第9話 勤務4日目(1)

・勤務四日目

●六時半:起床

きょうは六時半に起床してしまった。

というより、故意にだ。

きのうよりさらに十五分遅い、つまり三十分遅い起床だ。

巡回時刻になっていることは、百も承知の上だ。

妙な話だが、時刻厳守を破ることで会社から本当にペナルティが課せられるか興味がある。

勤怠管理を会社がどうやっているのかということだ。

会社との約束では、『巡回時刻に遅刻してはならない』とは一切記載されていない。

つまり巡回時刻に遅れたとしても、約束違反にはならないのだ。

もしバイトじゃなく社員とかであれば、もっと厳しい制約があるかもしれないし、私のバイトが夏季休暇に重なっているということもあるだろう。

なぜこんなことをしてみたのか、正直にいえば自分でもよくわからない。

もしかしたら退屈過ぎるのかもしれないが、それが不満というわけでもない。

それだけは確かだ。

こんなのんびりして、きれいな山々が見えて、冷房設備、洗濯機、冷蔵庫、シャワー完備、おまけに食事代は会社が補助してくれる。

こんな結構ずくめのバイトは、そうそうあるものじゃない。

なのに巡回時刻を遅らせた私は、わがままなのだろうか?

(まあ、そうかもしれないな)

私はポットで湯を沸かし、ドリップ式のコーヒーをゆっくり飲みながら、窓の外を眺めた。

窓から見渡す山々は、きょうも緑豊かで素晴らしい。

コーヒーの香りが心地いい。

(こういう朝もいいものだな)

私はここに来て、はじめてゆっくりした朝を迎えた。

(さて、ここまで遅くしたんだから巡回は何時にしようか)

私は時計を見た。

かなりのんびりしたつもりだったが、まだ七時過ぎである。

●七時半:一回目の巡回開始

きのうに比べて一時間も遅い。

重いリングを腰に下げ、巡回勤務開始。

きのうと同じく非常出入口の鍵を探す。

カチッ。

ほとんど数回のエラーだけで鍵を見つけられた。

まず一階の通路を挟んで左右にある男性と女性のトイレを見回る。問題なし。

そこから奥へ進んで給湯室、通路を挟んで左右にある会社用のオフィスの中も見て回る。問題なし。

一階の一番奥のエレベーターをチェックする。

これは、もう癖になってしまった。

ちゃんと一階で停止していた。

最上階である五階まで巡回し、きのうと同じようにチェックを済ませると、西側の階段で一階へと下りた。

隠しボックスの蓋を開いてトグルスイッチをONに倒す。

誰も来ないはずだから自動にするのを、どうしようかと迷ったが手順を遵守することにした。

自動ドア機能が作動した。

きょうもビルの一日がはじまったのだ。

●八時十五分:一回目の巡回終了

腕時計を見ると八時十五分。

巡回終了がきのうより一時間遅い。

当たり前だ、巡回開始が一時間遅いのだから。

私は大きく伸びをすると、ビルを出て守衛室へと戻った。

●八時半:朝食の配達をお願いする

きょうも電話で朝食配達をお願いする。

(巡回時刻が一時間遅れても、朝食のオーダー時刻はあまり変わらないな)

きのうに比べて三十分遅いだけだ。

メニューはサラダパンとアイスコーヒーにする。

待つこと十分でコンビニ配達夫がミニバンでやって来た。

「よお、毎日ありがとう」と私は言った。

「いいえ、こちらこそ、毎度ありがとうございます」

「きょうも忙しいのかい?」

「はい、この後も四ヶ所を廻ります」

「それは、それは、大変だ」

「このサラダパン、これも大好評です」

「へえ、これもかい。そりゃいい」

食べてみると確かに美味しい!

シロップとミルクを入れたアイスコーヒーにピッタリの味だ。

きょうも朝食を済ませると、すでに日課となってしまった個人日誌を書いた。

昨日の漫画雑誌を読もうと思ったが、十時が近付いてきたので、読むのはそれ以降にしようと決める。

●十時:アイラボの社員出勤

守衛室に座り、私は時計を睨んでいた。

本当にアイラボの男性社員は、きょう休むのだろうか。

と、ビルの門の前にスポーツカーが停車した。

(ん?何だ?)

そう思って見ていると、車からきれいな若い女性が降りてきた。

その女性が降りると車は走り去った。

その女性は鎖を潜り、守衛室にやって来た。

(やっぱり誰か来たか。サボらなくて良かった)

Tシャツにジーンズという軽装で首にスカーフを巻いている。

「おはようございます」と女性。

「おはようございます」

「私、アイラボの高石と申します」女性がサングラスをはずしながら言った。

「あ、アイラボさんの方ですか」と私。

「はい、きのうまで出勤してた上田の同僚です」

「あ、そうですか」と私は鍵を渡しながら言った。

(自動ドアをONにしておいて良かった。まさか代わりが来るとは思わなかった)

「あなたに直接は関係ないんですけど、上田が昨夜入院しまして。急遽、私が上田の業務を引き継ぐことになってしまって」

「え、入院したんですか?」と私はちょっと驚いて言った。

「ええ、突然のことでしたから、私びっくりしちゃって」

そりゃ、そうだろう。

しかも自分の休暇中に他の人の影響で呼び出されるのは、あまりうれしい気持ちにはなれない。

「はあ、その上田さんとは私も少しずつ話すようになっていたんですがね、そりゃ大変だ」

「ちなみに、上田とはどういうお話を?」と高石は訊いた。

「え?なぜそんなことを?」


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