空と地の狭間EX
森村直也
20140711:月の涙
「は?」
思わず聞き返した。
「君は耳が遠いのかい?」
もう一度言う。
もたつきも変な皺のよりもないブランドスーツをさらりと着こなし、価格が七桁は行きそうな腕時計をそつなく身につけ、髪の毛の先一本まで気を遣ったと言わんばかりの依頼者は、えへんと一度もったいぶって続きをのたまう。
「『月の涙』を手に入れて欲しい。一月以内に、だ」
──それが、三週間前の事。
目の前に広がるのは、氷河が削った広大な谷を埋め尽くす針葉樹の森。
俺の後ろにあるのは、ココまで俺達を運んでくれた4WD。
足下にあるのは、獣道と呼んで差し支えのなさそうな一筋の隙間。
「ホヮーガ、ここ、先」
つたない英語の通訳は、隙間の先を示す。
この先、つったって。
「大樹林の中かぁ?」
だいぶ話が違う。
ついつい零れたため息と共に、手に持つ携帯端末へ視線を落とす。画面表示は容赦なし『電波無し』
衛星電話でも調達するんだったか。あの依頼者なら、どうとでも丸め込めたかも知れない。……思っても全て後の祭り。
『月の涙』
要領を得ない依頼者の話を汲み取り聞き返し理解した結果得た結論は、『秘宝のようなもの』だ。
依頼者の意中の女性が、彼女を欲っさんとする男どもに、世界中の秘宝を持ってくるようにと依頼をかけたのだそうな。
オノレはかぐや姫かっつーの。
……心の突っ込みは心の内だけで留め、俺はもちろんにこにこと対応した。時折言葉をなくすことがナイでもなかったが、にこにこと、だ。
そして依頼者お坊ちゃんの担当が『月の涙』──なんでも、坊ちゃんが調べたところによると、北欧の小国の中の一部族……の中の族長の家系の一代おきの女性にのみ伝わる秘法なのだとかなんだとか。
もちろん北欧の小国には直通便など出ているはずも無く。最寄りの飛行場から丸々一日以上、しかも公共交通機関などあるはずもないから現地調達の自動車で、どうにかこうにか……雇われ人の俺が出向き、無事入手出来た暁には依頼料が満額手に入るとそう言う手はずになっている。
つまり、ま、そういうことで。
手はずを整えるのに一週間。準備をすること一週間。実際にLCCで成田を飛び立ってから早三日。
怪しいガイドと合流し、ようやくココまで来たわけだ。
草を踏み、獣の声におびえ、肩に食い込むリュックを背負い直し、それでも何でもガイドに従い隙間を辿る。細い身体の高い声の顔を隠したガイドは、俺よりよっぽど達者な足で軽快に済んでいく。
どうにか調べてホヮーガと名乗る部族に連なるガイドを見つけ出すことは出来たが、『月の涙』がどのようなものかはついぞ情報の欠片も得ることは出来なかった。
「見る。村。谷」
立ち止まったガイドにつられて足を止め。荒い息をなだめつつ眼下を見やる。
すってもすっても足りない。そんな状態の息ですら、止まった。
村だった。谷底のさらに下。地面に穿った穴ののようにも思える窪地に、村が広がっていた。
灰色の石を基調とした建物が寄って集まり、地味で端正な印象を与え。地味で端正な印象を与える村だった。
……こんなところにと、目を疑うほどの。
「日。落ちる。村」
そんな俺の気持ちなど意にも介さず、ガイドはすたすたと先を行く。……慌てて追うしか、なかった。
「村。人。英語。NO。案内。BUT。てぃあ。黙れ」
「え?」
これまた単語だった。早口でそれだけ言うと、ガイドはもう黙ってしまった。
察するに、村人は英語が分からないということか。『案内』『しかし』……案内はしたが? 案内はしたが、それ以上はしない、ということだろうか。
てぃあは……涙? 黙れと言うことは?
一旦日が傾くと後は早かった。さすが谷底と言うべきか。
見る間に暗くなる足下に、幾ばくかの不安を感じ見上げた先に、月があった。
磁石を出すまでもなく、谷の東が月出の方角とぴったりと合っていた。日の入りと共に顔を出した満月は、谷から見上げる山の稜線を伝うように登っていき、今、最も高いだろう峰にさしかかったところだった。
ガイドは身振りで俺を止めるように村人に頼んだようだった。寝床と思しき場所を与えられ……俺は手洗いに立つフリをして寝床を抜け出した。
このままでは、観光しただけで手ぶらで帰ることにもなりかねない。
いい女も要らない。かぐや姫なんてどうでも言い。家族がいるわけでも、可愛い恋人がいるわけでも無いけれど、……タダ働きだけは、勘弁だ。
村はずれ、少しばかり見晴らしの良い場所までやってきて、俺は村を見渡した。
『月の涙』……そんな名前のダイヤなり、サファイアなりってんならなんだか納得は出来そうな気がする。
つっても、こんな北欧の山の中。宝石の算出の話も聞かない。
海辺なら巨大な真珠、なんてありそうなものなのだが。
ふと視界が陰った気がして、空を見上げた。
谷底から見る狭い空は、しかし、見事なミルキーウェイを見せていて、相変わらず稜線には宝石のごとく見事な月がある。
月が。
月の。
目を瞬いた。ついでに、こすった。
月がかかる稜線の下。山の頂から少しばかり下がったところ。
月を目とするならば、涙と言えるような形で。
薄赤く耀く何かが。
「あれか!」
夢中で携帯端末を掲げる。シャッターを切る。
手に入れろと言われたからには、手に入るものだと思っていた。考えていた。
けれどどこかで、そうでない可能性も、考えてはいた、わけで。
夢中で撮る。記録に残す。
少なくともそれで、残りの半金は手に入る──。
どすん。
確かに、俺の背中が鳴った。
力が、抜ける。
薄れ行く視界の中で、ガイドがかぶり物を取る。
『月の涙』を額に湛えた美しい笑顔が笑っていた。
「秘密。男。寄ってくる。アナタ、涙。なる」
*
俺には嫁さんも子供もいない。
こんなものが手に入るなら……いや。
魔物のような者の『モノ』になるのなら。
それも悪くないかもしれない。
伸ばした手が、細く綺麗なあごに、触れた。
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<お題>
ナツの呼び声
その声に潜む痛みを見つけ出せ
伸ばした手は
月の涙
宵闇に紛れて
秘密の睦言
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