第15話 勤務6日目(2)

男は無言で自分の黒いボールペンで書き込んだ。

「五階になります。あのドアから入ってまっすぐ奥にエレベーターがあります」と私は説明した。

「ありがとうございます」

そう言うと男は車に戻り、脚立と蛍光灯二本を持ち出してビルの方へ歩いて行った。

すぐにアイラボに内線電話を入れる。

「はい、アイラボです。あ、守衛さん」

「いま業者の人が向かっています」

「ありがとうございます」

「ところで高石さんは、きょうは外食しないんですか?」

「ええ、きのう早く帰ったから、きょうは昼も弁当を食べながら頑張るしかないの」

「それはそれは。じゃお邪魔しちゃ悪いから、これで」と私は電話を切った。

●十二時四十分:業者がビルから出てくる

業者の男が、ビルの自動ドアから出て守衛室へとやって来た。

「仕事、なかなか速いですね」と私が言った。

「いいえ、まあまあです。この脚立で届かなけりゃ応援を頼んで、もっと遅くなってましたよ」と業者。

「あ、そういうもんですか」

制服の男は軽くお辞儀すると車へ戻り、発車しはじめる。

私は門の外に立ち、道の左右を確認してOKの合図をした。

男がまた軽く会釈して、その車は走り去った。

私はまた鎖を持ち、フックへと掛けた。

●午後一時:守衛室で待機

二十分前の一件があったためか、まだ眠くない。

その件も個人日誌に追記した他、手造りの入出者ノートを眺める。

記入ページの残りが少なくなってきたので、新たなノートにボールペンと定規で線を描く。

他に緊急な用件もないため、今後のことも考えて新しいノート全ページの半分くらいに線を入れた。

ノートのタイトルは『入出者ノートNo.2』とする。

そんなことを、のんびりやっていると、時計は三時を指していた。

●午後三時:守衛室

きょうは大したことも起きないで時間が過ぎていく。

大したことがないのは、何もきょうばかりではないが。

退屈だが、平和な時間ともいえる。

(あ、そうだ、明日は私の休日だったな)

そう思うと一瞬、うれしくなったがすぐに萎んだ。

例え休日だったとしても、寝泊りはこの場所だ。

朝起きて、ここからどこかへ出掛けて、夜ここへ戻って来る。

そしてここで寝て、翌日からまたここで勤務なのだ。

それを考えると、何か空しい。

自由が著しく制限されているような気になる。

●午後七時半:電話で夕食配達をお願いする

メニューは焼きそばと麦茶にする。

待つこと十分。

配達夫はライトを点けたミニバンでやって来た。

「毎度、どうも」と配達夫。

「いつも配達速いね。明日も頼むよ」と私。

「ありがとうございます」

そう言うと配達夫は帰って行った。

●午後八時半:アイラボ社員帰宅

高石が守衛室にやって来た。

「どうですか、蛍光灯は?」と私。

「ええ、おかげさまで直りました。バッチリ仕事に集中できました」と高石。

「それは良かったですね。ところでこれからも毎日、帰りはこの時間ですか?」

「ええ、少しピッチを上げないとダメなんです」

「明日は、私がお休みなんですけど」

「ええ、ここのビル全体が休みなんですよね、知ってます」と高石。

「ま、ここで寝泊りしてるから休日といっても、あまり休んだ気分になれませんが」

「え、そうなんですか?それは知りませんでした」

高石は驚きと共に、哀れみのこもった表情で私を見た。

「もちろんトイレ、シャワーやベッドもありますけど」

「まあ、それは大変ですね。でも私も明日は休みますから。はい、じゃこれお願いします」

高石は入出者ノートに記入すると、鍵を置いた。

ちょうどその時、門の外にスポーツカーが停車した。

高石は鎖を潜り門の外へと出ると車に乗り込み、車はやがて走り去った。

●午後十時半:二回目の巡回開始

いつものように非常用出入口よりビルの中へ入り、自動ドアの自動スイッチをOFFに倒した。

次に非常用出入口に内側から鍵を掛ける。

懐中電灯で照らされた闇の通路には、今夜も自分の靴音だけが反響する。

いつもと同じように通路を挟んで左右にある男性と女性のトイレを見回る。問題なし。

さらに奥へ進んで給湯室、そして通路を挟んで左右にある会社のオフィスの鍵を選びドアを開け、中を見回る。問題なし。

五階を巡回し終え、チェックシートに記入して西側の階段で一階へと下りて行く。

その時だった。

(ん?)

またトイレの水が流れる音が聞こえる。

三階のようだ。

三階の女子トイレへと向かう。

中を覗くと、真ん中にあるトイレの水が流れっぱなしになっている。

(え?)

昨日は四階で今度は三階だ。

(いったい、どうなってるんだ?)

そんなことを考えて立ち尽くしていると、ふいに水は止まった。

(ん?)

少しの間、耳を済ませた。

先ほどまで、勢いよく水が流れる音がしていたのに、ピタリと止んでシーンとした静けさになった。

(またも勝手に直ってくれた)

私は水槽タンクに異常がないことを確認すると、女子トイレを出て西側の階段で一階へと下りた。

トイレの故障は五階から始まった。

一昨日は五階、きのうは四階、きょうは三階。

(何だかトイレの一時的な故障が一階ずつ下がってきているようだな)

私は嫌なものを感じる。

非常用出入口から外へ出て鍵を掛ける。

時刻は午後十一時十五分である。

●午後十一時十五分:二回目の巡回終了。異常あり

守衛室へ戻ると、日誌にきょうのことを書き込む。

(①3F女子トイレ、真ん中のトイレで水が流れて止まらず。だが勝手に直った)

あの変な昼間の正夢といい、このトイレの故障といい、偶然というには不可思議すぎるだろう。

しかも三階の首吊りだって、ただの噂なのか実際にあったことなのか、いま一つはっきりしない。

あの高石が上田は妄想狂だなんて言ったが、それとて疑わしく思える。

まあ、何でも疑えばキリがないものだが。

(このビルには何かあるかも)

そう思った。

●午後十一時三十分:シャワー

(ん?)

シャワーの勢いが強くないだろうか?

気のせいだろうか。

●午後十二時:就寝

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