第3話マイ フィロソフィ1−3
それはともかく、僕が住んでるマンションを紹介しよう。
僕たちが住んでいるのは立川(たちかわ)中心市街のマンションに住んでいる。よく、こんな汚いところにマンションを建てようとするのか僕はよくわからないのだけど、とにかくマンションが建った。まあ、そのおかげでここから見える街の流れを見れてよいが今は僕たちが住んでる部屋割りを話す。
玄関からはいって、ちょうど右に風呂場とトイレ、左のキッチンがあり、正面に一本の道がある。その道に4つの扉があるのだが、右手前にリビングがあり、右奥に両親の部屋が、左手前に姉妹の部屋と左奥に僕の部屋がある。
そして両親の部屋と僕の部屋はリビングでつながっている。そんなつまらない場所に僕は住んでいる。
僕は今、江藤中学にいる。江藤中学とは僕が住んでる場所の近くにある公立の学校だ。
それはともかくその江藤中のとある一室に僕はいた。その部屋はマリンの部屋と言う。ここにはスクールカウンセラーがいて僕は週に一回ここに来るのだ。
ここのカウンセラーは生徒の悩みとか聞いてくれてるらしい、しかし、僕の見たところだとかしましい女子達が来たぐらいなもので、週一回とはいえ、ほとんど生徒を見なかった。
僕は今ここにいてカウンセラーと対面している。もう、このカウンセラーの名前は忘れてしまった、ただ、年の若い女性だという事は覚えている。とにかく、対面しているが、何も言葉が浮かんでこないのだ。
「笹原君。笹原君が好きなものは何?」
「……本」
「じゃあ、今度好きな本もってきて、それを読もうよ」
というのがファーストコンタクトの時交わした会話だ。それで今は本をもってきて読んでる。
「それ、おもしろい?」
「……うん」
「…………」
沈黙が降りてくる。いつもは普通にあるので何ともないけど、話をすると沈黙が上に飛ばされる。そして、話が終えると降りてくる。僕はマリンの部屋に来て何度もこういう目に合った。
しかし、カウンセラーの人は懲(こ)りずに話しかけてくる。
「笹原君はそんな日本が好きなら将来は作家さんになれるといいね」
「…………」
これを聞いて僕はかなりあきれてしまった。この当時は中学生だったけど、作家には普通はなれないし、他に言う事はないのか?と思ったのだ。
多分、あのカウンセラーも困っていたのだろう、不登校の子にどう話せばいいのか困って、それであんなことを言ったのだろう。
正直言って僕はこんな事ばかり言うカウンセラーを見下していた。子供心にもわかるお世辞しか言えない、しかもそのお世辞はかなり下手な事をするカウンセラーを見下していたのだ。
それで僕は黙々と本を呼んでいた。マリンの部屋に来ても充実した感じをもてないまま、ぶすぶすとくすぶり続ける事になるのだ。
その後母が自動車で僕を迎えにきてくれたのだ。母はどうだった?と聞いて僕は別にと答える日々。
ただ、僕が考えていたのは、どうして僕はカウンセラーの人と仲良くできないんだろう?という事だけだった。どうやったらカウンセラーを信用できるのかを考えていた。
カウンセラーは何でも話してくれていいよ、といい。僕も何か話そうと思うのだが、言葉が浮かんでこない。そもそも、どうしてカウンセラーを信用する事がわからなかった。僕はカウンセラーの人となりをまったく知らないし、そういう人に対してどうやって信用して話すという事がわからなかった。
しかし、カウンセラーとか精神科医の著作を呼んでいると人が普通にカウンセラーに話している姿を書いているので、カウンセラーを信用できない僕が異常なのかと思ったのだが、今は180度考えが違う。
昔の僕の考えが正しかった。カウンセラーというのは端的に言って異常な存在なのだ。
本来の人間関係は出会って話をしてその後関係が深まったりするのが誰もが抱いてる人間関係だろう。その時、関係が深まるのに必要なものは何か?という問いにはそれは人によって様々だが、しかし、だいたい次の事が関係を深くしたいという要素ではなかろうか。
つまり、その人は自分にとって利益を引き出すかどうか、だ。
ここで言う利益はただの自分のステータスという事ではなくて、例えば相手の優しい言葉遣いが自分にとって安心できるという、事もここで言う利益の一つだ。
そしていくら自分が利益ばかり追求しても相手は一向に見向きしなくなるという事に気づいたら人間関係の端緒をつかむ事になる。そう、自分が相手を査定する立場であると同様に相手も自分を査定するのだから、相手と友人同士になりたかったら自分が相手を満足してもらえるようなものを与えないといけないのだ。そうしたら相手もこちらに向いてくれる。人間関係はそういうものなのだ。
これが通常の人間関係ができるあり方だろう。これがわかればカウンセラーというのはどこかおかしいという事に気づくはずだ。
カウンセラーはこちらが与えないのにはなしを聞いてくれる。いや、与えるものはある。それは金だ。金でこちらの話を聞いてくれるのだ。
普通に考えればわかると思うが、仮に金を払って友達になってもその友情は長続きするか?
いや、普通に考えればわかる事だけど、それははたして友情と言えるのか?と普通なら考えるだろう。
ここで普通、普通って言うのを疑問視する方もいよう。普通はそんなに普通なのか?と考えられた方もいるだろう。その気持ちはわかります。確かに僕もことあるごとに普通という方は好きではないが、ここで考えなければならのは金で友情を買うという状況なのだ。
この状況を考えてあなたはおかしいと思わないのか?
僕はおかしいと思う。どう考えても異常だろうと思う。この状況で『異常』を使わずしていつ『異常』を使うのか疑問に思うほど異常だと思う。
資本主義の発展でいろんなものを商売にして言ったが、ここで一番商品にしてはいけないものを商売にしてしまったのだ。それがカウンセラーというものだ。
人間は基本的に自信の欲望に基づいて生きているから、だからこそ、人間関係を商品にしてはいけない。人間関係を金で買ってはいけない。人間関係というものは自分の利益を優先すると必ずしっぺ返しを受けるものだ。若い人はそれを学ばなくてはならない。そして、人に与え続ける事によって、ようやく人に認めて貰える。そういう事が真の絆というものではないか。カウンセラーや精神科医は金で買うから親しくなれないし、なにより若い人だと人間関係の試行錯誤(しこうさくご)を奪うからその罪は重い。
精神科医は投薬で治療する分カウンセラーより危険度は少ないが、それでもそれは薬をくれる人ぐらいの認識でいいと思う。最近、よく話を聞く精神科医もいるが、そういう人は信用してはいけない。適当に話して、さっさと切り上げるのがベターだろう。
もちろんベストはそういう人達関わらない事だ。しかし、関わらざるを得ない場合もあるから、(特にカウンセラーは僕はもうなくなってもいいと思うが、精神科医は投薬によってなおる場合や、寝れる場合もあるから精神科医はあってもいいと思う)そのときは話半分に聞いておくとよい。
それはともかく、僕は母の車の中でどうすればカウンセラーと打ち解けれるのか?僕に友達ができるのか、を考えていた。
今ならわかるのだが、この当時の僕はカウンセラーに過度に期待をしていたのはやはり自分が他人に合わせたり、他人を愛する事に気後れを感じていたからなのだろう。
この当時の僕に言いたいのだが、やはり自分が愛されるには自分が率先して人を愛さなくてはダメだ、という事だ。この事がわかった時に友達を作れるスタートラインに立つのだ。
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