第19話 勤務7日目(1)

・勤務七日目

●五時:起床

時計は五時五十分を指している。

寝汗というか冷や汗でびっしょりシャツが濡れている。

悪い夢を見たため、ベッドから飛び上がって起床した。

昨日は私の勤務はお休み、つまり私の休日だった。

このバイトで初めての休みだったわけだ。

きのう、駅前に行ってT字路を右に行ったが、その後の記憶がない。

どうやってここへ戻って来たのか、全く憶えていない。

(そんなバカな。どうなってるんだ)

きのう一日のことは後で個人日誌に書き込もう。

そう考えたら気持ちが少し落ち着いた。

すぐに身支度し洗顔を終える。

まだ十五分ちょっと時間があるので、朝の日課となったコーヒータイムにする。

私はポットで湯を沸かしコーヒーを飲みながら、窓の外を眺めた。

生憎と珍しく空が雨模様だ。

きょうはなぜか悪い一日になりそうな気がする。

私は時計を見た。

六時二十五分である。

●六時半:一回目の巡回開始

またきょうから六日間、ここで仕事をするわけだ。

きょうも重いリングを腰に下げ、巡回勤務開始。

きょうはなぜか気乗りしない。

きのうと同じく非常出入口の鍵を探す。

カチッ。

まず一階の通路を挟んで左右にある男性と女性のトイレを見回る。問題なし。

そこから奥へ進んで給湯室、通路を挟んで左右にある会社のオフィスの中も見て回る。問題なし。

一階の一番奥のエレベーターをチェックする。

私は耳を澄ませた。

またどこかの階のトイレが故障してるかもしれない。

だが、トイレは水は流れておらず、正常のようである。

私は五階の全てのチェックを済ませると、西側の階段へ移動し、各階で耳を澄ませながら一階へと下りた。

隠しボックスの蓋を開いてトグルスイッチをONに倒す。

自動ドア機能が作動した。

とりあえず一回目の巡回は終わった。

●七時十五分:一回目の巡回終了

腕時計を見ると七時十五分。

なぜか疲れているように感じる。

私はすぐにビルを出て守衛室へと戻った。

●八時:朝食の配達のお願い

電話で朝食配達をお願いする。

メニューはコロッケパン、それにアイスコーヒーにする。

待つこと十分で配達夫が徒歩でやって来た。

「きのうは珍しく全く連絡くれませんでしたね」と配達夫。

「きのうは休日だったんだ、私のね」

「あ、そうだったんですよね。でもここで寝泊りなんでしょ?」

「よく知ってるね」

「いま帰郷してる井上さんに訊いてますから。家賃や光熱費が無料だから、悪くないって言ってましたよ」

「へえ、そんなことを言ってたのかい」

「まあ、こう言っては何ですが七十過ぎの身寄りなきご老人なら、そう思うのも無理ないかなと」

「身寄りがない?だって井上さんは帰郷してるんだ、何らかの家族がいるはずだろ」

「帰郷なんて言ってますけど、東京で六畳間の安アパートをずっと借りてる友人の部屋に、遊びに行ってるだけなんですよ。ここに寝泊りして少しでも浮いた金を友人に渡してるそうです」

「優雅な年金生活者じゃなかったのかい?」

「それ以上は、ぼくも知りませんけど」

私は暗澹たる気分になった。

友人の安アパートに遊びに行くのを、帰郷と称していたのだろうか。

井上さんが、そしてその友人が、そんなささやかな生活をしてたとは。

どんな気持ちなんだろう。

いや、そうじゃない。

それがいまの井上さんの唯一の楽しみなのかもしれない。

「ところで守衛さん、きのう休みだったんでしょ?」と配達夫。

「ああ、そうだよ。自転車で出掛けてみたんだ。君のコンビニにも寄ったよ」

「うっそでしょ、店長言ってましたよ」と配達夫は嘘つけ、という顔で私を見た。

「嘘じゃないよ。店長が何って言ってたの?」

「あそこの守衛さん、きょうもあの部屋に座って眠っていたぞって」

「な、何だって!」

「店長がここをミニバンで何度か通ったそうですけど、守衛さんはここでずっと居眠りしてたって」

「そ、そんなバカな。私は七時に起きて、あの自転車で走り回ったんだ、この周辺を!」

「そうですか、すいません。じゃもう行かなくちゃ」

配達夫はバツが悪くなったのか、すぐに走り去って行った。

もはや食欲は消え失せた。

私は守衛室を出て、借りたママチャリを点検してみる。

(あ、あれ?六日前のままかもしれない)

その鍵の掛け具合、ハンドルの向きなど、六日前と同じ気がする。

もしきのう、本当にこの自転車で走ったのなら、もう少しタイヤの擦れ具合とか、ハンドルの向きが変わっているはずだ。

そして店長の言うことが事実なら、一部の辻褄は合う。

私はこの席で寝ていた、だからどうやって帰って来たのか憶えていない、という説明にはなる。

だが、それでもこの席からどうやって休憩室のベッドへ移動したのかが説明できない。

あの勤務中の夢といい、今回の件といい、何かおかしいことが多い。

(そうだ、アイラボの高石さんが出社して来たら、確認すればいいのか)

もし私が自転車で走ったことが事実なら、あの喫茶店で高石と会っているから憶えてるはずだ。

きのうの自分の行動が、自分でわからないなんて生まれてはじめてだ。

すでに日課となってしまった個人日誌を書く。

●十時:アイラボの社員出勤

ビルの門の前にスポーツカーが停車した。

車から高石が降りてきた。

高石が降りると車は走り去った。

高石は鎖を潜り、守衛室にやって来た。

「おはようございます」と高石。

「おはようございます。ところで高石さん」

「はい、何ですか?」

「きのう、『ゆったり』という喫茶店で妹さんとお会いしましたよね?」

「いやだ、ここでお会いしたんじゃないですか」

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