20140713:不意打ちのときめきを

 青い空。白い雲。南国特有の碧い海。

 真白い珊瑚の砂浜で戯れるのは、シーサイド・マーメイドになりきった、自分自身とまだ見ぬ恋人の姿。

「夢なんだよね」

 弁当をつつく箸が完全に止まる。同僚のヤレヤレとでも言いたげな視線も気にならない。

 共済会が用意したレーザープリンタのパンフレットに目をやりながら、薫が見ているのはここではない夢の島。


 *


 巨大な太陽がゆっくり水平線に沈んでいく。それを見ている二人は、肩をそっと寄せ合う。

「今日が終わるね」

 薫が零せば、

「明日もあるよ」

 優しい声が返ってくる。


 *


「潮風は昼間の熱気を優しく冷ましてくれる。日焼けした頬にはきっと気持ちよくて」

 卵焼きを口に運ぶ。視線をパンフレットに向けたまま、器用にご飯をすくい上げる。一口運び、飲み下す。

「でも肩を抱いたりはまだで」

 薫は同僚達へ視線を向ける。……うち一人二人の同意の視線に、声は熱を帯びはじめる。妄想が暴走しはじめる。


 *


「終わるところなんか見たくない」

 薫は拗ねるように目を閉じる。

 聞こえてくるのは潮騒と。そしてわずかな衣擦れの音。

 やがて陰る気配がして。瞼にそっと暖かく優しい感触。

「閉じた瞼には夢の続きをね」

 慌てて目を開ければ、逆光に彩られた恋人の顔。

 表情は判らない。判りたい。でも、判らなくて、いい。判らない方が面白い。


 *


「そして今日という日が優しくおわっていく」

 妄想は止まらない。

 まるで呼吸の合間に、ようやくおかずを口へと運ぶ始末だった。

 それで? 促されて一つ、薫は頷く。薫の視線は遠くなる。会議室の壁を越え、ごみごみしたビル街を飛び出し、地球の裏側を見通すほどに。

「知らないみちを二人でゆっくり辿っていく。灯りは何処にもない。でも、雲一つ無い満月だから歩くには問題なくて」

 ぱくりとキュウリを口に入れる。

 咀嚼する。キュウリを。自信の想像を。

「影が目の前に伸びていて。ふとした瞬間に、こう……重なる」


 *


 二人並んで歩く。何となく手は繋がない。恋人は一歩先に立ち、影で遊ぶように手を動かす。

 現実には離れている手は、地面の上で重なる。

 ほら。振り向いた恋人の影は薫の顔の影と重なって。

 あ。気付いた薫に、気付いた恋人は。

 あ。わずかに顔を赤らめる。

「そうして」

 くるりと薫に向き直り、そっとつま先立ちになる。


 *


「不意打ちでね」

 弁当箱の隅っこの、ご飯粒をすくい上げる。お味噌汁に、手を。

 薫の耳にチャイムが届いた。

「そう。不意打ちなんだ」

 ぎくり。伸ばした手が、そのままで固まった。

 そろりと見上げれば、不機嫌さを隠しもしない先輩の姿。

「チャイムが鳴る前に片付けろって言ってるよね? いつもいつも言ってるよね?」

 疑問系は形だけ。薫はただただ頷くだけ。

 慌てて味噌汁を飲み干し、弁当を片付ける。

 口をもごもご言わせたまま、部屋を出て。

 すれ違いざま掴まれた。……結び目の崩れたネクタイを。

「その恋人さんの名前、教えて上げようか?」

 会議用のノートパソコンをデスクに置き、先輩は薫を下から覗き込む。

 男を寄せ付けない氷の美貌と評される整いすぎた顔が、ふっと緩んだ。

 どくん。薫の心臓が、大きく一つ、鳴った。

「──Blue Monday」

 TOEICで900点を超える発音で軽やかに放たれる。

 計算し尽くされた笑顔は、その一瞬で消えていた。

「いつまでも休み気分でいるんじゃないッ!」

 これだから、男ってヤツは。

 ネクタイを解放されると同時に薫は速やかに追い出された。鼻先でドアが音を立てて締められる。


 ──不意打ちだ。

 薫の心に、南の島を想像するより遥かに高く大きな波が、ひとつ、打ち寄せた。


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<お題>

 シーサイド・マーメイド

 不意打ちのときめき

 閉じた瞼に夢の続きを

 優しいおわり

 知らないみち

 憂鬱な月曜日

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