20140727:幻影のティンカーベル

「街を飛び回るピーターパンが見てみたいの」

 まだ幼い従姉妹は、病室の壁を走り抜けるピーターでは満足出来なかったらしい。お星様より、ピーターが良い。……プラネタリウムより、プロジェクションマッピング。病室の中ではなく、街の中で。そうやってさんざん駄々をこねたサツキは、くしゅんくしゅんと細い身体をくの字に折って、大儀そうに咳き込んだ。


 *


「出来ますかね」

「って聞かれてもナァ」

 就職浪人が確定したばかりの先輩は椅子の背もたれをぎしりと軋ませ、薄汚い天井を仰ぐ。薄く息をついた俺は、窓の外へ目を向ける。

 外にあるのはうらぶれた大都会。無計画にたてられたビルが所狭しと林立する下町・スラム。コレを全て測量しマッピングするのは無謀と言えると僕も思う。……だからこそ、先輩の知恵を借りたいのだが。

「プロジェクションマッピングじゃぁ、ピーターパンが飛ぶのはビルの表面ってコトになんぞ」

 ……え?

「それよりもっと野心的にいかんかね?」

 にやりと黄色い歯を見せて笑む。

 誘惑の甘い果実は高い場所。そんな歌詞の調子っぱずれの鼻歌を歌いながら、先輩はがさごそとパソコン脇の書類棚を漁りだした。ようやくぴっぱり出してきたのは立体映像コンクールのチラシだった。賞金額は100万円。学生向けのコンクールとしてはなかなか美味しい額だ。

 金より、な。

「優勝すりゃ、就職に使えるべ?」

 目は、マジだった。


 *


 一発逆転、狙うは優勝ただ一つ。センスなど皆無。技術しか無い俺達の限界に挑むと大風呂敷。

 それでも、先輩はやる気だった。

「ピーターパンを街の宙に飛ばせてやるんだ」

 奇跡が必要。タイミングも必要。けれど、昨今のお天気事情なら、絶望する必要は無いはずだ。

 そうメンバーを説き伏せて半信半疑のまま始めた作業は、モノが決まればあとはただ作るだけで。

 どうにか形になったのが昨日。おそらく何度と無い、試験もテストも有り得ない本番を待つばかりになったのが、今日。

 レーダーサイトを睨む僕は、昼を少し過ぎる頃、サツキの外出許可を取り付けた。


 僕とサツキはグラウンドに待機。二桁に上る数の投影機を設置するために、先輩も他の面子も慌てて街中を駆け回る。僕の担当は映像の記録。サツキは『ついでの観客』の位置づけだ。

 けふっけふ。咳き込むサツキにカーディガンを掛けてやった。

「あのね、おくすり、飲み忘れちゃったの」

 上目遣いで見るサツキに、僕はちょっと苦笑い。

「……終わったらすぐに戻ろうな」

 はぁい。つまらなそうに、呟いた。


「どうだ」

 先輩は、戻ってくるなり開口一番、ぶっきらぼうに様子を聞いた。

 サツキの、ではない。そんな細かい気遣いが出来る人じゃない。

 いけそうな気がします、僕は一つ確かに頷いた。

「あ」

 ふいにサツキが背筋を伸ばす。ぱらりぱらりと戻ってきた幾人かが、何かに気付いたように一方を見る。

 遥か北西の彼方を。

 一陣の風が吹きぬける。少し冷えてしめった風は。

 確かに雷鳴を乗せていた。

「いいか」

 珍しく背筋を伸ばした先輩がいきなり声を張り上げた。

 サツキを除く全員が、その声に慌てて表情を引き締める。

「レーダー測量で50mで開始だ。以降は測量値に合わせてプログラムを動かす」

「A班OK」

「B班、OKって言ってます」

「測量班、準備完了」

「記録班、問題ありません」

 僕は手元のカメラのスイッチを入れる。記録班は記録が仕事。容量は十分。早めに記録を開始する。

「本番一発、絶対しくじるんじゃないぞ!」

 おお! 声が重なった。


 ゲリラ豪雨は時として雨でスクリーンを作る。

 そのスクリーンを使って、プロジェクションマッピングをするというのが、先輩の計画だ。ビルより凹凸が少なく、少ないカメラで行うことが出来る。ただし、タイミングを選べない。

 水がスクリーンだから、題材に使用したピーターパンは文字通り『宙を飛ぶ』というわけだ。


 稲光と雷鳴の間隔が徐々に狭まってくる。

 前方から吹き付ける風は冷たさを増し、サツキは上着を胸元でかき合わせた。

「60、59……」

 読み上げの声はレーザーによる距離測定値。

 いよいよ、だ。


「スタート!」

 声に反応し、ABC班それぞれが投影機を操作する。

「あ……」

 浮かび上がるピーターパン。飛び回るティンカーベル。わずか3分のネバーランド。

「……よし」

 プログラムの通りに、映像は進む。測量値はリアルタイムで各班のパソコンに転送され、パソコンは画像角度を調整する。

 僕の手元のカメラにも、見事な映像が映っている。

「ティンク!」

「サツキちゃん!?」

 慌てて伸ばした僕の手をすり抜けて、サツキは椅子を飛び降りた。

 僕が椅子を回り込むその一瞬で、豪雨の中へと駆けていく。

「サツキちゃん、濡れちゃうよ!」

「ピーター! ティンク! あたしを連れてって!」

「サツキちゃん!」

 雨が迫る。境界線(スクリーン)が目の前に。

 思わず顔を庇った僕の前で、サツキはためらいもなく境界線(スクリーン)へと飛び込んだ。

 一瞬で濡れそぼった彼女の細く小さい背中が、一度だけ僕を振り返った。

「サツキー!」

 振り向きかけた横顔。すぐにピーターパンを追うように戻した彼女の表情は、僕が知らない、見たことのない……女の子の顔だった。


 後一歩。伸ばした僕の手は宙をかいた。

 映像のクライマックスは大空へ飛び立っていくティンカーベル。

 スクリーンの奥に入り込んでいるはずのずぶ濡れの僕の手から、光の粒をばらまくように確かに彼女は飛び立って行った。



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<お題>


 豪雨カーテン

 境界線へと飛び込もう

 知らない、見ない表情を

 誘惑の果実

 毎食後の薬

 プラネタリウム

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