第4話 勤務1日目(2)

●午後七時半:コンビニに、電話で夕食配達をお願いする。

メニューは幕の内弁当と冷たい麦茶、それにビール数缶とつまみだ。

もちろんビールは勤務終了後だ。

配達夫はライトを点けたミニバンでやって来た。

「ミニバンってことは、配達を頼むところが他にもあるんだね」

「はい、おかげさまで。この周辺だけなら自転車でも何とかなるんですが、駅の向こう側となると、どうしても車でないと」

「あ、そうか。結構じゃないの繁盛してるんだから」

「そうですね」と照れ笑いをして配達夫は帰って行った。

幕の内の鮭が、そして煮豆と蒲鉾が、ことのほか美味しく感じられる。

●午後八時:アイラボの社員帰宅

アイラボの社員が、鍵を返しに来た。

入出者ノートに記入すると、

「じゃあ、これお願いします」と鍵を置いてそう言った。

守衛室の青白い蛍光灯に照らし出された男の顔を、私はなぜか一瞬、薄気味悪く感じた。

男は鍵を置くと自転車を押してビルの敷地から出て、ライトを点けてゆっくり走り去った。

私は男から預かった鍵を、アイラボと書かれたホルダーに掛けた。

その後、私は十時半からの巡回に備え、懐中電灯をチェックした。

ビルの方を見ると、ビルの入り口が漆黒の闇の中に、うっすらと浮かんでいる。

●午後十時半:二回目の巡回開始

懐中電灯で照らされたビルの通路は、心地いいものではない。

しーんと静まり返ったコンクリートの壁に、自分の靴音だけが反響する。

今朝と同じように入り口にもっとも近い、通路を挟んで左右にある男性と女性のトイレを見回る。問題なし。

さらに奥へ進んで給油室、そして通路を挟んで左右にある会社用オフィススペースだ。

オフィスの鍵を選びドアを開け、中を見回る。問題なし。

なぜか鍵を選ぶのが今朝より早くなった気がする。

これがこの仕事を覚えるということなのか。

(ん?)

いま、なにか声がした。

間違いない、それは一階奥のエレベーター方向からだ。

と、一匹の野良猫が懐中電灯の円形の明かりの中に佇んでいる。

(何だ、猫か)

声の原因がわかってホッとしたが、どこからか知らないがこのビルに紛れ込んだようだ。

猫の出入りでもドアは自動開閉するものらしい。

(参ったな、追い出すのは一苦労だ)

と思ったが、追い出さないわけにはいかない。

私は猫を捕まえることにした。

全神経を猫に集中する。

(そ、そうだ、ビールのつまみがあったな)

私は急いで守衛室にとって返し、イカのつまみを取って来た。

「ほーら、おいしいぞ」

袋に多くは入っていない、貴重なつまみを分け与えるのは面白くないが、そんなことは言っていられない。

つまみを小さく放ったつもりだったが、猫はサッと逃げた。

(し、しまった!)

そう思った。

だが、すぐに猫は戻って来た。

(よし、いい子だ)

貴重なつまみを惜しげもなく、猫の居る通路奥から入り口まで、イカのつまみを床に置いていく。

いくら涼しい田舎とはいえ、空調を停止したビルの中はやはり暑い。

そこへ身をかがめたり伸ばしたりする運動も加わって、運動不足の私は汗をかいていた。

私は給湯室に身を隠し、猫がイカのつまみを食べながら入り口の方へ歩いていく様子を眺めた。

(よし!いまだ!)

私は入り口と私自身の間にいる猫に向かって、しっしっしっと手を振った。

猫は入り口までのイカのつまみを平らげると入り口から出て行き逃げ去った。

急いで、出入口ドアの自動スイッチをOFFに倒した。

(ふーっ、これでもう入って来れないぞ)

その時はじめて私は、一番最初に出入口ドアの自動スイッチをOFFにしていなかったことに気付いた。

(あ、そうだった。忘れてた)

私は再び一階通路の奥へと進み、エレベーターもチェックした。

一階に停止している。

(やっぱり一階で停止しているな)

エレベーターが今朝、五階で停止していたことを思い出す。

(きっとこういうことだ。アイラボの社員は昨日は階段で下りて、きょうはエレベーターで下りたんだ。それだけのことだ)

明日、アイラボの社員が来たら訊いてみればいい。

私は自分を納得させると、さらに二階から五階まで巡回し終え、チェックシートに記入して階段で一階へと下りた。

自動の切れた入り口ドアにロックを掛ける。

非常出入口から外へ出て、鍵を掛けた。

時刻は午後十一時四十分である。

猫の一件で終了時刻が三十分近くも遅くなった。

(やれやれ、やっと終わったか)

●午後十一時四十分:二回目の巡回終了。異常なし(ただし猫の侵入あり。追い出し事なきを得る)

守衛室へ戻ると、冷蔵庫よりビールを取り出し飲んだ。

(くーっ、うまい!)

つまみは猫にほとんど与えてしまったため、ちょっぴりしか残っていない。

それでも通常勤務の他に、初日早々のアクシデントを処理できた充実感が、冷えたビールのうまさと重なる。

(よーし、明日もこの調子でがんばろう)

●午後十一時五十五分:シャワー

汗をかいたため、入念に浴びる。

●午後十二時十分:就寝

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