第21話 勤務8日目(1)
・勤務八日目
●五時半:起床
何か変な夢を見た記憶があるが、いま一つはっきりしない。
きっと私の中で生じている精神的な変化が、おかしな夢を見せているんだろう。
一回目の巡回の後で、様々なことを個人日誌に書き込もう。
そう考えたら気持ちが少し落ち着いた。
すぐに身支度し洗顔を終える。
まだ十分に時間があるので、朝の日課となったコーヒータイムにする。
私はポットで湯を沸かし、コーヒーを飲みながら窓の外を眺めた。
きょうは夏特有の雲一つない、日本晴れってやつだ。
私は時計を見た。
のんびりし過ぎたせいか、六時二十分である。
●六時半:一回目の巡回開始
またきょうも、ここで仕事をするのだ。
きょうも重いリングを腰に下げ、巡回勤務を開始する。
きのうと同じく非常出入口の鍵を探す。
カチッ。
まず一階の通路を挟んで左右にある男性と女性のトイレを見回る。問題なし。
そこから奥へ進んで給湯室、通路を挟んで左右にある会社のオフィスの中も見て回る。問題なし。
一階の一番奥のエレベーターをチェックする。
私は耳を澄ませた。
もはや、この仕草も癖になってしまった。
またどこかの階のトイレが故障してるかもしれない。
だが、トイレは水は流れておらず、正常のようである。
私は五階の全てのチェックを済ませると、西側の階段へ移動し、各階で耳を澄ませながら一階へと下りた。
隠しボックスの蓋を開いてトグルスイッチをONに倒す。
自動ドア機能が作動した。
きょうもこのビルが目覚めたのだ。
●七時十五分:一回目の巡回終了
腕時計を見ると七時十五分。
きのうと同じく疲れているように感じる。
私はすぐにビルを出て守衛室へと戻った。
●八時:朝食の配達のお願い
電話で朝食配達をお願いする。
メニューは、きのうと同じくコロッケパン、それにアイスコーヒーにする。
きのうと同じにする理由はまったくないが、やはりカレーコロッケが好きなのだろう。
(そんなにカレーコロッケが好きだったか?)
自分でも驚きだ。
待つこと五分で配達夫がミニバンでやって来た。
「きょうは一番早いでしょ」と配達夫。
「そうだな、どうして?」
「お客さんの順番のせいです。注文されるお客さんの居場所を総合的に見ると、きょうはこのビルを最初にする方が一番いいんです」
「ふーん。いつもそうやって、注文のある場所を総合的に見てルートを決めるのかい?」
「もちろんですよ、それが仕事ですから」
「ほお凄いもんだ、わかったよ。じゃあ忙しいだろうから、もう行っていいよ」
「はい、毎度あり~い」
配達夫はすぐにミニバンに乗り込むと、慌しく走り去った。
私はガッツくように朝食を食べた。
お腹がいっぱいになって何か安心したのか、きのう高石が言ったことを反復する。
よーく考えれば、高石の言ったことは到底信じられるものではない。
そうだとも、きのうの私はあまりの事柄に翻弄されてしまい、冷静さを欠いていた。
(あの女、私にわざと嘘を言ったんだ。理由はわからないが)
(偶然にこのビルを通った?彼女にとっては休日期間を中断されて以降、久しぶりの休日だったのに?彼女の言葉は嘘に決まっている)
それに正常な人間の私が、突然あんな半・夢と半・現実のようになるわけがないではないか。
催眠術を掛けられたのなら、そうかもしれないが。
(催眠術?)
催眠術という言葉から、私はきのう寝る前に頭に浮かんだ”呪詛”という言葉を思い返した。
もちろん、この言葉も私が勤務中に寝入った夢の中での言葉に過ぎない。
しかし。
(この夢の中の言葉、気になる)
もしかしたら、あのアイラボという会社、本当に呪術師の集合体ではないのか。
私が一日に二回巡回して気付かないだけではないのか。
あの無機質なオフィスに、何か隠れた秘密があるのではないか。
●十時:アイラボの社員出勤
ビルの門の前にスポーツカーが停車した。
車から高石が降りてきた。
高石が降りると車は走り去った。
高石は鎖を潜り、守衛室にやって来た。
「おはようございます」と高石。
「おはようございます。ところで高石さん」
「はい、何でしょうか?」
「高石さん、きのう朝、ここで私に言ったこと本当ですよね?」
「ここで言ったこと?」
「ええ。休日に私がここであなたの妹さんと三人で車で出掛けたってことですよ」
「え?な、何ですか、それ。私、そんなこと言ってませんけど」
(な、なにーっ?言ってない?)
私は思いっきり動揺した。
「いいや、あなたは確かにそう言ったでしょ。休日に私がここで居眠りしていて退屈そうだから、お昼でもどうですかと誘ったと」
「休日は私、ここには来てませんし、妹って誰ですか?私に妹はいませんけど」
(な、なぬーっ!)
「じ、じゃあ、あの車を運転してるのは誰です?」
「まあ、嫌らしい!守衛さん」
高石はまるで気味悪いゴキブリを見るような目で私を見た。
「す、すいません、変な意味じゃないんです。でも教えてください。そうでないと私の頭が混乱しそうで」
「車を運転してるのは夫です、私の」
「え?でも女性だったと思いますが」
高石はささやくポーズをとった。
「そうです。これは内緒ですけど私、同性愛者なんです」
(あ、ああ、そういうことか。いや待て!そういう問題じゃないだろ)
「では、すいませんが、きのうの朝、私に言ったことをもう一度言ってください」
「何も言ってません。おはようございます、と言って鍵を受け取っただけですけど」
(ほ、本当かよ!)
「わかりました。お手数をお掛けしてすいませんでした」私は心の動揺を隠して高石に鍵を渡した。
高石はしばらく、じーっと私の顔を無言で見つめていたが、何も言わずオフィスへと歩いて行った。
よく冷静に考えれば、これで半・夢と半・現実という、ややこしい事実はなかったことになる。
だがそれは同時に、私の頭がイカれたか高石が嘘を言ったか、そういうことにもなる。
(参ったな、こりゃ)
もはや何を基準にして信じていいのか、わからなくなった。
そう、人間は基準という物差しで社会を見ていく。
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