20140719:小麦粉-チョコレート戦争

 こんにちはチョコレート。さようならチョコレート。


 君を僕の手の中に深く深く沈めるために、僕は今、国境の長いトンネルを越えようとしている。

 ガタンゴトンと揺れる列車が、僕を君の元へと連れて行く。

 甘い本音と甘い嘘をお得意のチョコレートでコーティングして。

 君へと確かに手渡すために。


 こんにちはチョコレート。さようならチョコレート。

 列車が滑り込むホームには、色とりどりのチョコレートの市民が並ぶ。

 賑やかに色づけされたホワイトチョコが歓迎のダンスを繰り広げる。


 気付いているよね、茶番だと。

 分かっているよね、後戻りなど出来ないと。


 今、夢と嘘のパレードが始まる。


 *


 会談は終始和やかに進みながら、完全に決裂していた。

 彼等が望むのは我ら野焼き加減であるものの、我らは完全に日が通らなくてはならない宿命。

 我らが望むのはより我らに寄り添う形という曖昧な者であるにもかかわらず、カカオと砂糖とミルクと秘伝の香料の生存バランスが崩れるとして突っぱねた。

 議論は完全に平行線を辿っていた。

 そして一日目を終えた。


「分かってるな、”ホットケーキ”。カカオだけであれば我々はいかようにも料理出来る」

「もちろんだ、プレーンクッキー」

 無造作にナイフを投げる。刺さった先には一枚の写真。

 ちくりと痛む心のどこかを俺は無理矢理押さえ込む。

 写真の中央には遠目にぼやけた女の姿。ココア色の髪、堅めを眼帯で覆い隠したやたらと肌の白い女……生チョコレート。

「あいつさえいなくなれば」

 憎々しげなプレーンの声を背中に聞く。無意識に腕に仕込んだナイフを確かめながら、夜の敵地へ踏み出しだ。


「覚えていてくれたのね」

「そっちこそ」

 からんと軽い音を立てる。女の手の中にはモーツアルト。

 女の手が差し出してくるカクテルは、淡いクリーム色のエッグノッグ。……タマゴは俺の大好物だ。

 十数年。それだけの時が経っていてさえ、店の中は変わらなかった。元から少し古びたカウンターは、飴色に磨きがかかっている。

 彼女の行きつけのバーだった。そして、幾度も逢瀬を重ねた場所でもあった。

 約束なしに会うのなら、この場所だと直観した。いや、彼女も察していたのかも知れない。

 その証拠に、しばしの思い出話の後で、ゆっくり彼女は腰を上げた。

「行きましょうか」

 ビルの隙間にひっそりともうけられた扉を出ると、街はパレードのただ中にあった。

 十数年の間、交流の途絶えていた小麦とチョコレートの交流の復活を願うように。

 闇の中を光が乱舞し、浮かれた人々が練り歩く。魅惑的なカカオ娘が多く見えたから、願いのパレードという意味合いの他に、接待的な意味もあったのかもしれない。

 小麦の代表たちへの。

 彼女は片方だけの綺麗な目でお祭り騒ぎをちらりと見やった。クスリと笑みが零れる。

「若い子たちはいいわ。悩みも葛藤も何もない。単に交わり合えばいいと、そう考えてる」

「俺たちも昔は思っていた……そして今も願っている。違うかい?」

「どうかしら」

 行く先をあごで示す。白い彼女の肌が、パレードの赤や黄色や白や青の光に照らされて、闇の中に浮かび上がる。

 俺は無言で頷いた。彼女に合わせ、つま先のその向きを変える。

 より暗く、狭く、人のいない方へと。

 白い肌が俺を先導するように先を行く。


 その肌は魅力的だった。

 いつか手に入れたいと願っていた。

 けれど俺たちは交われなかった。

 俺が求めるものと彼女が求めるものは異なり。

 俺たちの関係は過去になった。


「ザッハトルテを覚えていて?」

 かつりかつりと靴音が響く。

「あなた達を押さえ込むことで彼女は彼女たり得た」

「覚えてる。チョコレートで風味をつけた生地を分厚いチョコレートでコーティングしていた。生地だけでも十分だったのに、あいつは」

「それが彼女のアイデンティティだったのよ」

「……あぁ」

 分かっていた。知っていた。けれど、どうすれば良いというのだ。

 見た目がチョコレートそのものではないか。……それが議会の第一声で。ザッハトルテの扱いを決めるすべてだった。

「横浜煉瓦は焼き菓子だと最後まで主張していた」

「主張だけなら、誰でも出来る」

 チョコレートとクルミソースに支配された横浜煉瓦。冷蔵しなければ被いを解くことも出来ないあいつは、はなから焼き菓子の扱いではない。

「……意地っ張り」

 ふわりとミルクの甘い香りが鼻孔をくすぐる。白くしなやかな腕が、俺の首元に回される。

 軽く、僅かに冷ややかな感触の重みが、確かにあった。

「あなたの確かな熱さが大好きだった」

 香りが強さを増す。唇が柔らかなものに。

 ……俺は目を閉じ、そして。

「うっ」

「……ぐ」

 手の中にほの暖かく柔らかい感触を得るのと、脇腹に鋭い熱が生まれるのは同時だった。

 すべやかな感触が、腕に仕込んだナイフと共に離れて行く。

 冷たく焼けるような脇腹の痛みだけが残った。

 知らず左手が、何かを探すように宙を掻いた……。

「……ねぇ」

 荒い吐息の合間、切れ切れの声が届く。

「私たち、やり直せないの……?」

「……いまさら」

 俺の熱に溶けてしまうだけの生チョコレート。一緒になれるはずが……。

「……私があなたに……なればいい」

「……何?」

 息が荒くなる。ふわりと再び、彼女の重みが蘇る。

「私が、あなたになればいい。そう、思わない?」

 暖かい生地のまま。ナイフを突き立てればじんわりとしみ出すチョコレート。柔らかい口溶けは、生チョコレート特有の。

 手の中の、確かな重みの……重心がぶれる。

「な、生チョコレート! おい……しっかりしろ」

 ゆるりと首が振られる感触。それは、彼女の確かな意志。

「私たちには、まだ、可能性がある。チョコレートと焼き菓子の……可能性が」

 とろり。意志のままに最後まで形を保っていた頭部が、溶けて、流れて。

 俺の手の中に吸い込まれた。

「おい……おい……」

 地面に手を突く。彼女を、生チョコレートの残骸をかき集めるように。

 そして、それは触れるたび、俺の中へと

「俺は……!」


 俺は彼女を愛していた。

 俺は彼女を憎んでいた。

 そして今は。

 俺は彼女と、一つになった。


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<お題>


 使用お題

 甘い本音と甘い嘘

 夢と嘘とのパレードへ

 こんにちは、チョコレート

 列車(汽車・電車でも可)

 ホットケーキ

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