第2話 その日(2)

井上は中に入って来た。

「この奥が休憩室になっている。ま、休み中はあんた一人っきりになるから、どこで休憩しても同じだがな」

井上は奥にある休憩室を指し示して言った。

「いまは長椅子だが、寝る時はちゃーんとベッドにもなる。その、さらに奥がトイレとシャワールーム」

(やっぱり、そんなことか)

「洗濯機もあそこにある、そして冷蔵庫がここ」

ある程度、予想はしていたがこんな守衛室の中が宿泊施設とは。

それでも冷房完備で冷蔵庫、洗濯機にトイレ、シャワー付きでタダなのだ、文句も言えない。

「トイレといい、シャワールームといい、守衛室の中は全部、わしが清掃した。きれいだろ」

「は、はい」

「休みが終わって、あんたが帰る日、同じように全部清掃して再びわしと交代する、いいかな」

「わかりました」

「うーむ、いい返事だ。それから次だ」

井上は付いて来いという身振りをすると、守衛室の外に出た。

「さっき、あんたが自転車で入ってきたところが正門だ。門といっても長い鎖一本だけだ。門を閉める場合は鎖を、こうやって張って終わり」

なるほど。田舎だから車の出入りは少ないらしい。

「ちょっと早いが、きょうはもう閉める。やってみな」

私は言われたように太い鎖を端へ伸ばしてフックに掛けた。

「よーし、その調子だ。休みが終わるまでこのままだ。じゃ次」

やっとビルの方へと進む。

いままで気付かなかったが、井上の腰には鍵が束になった大きなリングがぶら下がっている。

「まず基本は、この非常用ドアから入ることだ。鍵はこいつだ」

井上は多くの種類の中から鍵を一つ取り出した。

そして出入口のドアに行く。

何気なく腕時刻を見ると夕方の四時過ぎだ。

ビルの出入口ドアは自動になっている。

「ここのドアの鍵はこいつだ」

井上は多くの種類の中からまた鍵を一つ取り出した。

「このドアは一番下にロックが付いている。ま、最初は、どこがどの鍵なのかわからんだろうが、すぐに覚える」

「あ、それからこのドアの脇、ここだ。この箱の蓋を開けると自動のON、OFFスイッチがある。いまはONにしている」

そのまま井上は奥へと進んだ。

私も続く。

このビルは全部で五階あり、各階にオフィスが二社分入れるから計十社入ることが出来る。

だが井上が言うには、半年前にほとんどの会社がこのビルを去り、いまは1社だけが入っているらしい。

他の会社が入る予定はまだない、とのことだった。

「まだ休みじゃないんですね」

「ああ、五階のアイラボという会社だ。そこの社員がきょう夜八時に出る時、入り口をロックすることになっている。鍵は君に返して帰るはずだ。だから、きょうは夜の巡回はしなくていい」

私は井上から、ビルの各階の巡回ルート、チェック項目を教わった。

すぐに終わるだろうと思っていたが、ところどころで井上の説明もありビルから出て来たのは約一時間後だ。

「巡回時間は朝六時半と夜十時半の二回。朝六時半と同時に非常用ドアから入り巡回開始。終了後に自動スイッチをONする。そして夜十時半の巡回後にはOFFにしてロックする」

「朝六時半と夜十時半ですね」

「この時間は休み中も守ってもらいたい。というのはアイラボみたいに、休みを取らずに出勤してる物好きがいるからな、はははは」

「あの、質問ですけど、その会社の人も夜十時半前には帰宅しますか」

「もちろんだ。夜遅くまで勤務なんてしない。どんな遅くても夜九時前には皆帰る」

「ところで井上さん、食事はどうしたらいいんですか」

「そうだ、大事なことだったな。ここへ来る途中にコンビニがあったろ、そこは配達もやってくれる。その机にメニューがあるから、電話で取り寄せだ。特別に格安にしてくれる。お得だ」

(やれやれ、毎日三食、二十日もコンビニ食品か。まあ格安にしてくれるから文句も言えないが)

「なるほど。ところで井上さんは帰郷するんですよね」

「そうよ、そのために若いあんたに来てもらったんだ」

「田舎はどこですか」

「東京だ」

「え、東京が田舎なんですか?」

「そうよ、驚いたかい」

「私も同じです。何だか入れ違いみたいですね。田舎がないので、夏休みくらいどこかの田舎でのんびりと思って」

井上は快活に笑った。元気な老人だ。

「まあ、いいわね。それじゃ、わしはこれで帰郷する。明日から頼んだぞ」

井上は素早く着替えを終えて身支度し、鞄を手に下げて私のいる守衛室を出て行った。

それから、私はしばらくは休憩室のソファで休むことにした。

仕事は明日からというものの、ここに着いてからまったく休んでいなかった。

ん?

(あれは何だ)

先ほどはよく見ていなかったが、よく見るとソファの横にある書棚のファイルの上に一冊のノートがある。

ファイルの上にあるというより、上の棚の仕切りとファイルの上との間に挟まった感じだ。

違和感があるためか、なぜか気になる。

誰かが無理矢理に隙間へ詰め込んだ、という感じなのだ。

私はそのノートを引っ張り出した。

『巡回記録xxxx年』と書かれてある。

去年の記録のようだった。

最初のページをめくると、去年の夏、つまりいま頃だ。

(ははあ、この記録も私と同じアルバイトが付けたのかな)

明日まで暇だし、私は何だか読んでみようという気になった。

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