第6話 勤務2日目(2)

●午後一時:守衛室で待機状態

本当に勤務してるのか自分でも識別不可能。

一つ言えることは勤務中だとしても、休憩に限りなく近い状態であることだ。

いつしか睡魔に襲われる。

うとうとする感覚が何とも心地よく感じる。

そんなことを繰り返し、時計は三時を指していた。

●午後三時:守衛室で休憩

きのうは休憩室で休んだが、きょうは守衛室で休むことにする。

ゴロリと横になれないが、椅子の背もたれに体重を預け思いっきり両足を前へ投げ出す。

(ん?)

どこからか声が聞こえる。

聞き覚えのある声だ。

(あ、またあいつか!)

鎖で閉門している外に、昨夜追い出した猫がいる。

餌でももらえると思ったのだろうか。

またあの猫がビルに侵入したら厄介だ。

私は守衛室から飛び出し、猫に向かって走った。

猫もびっくりしたのか、一度かなり高く飛び上がり逃げ去った。

(まったく、とんでもないやつだ)

そう思った時、稲妻のように脳裏に何かが閃いた。

(そうか、あの猫だ。あの猫が五階へ上ってエレベーターのスイッチを押したんだ)

五階の謎は解けた。

いや、解けたことにしよう。

つまり、いつもあの猫はこのくらいの時刻か夕方に現れる。

そして一昨日、井上氏が帰った後、時刻はわからないが猫が入って来てビルの中に侵入した。

だが、その日に着任したばかりの私は、そのことにまったく気付かなかった。

侵入した猫は、あのビルのどこかに身を潜めていたに違いない。

アイラボの男がエレベーターで帰った後、猫が五階まで上がり、そこで何かに反応して飛び上がった。

あの高さまでジャンプするなら、エレベータースイッチの高さには十分届く。

そして、偶然にスイッチを押した。

その後、きのうの夜に私が猫を発見した。

つまり猫は一昨日の夕方から昨夜まで、あのビルにいたことになる。

まあ、実際はそんなところだろう。

ただこの推理には、小さな疑問が一つ残る。

猫がビルにいたのなら、きのうの朝の巡回でも気付くはずなのだが。

それに対する答えはこうだ。

隠れるスペースがあった。

きのう、私は上る時は東階段を使い、下りる時は西階段を使った。

だから少なくとも、私の使った階段の反対側に猫が移動すれば、私が気付かないこともあり得る。

まあ、実際はそんなところだろう。

一応の謎が解けたところで時計を見ると七時過ぎだ。

●午後七時半:コンビニに、電話で夕食配達をお願いする。

メニューは焼肉弁当と冷たい麦茶だ。

待つこと数分。

きょうはすごく早い。

配達夫はきょうもライトを点けたミニバンでやって来た。

「きょうは早いね」

「はい、偶然この近くを廻ってまして。そしてご注文の品物も余分にありましたから」と配達夫。

「いつも品物を余分に持ってるの?」

「いいえ、これは私の夕食分なんですけど、お客様優先ですから」

「いや、何か悪いなあ」私はちょっと申し訳ない気持ちになった。

「いいえ、私は店に戻れば大丈夫ですから。どうぞ」

「ありがとう、ごめんね」

「いいえ」

配達夫は帰って行った。

私は大好きな焼肉を味わった。

(ん?)

この弁当、何かおかしい。

何がおかしいのか?

肉だった。

(な、生焼けじゃないのか、この肉?)

味は良いのだが、十分に焼けていないように思える。

蛍光灯に当てて、丹念に見てみる。

(勘違いかな、やっぱり焼けてるか)

包みの表示を見ると牛肉となっている。

(まあ牛肉ならいいか)

私の勘違いということにする。

それより私がこれを注文しなければ、あの配達夫が食べていたわけだ。

(ま、配達夫にも悪いし、それでいいとしよう)

●午後八時:アイラボの社員帰宅

アイラボの社員が、鍵を返しに来た。

「じゃあ、これお願いします」

「あ、ご苦労さまです。ところで」

「え?何ですか」

「あなたが朝言ってた首吊りの件ですが。三階の踊り場ですよね?」

「ええ、そう聞いてますけど」

「東側ですか、西側ですか?」

「さあ、そこまでは。まさか調べるんですか?」

「調べるといっても、ちょっと見る程度ですよ。どのみち巡回するんで」

男は物好きな奴という目で私を見ると、きのうと同じように自転車を押してライトを点けてゆっくりと走り去った。

私は男から預かった鍵を、アイラボと書かれたホルダーに掛けた。

その後、私は十時半からの巡回に備え、きょうも懐中電灯をチェックした。

懐中電灯の事前チェックは、このバイト終了まで続けるつもりだ。

巡回時刻まで暇なので、またあの猫がやって来ないか、食後の散歩を兼ねて守衛室から外へ出て少し周囲を調べる。

私一人だけなので、あまり遠くまでは行けないが十数メートルなら問題あるまい。

●午後十時半:二回目の巡回開始

まず非常用出入口よりビルの中へ入り、自動ドアの自動スイッチをOFFに倒した。

二回目の巡回の最初は、これが必須だ。

次に非常用出入口に内側から鍵を掛ける。

昨夜は初めてだったこともあり、この手順を間違えてしまった。

だが、そのおかげで迷い込んだ猫を追い出すことが出来たのだから、皮肉なものだ。

懐中電灯で照らされたビルの通路には、今夜も自分の靴音だけが反響する。

いつもと同じように入り口にもっとも近い、通路を挟んで左右にある男性と女性のトイレを見回る。問題なし。

さらに奥へ進んで給油室、そして通路を挟んで左右にある会社用のオフィスの鍵を選びドアを開け、中を見回る。問題なし。

なぜか鍵を選ぶのがきのうより、さらに早くなった気がする。

この仕事を覚えてきた証拠らしい。

私はアイラボ社員の言葉を思い出して三階と四階に上がる時、念のため踊り場の天井を見つめた。

懐中電灯の丸い光に照らし出された天井には、傷一つない。ノッペラとした天井だった。

(下りる時、西側の階段も見てみよう)

そう考えて五階まで巡回し終えると、チェックシートに記入して西側の階段で三階の踊り場を入念に調べた。

東側の階段同様に、天井にはこれといった異常は見られない。

(まあ、やはりただの噂か)

私は苦笑しながら一階へと下りた。

非常用出入口から外へ出て鍵を掛ける。

時刻は午後十一時十五分である。

(きょうは予定時間に終わったな)

●午後十一時三十分:二回目の巡回終了。異常なし

守衛室へ戻ると、日誌にきょうのことを書き込む。

●午後十一時三十分:シャワー

今夜はシャワーの後に、ビールを冷蔵庫から取り出して飲んだ。

(うまい!)

通常勤務を何事もなく無事に終えた充実感が、冷えたビールのうまさを倍増させる。

(よーし、明日もこの調子だ)

●午後十二時:就寝

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る