隠居が通る6 成るほど、わが父秀忠公も真田昌幸の2000の兵を侮り、上田城に掛かりあった為に関が原には間に合わず、家康公に叱責を食らったと聞く、またその倅真田幸村の出城を
隠居が通る6
成るほど、わが父秀忠公も真田昌幸の2000の兵を侮り、上田城に掛かりあった為に関が原には間に合わず、家康公に叱責を食らったと聞く、またその倅真田幸村の出城をみて挑発に、
のりその前田勢、井伊勢は大損害をおった、大きい軍勢ゆえに驕りが出るというわけだと頷いたのです、祐兵が後は四国攻めで御座る、2万石に増えましたので兵も500人に増えたの、
で御座る、
正直殿の進言で全て鉄砲隊として、鉄砲騎馬隊300に徒歩鉄砲隊200にしたのです、槍、弓隊は置かなかったのです、また刀は1本として背丈に合う用にそれぞれ長さを決め、後は鎧、
通しのみとしたのです、鉄砲隊300は3隊に分け、一隊100人が射撃すると次ぎの100人が射撃している間に玉込めさせて、連続射撃が出きるようにしたのです、さらに大筒を2門用意、
したのです、
これは野戦ではあまり役には立ちませんが城攻めの場合敵の弾の届かない場所から城門を打ち破る為です、城門を打ち破ろうと城に近づけば弓、鉄砲等で相当の被害がでます、四国、
に渡り高松城攻めに入ったのです、福島勢と藤堂勢が戦功争いをして攻めかかりましたが、城は簡単には落ちず甚大な被害を出したのです、そこで正直殿が敵の鉄砲、弓を潰すべく、
大手門前に250間に300人の騎馬鉄砲隊を並べたのです、敵は銃撃して来ましたが弾は届きません、300人は鉄砲を構え弓、鉄砲の城の窓に向かって一斉射撃をしたのです、当然窓に、
は敵の鉄砲隊が構えているはずです、外からは敵に玉が当たったかどうかはわかりませんが、我が兵は十分に訓練されていますし、中には大勢鳥撃ちの猟師の経験者がいたのです、
3度の銃撃をして、次には大筒二門で砲撃を加え、大手門は木っ端微塵に吹き飛び、中に大勢の兵がいましたので、こんどは3段構えにして次々と銃撃したのです、敵の鉄砲、弓、
隊は壊滅したらしく反撃はありませんでした、そこで福島、藤堂隊に手柄を譲り突撃するように促したのです、大手門より2軍が突撃して本丸へ押し上げたのです、次ぎに大筒を、
本丸に打ち込むと、壁は吹き飛び敵はその威力に驚いていました、降伏勧告をすると開城したのです、これにより讃岐、丸亀の国人は帰順したのです、落城の手柄は福島、藤堂の、
軍勢としたのです、次は元親との盟友である伊予の河野直道の立てこもる3の城です、藤堂隊、福島隊と加藤隊に秀次本体2万で3つの城を囲んだのです、加藤清正に城を囲み時が、
来たら一斉攻撃する、
城は頑強に抵抗するはずだから、城の死角に兵2000を潜ませ、他は諦めて本体に合流すべく引き上げる、敵は城を出て追撃に移るはずだから、伏兵2000が大手門に殺到すれば味方、
がいるので敵は銃撃できないので、本体は急ぎ引き返し一気に大手門から攻め入れば必ず落城すると正直殿が清正殿に策を授けたのです、本体の中には10000の国人がいたので、
河野軍に通じているのも数多くいると見た正直殿は城は囲まず、大手門の両脇に国人5000を並べ、その後ろに1000丁づつの鉄砲隊を配置して前面に8000の秀次軍を配置させたので、
す、国人が裏切れば、後ろの鉄砲隊が一斉射撃します、大将は後ろにいますからいい的となり軍は壊滅します、国人が信用していないのかと食ってかかると、敵が打って出て来た、
ら、
早急に本体の両脇に陣を移動し敵を押し包む陣形であるが、もし敵と内応すれば一斉射撃をすると正直殿が言うと、国人は了承するしかなかったのです、城には2万が籠もっており、
