巡回者
舞川 和
第1話 その日(1)
1.その日(1)
私はその日、都会を離れてある田舎に着いた。
大学生である私は、長い夏休みを利用してのアルバイトである。
『田舎でのんびりしながら、ビルの巡回も楽しいヨ』
ネットでアルバイトを探している時に見つけた広告だ。
短期1日から長期の一年以上まで、何日でも可、とある。
定着率がよくないのだなと思ったが、こういう類のバイトはそういうのが多い。
過去に警備員のバイトも数週間やったこともあり、一ヶ月近くの巡回程度なら楽勝と思った。
私は早速ネット上から申し込んだ。期間は二十日間ということにした。
二十日というのは、ちょうど残りの休みが終わる時期でもあり、都会育ちの私には故郷があるわけでもなく、他に何の予定もなかったからピッタリだった。
すぐに採用メッセージが来た。
私は目の前に広がる、大きな山々に囲まれたポツンとした無人駅のプラットフォームに降り立った。
周囲には人っ子一人いない。静かだ。晴れていて日差しは強いのに蒸し暑くない。
プラットホームの上空を、アゲハ蝶がジグザグに飛行しながら去って行く。
誰もいない改札を抜けると、タクシーが一台停車しているのが目に入った。
「あ、あのう、ここへ行ってもらいたいんですけど」
私は行き先の住所を運転手に見せた。
「ああ、そこならタクシーに乗らなくても、こっから自転車で二十分くらいだ」
運転手は無人駅の横にある古ぼけた自転車屋を指し示した。
「あそこで自転車を借りていけ。この道をまっすぐ行くと、右手に小せえコンビニが一軒ある。そこから五分くらい先だ」
「ありがとうございます、でも自転車を借りるわけにはいかないので」
「なぜだ」
「二十日間のバイトで、その間ずっと宿泊してるんで、こっちには来ないんです」
「おーい、聞いたか爺さん、この子に二十日の間、一台貸してやれ」
「おお、わかったー」と自転車屋の中から、一人の老人が出て来た。
さっきまで、このタクシー以外に人気をまったく感じなかったのだが。
「あ、ありがとうございます」
私は自転車屋と書かれた場所へ行き、おじさんに一台のママチャリを貸してもらった。
「タダで貸してやるが、壊したら弁償だ」
「はい、ありがとうございます。丁寧に扱いますから」
私はリュックを背負ったまま自転車のサドルに跨ると、教えられたとおりの道を、まっすぐに走り出した。
「おい若いの、バイトがんばれや!」とタクシーの運転手が背中越しに声をかけてきた。
私はちょっと振り向き、右手を上げる。
自転車は新品で、タイヤの空気もバッチリだ。
体に当たる風が、この上なく心地いい。
(あの爺さん、自転車の管理はしっかりしているな)
まさに、よくある絵に描いたような夏の田舎の風景だ。
私は貸してもらった自転車も大いに気に入ったし、何だかうれしくなった。
(お、ここだな、コンビニは)
運転手が言ったとおり、こじんまりとしたコンビニだ。
宿泊施設に食堂はないため、近くにはこのコンビニしかないのかな、そう思うとわずかに不安になった。
(だが自転車で五分程度だから、大した問題にならないよな)
私は小さな不安を消し去ると、見えてきた大きなビルを目掛けてダッシュした。
「よおー、あんたがバイトの子かい。よく来なすった」
私が自転車を守衛室の前で停めると、初老の男が窓越しに言った。
「は、はじめまして。森上啓太といいます」
私は自転車から降りると頭をペコリと下げた。
守衛室から出て来た男は、初老だががっしりした体格をしている。
「わしは井上だ。ではまーず、ここはビル構内に入ったら自転車は降りること。ま、あんたはすぐ降りたからいいや」
「はい、わかりました」
「それと、まず中に入って制服に着替えろや。話はそれからだ」
私は促されるまま、守衛室に入って壁に掛かっている制服に着替えて制帽も被った。
守衛室の中は適度に冷房が効いていて涼しい。
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