隠居が通る17 当身にて気絶させ、籠にに乗せて深川の掘りに連れて行き、隆久の印籠を袂にいれ川に投げ入れたのです、なに食わぬ顔をして宴席に戻り、金を渡して放免しましたと言
隠居が通る17
当身にて気絶させ、籠にに乗せて深川の掘りに連れて行き、隆久の印籠を袂にいれ川に投げ入れたのです、なに食わぬ顔をして宴席に戻り、金を渡して放免しましたと言うと分かった、
又頼むぞと言って、後は今席にいる熟れたもみじ狩に御座いますと言うと、それも、又楽しみじあと言ったのです、翌日は堀川に遺体が上がりか町奉行所の調べでは手籠めにされた、
らしく、
思いあまって堀川に身を投げたのだろうと言って、袂に入っていた印籠をみせ、これは佐土原5万石、島津隆久様の紋所じあ、一応大目付には報告しておくと言い、遺骸を引き取るよう、
に言ったのです、大目付から若年寄り、老中の耳に入り話し合った結果、稲葉正俊はそれがしの養女の嫁ぎ先なれど、ゆいゆいしき問題に御座りますれば、大目付の詮議にて事の白黒、
をつけるべきでありましょうと言うと、
家光がこれが事実であれば大名にあらざるべき行為じあ、厳しく詮議せよと大目付にいいつけたのです、さつそく大目付仙石岩見の守が島津隆久に、詰問の使者として屋敷に行ったの、
です、隆久に事の仔細を言って事実で御座るかと聞くと、そのような事は見に覚えがないと言うと、これはそなたの物であろう、これが娘の袂に入っておったのだと見せると、たしか、
にこれはわしの物だが、
どこかで落としたものだと言ったのです、そうで御座るか、今町奉行が当日の足取りを探索しておる、じきに判明するであろう、判明すればいい訳無用で御座るぞ、覚悟めされいと言、
って帰って行ったのです、驚いた隆久はどうゆう事じあと聞くので、まさか高見屋の娘とは知りませんでした、深川八幡にお参りに来ていた娘でして、あまりにも美形ゆえ、殿の好み、
と思い呼び出しの手紙を小物にいうて渡したので御座います、
まさか堀川に身を投げるとは思いもしませんでした、しかし、印籠を取られるとはと言うと、意趣かえしに抜き取ったのであろう、これで佐土原藩は改易じあとため息をつくので稲葉、
様に頼めば何とかなるのでは御座いませんかと言うと、へたに庇えば稲葉殿にも類が及ぶので庇うては下さるまいと言うと、ご本家の義弘様にお頼りになる他御座いませんと言うと、
そうするしかあるまいと言ったのです、
隆久が義弘の屋敷に行くと、なんと言うばかな事をしたのじあ、弟ゆえ上様には寛大な処置をお願いするが、ヘタに庇えば本家にも類が及ぶぞとため息をついたのです、このような時、
正直殿がおられればのうと言うと、昨今の経緯により庇うては下さりませぬというと、まあ、切腹を覚悟せねばなるまいと部屋を出て行ったのです、屋敷に戻るとお峰の方が入って来、
て印籠を抜き取られるとは、
何と言う失態をなされたりじあと言うので、元はと言えばそなたが町娘の、もみじ狩などとわしを煽ったからじあというと、なんと、殿はわらわのせいになさるのか、男らしくもない、
そうそうに屋敷を出て実家に帰りますと部屋を出て行ったのです、町奉行が当日のお妙の足取りを探ると、使いの小者が深川の料理屋に踊りの師匠からの文が来て出かけたとの事であ、
り、
踊りの師匠は呼んだ覚えはないとの申し立てであり、行った料理屋の女将に尋ねると、確かに来たので離れの座敷に案内したとの事である、その席は島津隆久様の座敷であると申した、
てたのです、店を出たのは誰も見ていないとの事であった、この事を奉行から大目付に報告すると、大目つけは老中に報告したのです、正俊がさすれば隆久がてごめにした事は間違い、
ないと言う事だ、
帰りを誰も見ていないと言う事は隆久の家来が掘りに投げ入れたか、自分で身投げしたかは分からぬと言う事じあなと大目付に聞くと、そうで御座りますと答えたのです、しかし町娘、
をかどわかして手籠めにするとは、重罪で御座ると正俊が言うので、正春が殺害した証拠があればともかく、証拠はないのでござれば、改易とはあまりな仕置きかと思いますと言うと、
家光が島津本家の義弘から寛大な処置を願い出おる、正春が言う事にも一理あるが他の老中共はどうじあなと聞くと、全員正春に賛同したので、家光が隆久は蟄居謹慎させて、隠居願、
いを出させる、なお跡目は世子がいないゆえに、島津本家から養子をたてるべしと言い、正俊はどうじあなと家光が聞くと、上様のお仕置きに異存御座りませんと言うので、それでは、
仙石岩見の守さつそく使者に立つのだと申し渡したのです、
正春を除きみんなが退席すると、家光がまさか正俊の細工ではないだろうなと言うと、十分考えられますが、証拠は何一つありません、隆久殿の乱行は事実なればいた仕方ありませぬ、
家臣が助かってよう御座いました、隆久殿とお峰の方の取り巻き以外にはなんら罪なき事です、しかるに、扶持を失い路頭に迷わせるわけには行きませんと言うと、正俊は佐土原藩を、
潰して何か得があるのかと聞くので、
父上からの便りによりますれば、お峰の方は正俊殿のお手がついているのではないか、隆久殿に嫁がせて自分の子を産ませ佐土原藩を乗っ取る計画だったのでしょうが、子が生まれず、
側室が子を懐妊したので、始末しょうとした、事が公になったので取り潰す事にして、手柄にするつもりではないかと言う事です、たしかに録を召し上げれば幕府は潤うので恩賞とし、
て加増はし易くなるがと言うと、
老中としての実績を積み上げたいので御座りましょう、さすれば上様も加増しなければならなくなります、正俊殿は5万3千石にで老中の中では一番少ない石高です、不満なのでしょう、
と正春が言ったのです、おとなしゅうしておれば正直に預けた三松の一部でも飛び地として加増してやった物をと言ったのです、父上にお預けなされた事も不満なのでしょうと言うと、
それで無用に正直に対抗しょうとしておるのか、近習の時はそのような欲を持ってはいなかったがと言うので、権力を持つと人は変わるのですと正春が言うと、そなたはなぜ欲がない、
のじあと言うので、小さき頃より父上に大身は身を滅ぼす元であると言われておりますゆえに、あまり欲しくはないのです、老中職もできれば返上して領国の治世に力を入れたいと、
思います、
領国を豊かにして民が生き生きと暮らしている、様を見るのは何よりも楽しき事です、領国が大きくなれば目も届きませぬし、悪い考えを持つ家臣も増えまする、5万石あたりが一番、
治められる石高にございます、弟達が羨ましく思いますと言うと、忠長もたった1万石なれど楽しく暮らしている、そうじあと言ったのです、しかし正直は一時90万石の大大名になっ、
た時期もあるが、
楽しそうに治世していたぞと言うと、父上は家臣にまかせて治世するのが上手なのです、直接治世していなくても、不正を見抜く力は抜群です、見つけて責めるのではなく、いつのま、
にか更正させるのです、剣においても今までた父を殺そうとした、東郷、佐々木、今回は山田がしっかり忠臣になっているではありませんかと言うので、そうだな正直の為に命を投げ、
出して働く者が増えて行くから不思議だなと笑ったのです、
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