加藤隊が来なければ攻める事はできません、そして加藤清正殿は正直殿が授けたとおりの作戦で城を開城させて戦隊に合流したのです、福島、藤堂隊はまたもそれは、甚大な被害、
をこうむり、
城を取囲んで戦線は膠着したのです、一つの城は落ち、一つの城は囲まれて身動きできない状況となったので、河野直道は絡めてから打って出て、土佐の元親軍に合流する事にした、
のですが、半数近くの損害が出る事を覚悟したのです、正直殿が単身城に乗り込み、一騎打ちして河野殿が勝てば絡めてから出ても追撃しないので、自由に元親軍と合流しなされ、
もし負けた場合は開城して、秀次軍に加わわる事、この場合は領地は安堵すると言う条件を秀次公に納得させて使者になったのです、河野直道はこの条件をのみ、大手門を開いて槍、
を持ち正直殿との一騎打ちに望んだのです、しかし河野直道は槍は叩き落とされ、刀は折られて負けたので秀次軍に帰順して、元親攻略軍に加わったのです、城にそれぞれ守備兵を、
おき、
総勢6万の軍勢が土佐に向け侵攻したのです、元親も土佐一国以外は全て秀吉公に差し出す事で軍門に降りここに四国平定は終ったのですと話すと、それではことごとく正直の手柄、
ではないかと忠直が言うと、それは違いまする、それだけの軍勢がいたから策が考えられたので御座れば、刀、槍をして戦った者の手柄にしなければ軍団は成り立たないのです、
それがしは大した命のやり取りはしていないのですといったのです、
河野殿との一騎打ちは勝ても負けても、開城するわけです、絡めてから出ても、追撃しなければどちらにも犠牲はでないわけです、片方の城が落ちたときに勝敗はついていたのです、
ならば加藤清正殿の手柄と言う事に、なる訳けですと言ったのです、忠長がそうだがわしが秀吉公でも、正直に一番の恩賞を与えたいがのうと言うと、そんな事をなされると、命を、
かけて戦場に出る者はいなくなります、
それは君主のなさる事ではあませんと話すと、祐兵が正直殿の考えが多くの命を救う事に繋がっているのです、従ってそれがしも多くは望まぬようにしたのです、多く望んで手に、
いれる野望は誰しも御座りますが、それを維持するのはもっと大きな努力が必要です、武力に長けてても管理能力がなければ皆を不幸にする事になりますと祐兵が言ったのです、
そして九州攻めとなりわたしはこの地を回復して、正直殿は伊勢、桑名を領する事になったのですと話しを終ったのです、忠長が中々良い話しであった、まさに2人はその戦乱を潜、
り抜けたわけじあ、そこまでして手に入った天下泰平なのじあな、なんとしても泰平の世が長く続けなければならんなと灌漑深げに酒を飲み干したのです、しかし、祐兵と正直は、
仲が良くて羨ましいぞと言うと、
祐兵が小さい頃は正直殿はわたしの近習で御座って、色々悪い事をやって正光殿に叱られたもんじあと言う、正直が祐兵殿もイタズラ坊主でござったな、それがしは逃げ足が速かっ、
たので、捕まるのはいつも祐兵殿で御座ったなあと言うと、そうじあ、そうじあ、正直殿が1つ叱られればわしは3つ叱られておった、しかし、戸田先生は恐かったなあ、かの先生か、
らは正直殿とて逃げる事などできなかたで御座るなと笑ったのです、
戸田先生が正直殿に抜き胴で一本取られたとき、しかめ面をして一言油断であったと竹刀を納められて礼をされた時は、みんなで腹の中で笑っていたのだよというと、あの一本を取、
る為に、何度面を打たれたかしれません、それで、少し脳味噌がゆがんだのかもしれませぬと言うと、忠長がそれだ、それで脳味噌の欲の部分が潰れたのだよと言うので、みんなが、
大笑いしたのです、
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