり、生産性が悪いくせに文句と注文ばかりやたらと覆い下請けの世話をする……そんな仕事(にちじょう)よりよっぽど彼女の方が大事に決まっている。

 僕はじっと画面を見つめる。

 彼女の返信は早い。よほどのネット中毒者なのだろう。ただタイプに必要な程度の時間でいつもすぐに返ってくる。

 時計を見る。送信して、五分。

 今頃、返事を懸命に打ち込んでいる頃だろうか。


 彼女との出会いは間違いメールだった。

『旅行、楽しかったね。次は海に行きたいな』

 身に覚えのないメールだった。

 女性らしい言葉遣いの、キラキラした文面だった。

 面食らった僕は、二度、三度と瞬きし。間違いだとようやく気付いた。

 ──どなたかとお間違えでは?

 返した僕のメールに、十分と経たずに返事が来た。

『ごめんなさい! アナタのメールアドレスが友人のモノと似ていたの』

 そうだよね。画面を凝視した僕の口から、安堵と失望の溜息が漏れる。

 そして、メールは、もう少しだけ続いていた。

『丁寧に返信してくれてありがとうございました。変な縁ですが、メル友になって下さいませんか?』

 職場に行けば人ならざるわがままモノ(ファイルサーバー)のお守りをやらされ、電車の中では女性に近寄らないように苦心し、帰りにいつも寄るスーパーの地下では、モノに向けるような視線でレジ対応をされる当時の僕に、その言葉は夢の彼方に響く楽曲のようなものに見えた。


 ……しかし、結局返信が届いたのは三時間も過ぎた後のことだった。

『ごめんなさい。今、バイトを掛け持ちしていて忙しいの』

 彼女の文面はまず謝罪から始まった。そして。

『よかったら、このURLでメッセージ登録してくれないかな。こっちなら、仕事中でも確認できるの』

 それは登録を必要とするサイトだった。広告を表示させたり、強制的にCMを見させたりしない代わりに、。システム管理料として、幾ばくかの金銭を要求するサイトだった。

 500円。昼食一回。

 僕は迷わず登録した。昼食一回で、彼女とまた、メールが出来なら。


 日中は僕の方の都合もあり、リアルタイムの文通とは行かなかった。

 昼休み、倹約とダイエットを兼ねてサプリメントをかじりながら、あのサイトを閲覧する。『嬉しい!』と彼女からの返信。

『今度、仕事で沖縄に行くことになったの。みんなの前でエイサーを踊るんだよ。遼平君にも、いつかどこかで見てもらいたいな』

 ──僕も見てみたいな。乃々ちゃんのエイサー踊り。

 そんなたわいもない会話が何よりも嬉しい。

「佐野さん、それ、あれじゃないっすか?」

 突然の声に、ついしかめっ面を向けてしまった。

 三度同じ説明をしてもまだ聞き返す、飲み込みの悪さは天下一品の新人が、俺のスマホの画面を覗いていた。

 画面をオフ。仕事用PCの待機を解除。

「関係ないだろ」

 昼休みはまだあったけれど、彼女とのメールを見られるより仕事する方がよっぽどマシだ。

「関係無くないじゃないッスか。先輩、俺の先輩だし? 出会い系って奴ッスよね。貢いでも貢いでも会ってくれないで、最後はぷちんと消えてさようならって」

 俺、先輩が哀しそうなの見たくないッスよ-。などと大声で宣う。

 無視だ無視。

 中断したテキストを呼び出し、推敲(レビュー)を始める。読み始めて二行目で誤字。三行目で論理の飛躍。十行目でロジックの破綻。

 ……イライラする。

 かたん。音がする。

 横目で見れば、後輩が、つまらなさそうに自席に座る所だった。


 言われなくても気付いている。

 おぼれるほど馬鹿じゃない。

 これが出会い系ってやつで。僕は彼女を繋ぎ止める為だけにこれだけのリソースを割いているんだってことくらい。

 でもな。計算してみれば簡単なんだ。

 俺はまだ、月に500円。もう少し進んでも月に精々5000円って所だろう。

 月に5000円。ちょっと金のかかる趣味を持つ奴なら、月に万の金額を使うことだってあるだろう。

 月に5000。それだけで、僕は疑似彼女と疑似恋愛が出来るのだ。


「サプリメントばっかりじゃ、身体壊すんじゃないスか?」

 確かに席は近いが、それにしても、だ。

 翌日は昼休みに入るなり早々に、奴はそう声をかけてきた。

 ……余計なお世話だ。

「俺、弁当作ってきましょっか。弁当屋でバイトしてたんで、一通り何でもいけるッスよ」

 ほら。

 押しつけるようにされて、いやいや横目でチラ見した弁当は。

 白いご飯の上、そぼろが半分かかり。二段目には焼き魚に卵、サラダにフルーツ。

 二度見するほどに、見事だった。

「食欲そそるっしょ? カロリーもちゃんと考えてるんス」

 にひひ。どうです。美味しそうでしょう?

 ……つられて頷きかけ、ほっといてくれと、背を向ける。

 料理下手の母さんにも作ってもらった経験などなくて。

「ねぇ、先輩、んじゃ、これはどうですか?」

 肩を何度も叩かれて。叩かれて。

 無視をするのも面倒で。

 手で払っても繰り返され。

「うるさ……」

 いい加減にしろと言いかけた僕の口が。

「嫌いだなんて、そんなこと、お願いだから言わないでください」

 席に戻った奴は、もう、無言で、弁当を豪快に食い始めていた。


 サプリメントをコーヒーで流し込む。

 噎せた口元を、感触をぬぐい取るように、何度も何度も、手の甲で。

 拭った。


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<お題>

 サプリメント

 手を繋ぐ

 嫌いだなんてそんな

 繋ぎ止める

 満月の夜に

 いつかどこか

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