第8話 勤務3日目(2)

●十二時:コンビニに、電話で昼食配達をお願いする。

メニューはきのうと同じ肉まん二個、冷たい紅茶だ。

待つこと十分。配達夫がミニバンでやって来た。

「毎度、ありがとうございます」と配達夫は、ペコリと頭を下げて言った。

配達夫は特殊な鞄から熱々の肉まん、そして別の鞄から冷えた紅茶を取り出した。

「はい、どうぞ」

「忙しそうね、きょうは」

「はい、おかげさまで」

配達夫は料金を受け取ると急いでミニバンに戻り走り去った。

(ぐあっ!)

肉まんを半分近く食べた時、口の中に何かが絡み付いた感触があった。

少なくとも食べ物じゃない。

(うわっ!)

指でそれをひっぱり出す。

長い髪の毛だった。

それも数本ある。

(こ、こともあろうに髪の毛なんて!)

私はコンビニに電話を入れた。

店長が出た。

私が強く抗議すると、店長が丁重に詫びた。

「本当に申し訳ございません。今後は厳重に注意致しますのでご勘弁くださいませ。お詫びにすぐに新しい物と交換いたします。すぐに伺いますので」

「いや、肉まんはもういい。金払ってもいいからツナサンドで」

「畏まりました。ツナサンドお二つ、他に何かご注文ください。サービスさせて頂きます」

「じゃ、バニラアイスクリーム」

三分後、店長が小型バイクでやって来た。

「この度は本当に申し訳ございません」

体を九十度に折るとは、こういうことかと私は生まれてはじめて知った。

「ほら、これがその証拠。入ってるでしょ髪の毛」

私は店長に問題の肉まんを見せた。

「はい、申し訳ございません。製造元に厳重注意を致します。お代はもちろん結構ですから」

店長はビニール袋にその肉まんを入れた。

「ま、いいですよ。もう怒ってないよ。人間が作るんだから、こんな場合もあるよね」

店長の丁重で低姿勢な態度に、私は怒りを鎮めた。

●午後一時:守衛室で待機状態

この日も、いつしか睡魔に襲われる。

うとうとする感覚が何とも心地よい。

そんなことを繰り返していると、時計は三時を指していた。

●午後三時:守衛室

(あの社員、きょうは五時頃に帰るって言ってたな)

時間を潰すことにまだ慣れていない私だから、うとうとを繰り返すのもいいのだが、眠っているところを社員に見られたくない。

私は眠気を振り払うことも兼ねて、守衛室の外に出た。

東京に比べると涼しいが、冷房の効いた守衛室から出ると暑く感じる。

(あの猫、やって来たら追っ払ってやらなきゃ)

守衛室の周囲を歩いたが、猫はいない。

(夜になったらコンビニから夕食と漫画でも取り寄せるか)

●午後五時半:アイラボの社員帰宅

アイラボの社員が、やはり五時半に鍵を返しに来た。

「じゃあ、これお願いします」

「やっぱりきょうは早いんですね」

「そりゃそうです。気味悪いですからね。あ、それと私は明日は休みます」

男はそれだけを言うと、きのうと同じように自転車を押してゆっくりと走り去った。

私は男から預かった鍵を、アイラボと書かれたホルダーに掛けた。

(じゃあ、明日は誰も来ないってことか。巡回も休みってことにすればいいか)

もちろん、それでは会社との約束違反になる。

二十日のうち、休みとその日付は決められている。

ビルに入っている会社が全て休みだったとしても、それと今回のバイトの休みは同じではない。

(ま、巡回時刻が多少、ズレるくらいはいいか)

私はそう勝手に解釈して納得した。

はっきりいえば監視カメラもなければ出勤カードもない。

勤怠を管理するシステムなど、どこにもないのだ。

つまり、サボり放題なのである。

まして明日、アイラボの社員が休むなら、ビルには誰も来ないことになる。

(まあ、明日になったら考えよう)

●午後七時半:コンビニに、電話で夕食配達、ついでに漫画雑誌もお願いする。

メニューは鮭弁当と冷たい麦茶だ。

待つこと十分。

配達夫はライトを点けたミニバンでやって来た。

「お昼の一件、店長から聞きました。申し訳ありません」と配達夫は頭を下げた。

「いいや、もういいよ。済んだことだ。店長が謝れと?」

「は、はい」

「別に配達専門の君のせいじゃないよ。それに店長より詫びとアイスクリームも奢ってもらったから」

「はい、わかりました。あ、それとこの漫画雑誌もタダでいいからと」

「そうなの?ずいぶんと気前がいいね。食事代以外は正規の料金で払おうと思ってたんだ、これは会社の援助なしだから」

「いえ、結構です。今後もよろしくお願いします」

そう言うと配達夫は帰って行った。

漫画雑誌をのんびり読もうかと迷ったが、巡回時間が近付いている。

明日まで読まないことにする。

●午後十時半:二回目の巡回開始

昨夜と同じように非常用出入口よりビルの中へ入り、自動ドアの自動スイッチをOFFに倒した。

次に非常用出入口に内側から鍵を掛ける。

すでにこの行為は体が覚え込んでいる。

この手順を間違えることは、もうないだろう。

懐中電灯で照らされた闇の通路には、今夜も自分の靴音だけが反響する。

いつもと同じように通路を挟んで左右にある男性と女性のトイレを見回る。問題なし。

さらに奥へ進んで給湯室、そして通路を挟んで左右にある会社用のオフィスの鍵を選びドアを開け、中を見回る。問題なし。

もう各場所や各オフィスの鍵は、二、三回のエラーで探せるようになっていた。

私はもう一度、三階から四階へと上る踊り場の手摺りを、足を止めて見つめた。

やはり帯状に塗装が剥げている。

(ま、仮に首吊りが事実だったとしても、このビルで働いている人がいる。ということは、よくあるホラー映画みたいに幽霊や魔物なんか出ないってことだ)

私は五階まで巡回し終え、チェックシートに記入して西側の階段で一階へと下りた。

非常用出入口から外へ出て鍵を掛ける。

時刻は午後十一時十五分である。

(きょうも予定時間に終わったな)

●午後十一時十五分:二回目の巡回終了。異常なし

守衛室へ戻ると、日誌にきょうのことを書き込む。

●午後十一時三十分:シャワー

今夜もシャワー後に、ビールを冷蔵庫から取り出して飲んだ。

(うまい!)

きょうはいろいろあった。

冷えたビールのうまさが、肉まん事件と店長の謝罪、そして何よりあの三階での首吊り方法の推理という、退屈だったはずのきょう一日が充実したものに思える。

(よーし、明日もこの調子でいこう)

●午後十二時:就寝

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