第16話 休日(1)

・休日

●七時:起床

きょうは七時に起床した。

きょうは私の休みなのだから、起きる時刻は何時でもいいのだ。

とはいえ起きた場所は、きのうと同じ守衛室の休憩室だ。

だが、六日間も退屈さを絵に描いたような生活をしていた私にとって、この一日の休日は特別だ。

大げさにいえば、砂漠の旅人がオアシスを発見したような、そんな喜びがあった。

休日だから、巡回時刻なんて関係ない。

休日だから、制服に着替える必要もない。

重い鍵の束のリングも、きょうは壁に掛けたままでいいのだ。

私は洗顔を済ませると、ゆっくりと朝のコーヒータイムを楽しんだ。

窓の外の山々は晴れているせいか、きょうも眺めがいい。

いや、休日だから余計にきれいに見えるのかもしれない。

平日ではコーヒータイムといっても、これほど心がゆったりすることはなかった。

きょうは、この場所に縛られる必要はないのだ。

どんな場所にも行けるのだ。

私は守衛室の脇に立て掛けてあった自転車を見た。

六日前、ここに来る時に駅前の自転車屋から借りた代物だ。

(そうだ、あれで出掛けよう)

私はTシャツにジーンズという格好でリュックを背負い、守衛室に鍵を掛けると自転車に跨った。

ビル正門の鎖の下を自転車に乗りながら潜り抜け、私は外に出た。

あの上田や高石が、そして配達夫が毎日のように通って来た、この正門と鎖。

配達夫に至っては日に三回も潜ったのだ。

私は鎖を軽やかに潜り抜けると、まず配達夫で馴染みのある小さなコンビニへ向かった。

食料と水分を仕入れるためである。

そこのコンビニは駅方向にある。

コンビニに配達夫は居なかったから、おそらく配達に出掛けているのだろう。

だが、あの店長が居た。

「あ、どうも。佐藤さん、でしたよね。ご贔屓にありがとうございます」と店長。

私の他に客は誰もいない。

「先日の肉まんの不手際、改めてお詫び申し上げます」と店長は九十度に体を折って言った。

「いやいや、もう数日前のことですから、いいんですよ」と私。

私がこの六日間、毎日のように朝、昼、晩と食事配達を注文しているからなのか、とても丁寧な対応だ。

「ところで今朝は、どうされたんですか?」と店長。

どうして私がここのコンビニに居るのか不思議、という顔をしている。

「あ、いや、きょうは休日なんです」

「あ、そうなんですか。じゃあ佐藤さん、この一回だけですが、ここでお買い上げになった金額の三割、割引させてもらいます」

「いや、いいですよ。きちんと払います」

「いいえ、お世話になってるんですから、それくらいさせて下さい」と店長。

店長は絶対に三割、引きますと譲らない表情だ。

「じゃ、お言葉に甘えて」

私は店長に、あのビルからさらに先の地理を訊こうかとも思ったが、行き当たりばったりも面白いだろうと思い直して朝食だけ買うことにした。

焼きそばパン、メンチカツパン、卵サンド、ツナサラダ、トマトジュース、アイスコーヒー、ヨーグルトなどを買った。

確かに三割を引いてくれた。

この日の代金は勤務日ではないから、通常料金であり、それを三割引きにしてくれたわけだ。

「今後もご贔屓にお願い申し上げます」と九十度に体を折って店長が言った。

コンビニを出た私は、六日前にここへ来た方向(つまり駅とは逆方向)に向けてペダルを踏んだ。

コンビニから走り出し、先ほどまで私の居た守衛室のあるビルを通過していく。

私は適当な道端に自転車を停めて、個人日誌にいままでのことを記録した。

●七時五十分:守衛室の先にある風景(1)

なぜか気分がいい。

自転車で走って十分くらいだろうか、私の右方向に明らかに無人とわかるたばこ屋がある。

シャッターは降りたままのようで、”たばこ”という所々に錆の付いた文字が、長い年月の風雨に晒された印となっている。

驚いたことに、そのたばこ屋をさらに通過すると文明らしき形跡が周囲にまったく見当たらない。

人の住んでる気配すらない。

私の走る道の左右には、切り崩した山の斜面だけが広がる。

さらに三十分ほど走ると、私の走る道の左右に田んぼ地帯が突然に開けた。

(うおーっ!)

都会生まれの私には、そういう景色は写真以外に見たことはなかったので、心底から驚いた。

もし田舎育ちの人だったら見慣れた風景かもしれない。

だが、あのクソ暑いコンクリートの建物に囲まれて育った私には、この上なく新鮮に感じられる。

実際の話、例え写真や動画などで見知っていたとしても、ただ知っているのと、実際にそこへ行くのとでは巨大な違いが生じる。

私はその一角に自転車を停め、木陰に入ってコンビニで仕入れた朝食を食べた。

美味しい!

狭い守衛室を抜け出し自転車を走らせたからなのか、なぜか朝食がこの上なく美味しく感じられる。

朝食を全て食べ終えると、私は再び自転車に跨り国道らしき道に向けてペダルを踏んだ。

国道を、なおも自転車で走っていると私の横を車が二、三台追い越して行く。


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