隠居が通る5 鉄砲の火薬を多めにして飛距離を200間から300間飛ぶようにしたのです、火薬を多くすると熱が冷めない為に次の火薬を入れると暴発するのです、そこで銃の筒に丸い鉄


隠居が通る5


鉄砲の火薬を多めにして飛距離を200間から300間飛ぶようにしたのです、火薬を多くすると熱が冷めない為に次の火薬を入れると暴発するのです、そこで銃の筒に丸い鉄板を貼り付、

けて、熱が冷めやすいように工夫したのです、更に火薬の量を一定にする為に予め紙の袋に同じ量の火薬を入れて、この袋を歯で噛み切りいれるようにしたのです、こうすれば素早、

く適量の火薬を入れる事が出来るのです、


敵の火縄銃より100間余計に飛ぶわけです、勿論具足をつけていますからその隙間を狙えば遠くから敵を倒せるわけですが、腕がよくなければダメなわけで、相当の訓練が必要です、

さらに騎馬の上から鉄砲を撃つ騎馬鉄砲隊に50人を全員にして、火縄銃は肩に担げるようにしたのです、そしてもう一つ花火の紙の玉の中にクギを細かく切った物を詰めて導火線、

を付けて、


これに火縄の火種を点火して敵に投げつければ殺傷力はさほどでは有りませんが、馬を立ち止まらせる事は出来ます、逃げるときに相手の追撃を遅らせる為です、全て正直殿が工夫、

したのです、この準備をして戦に向かい、小牧にお互いに陣地を構築したのです、動いたほうが負けです何とかして敵を挑発しなければなりません、そこで正直殿が秀吉公にひとつ、

おどかしましょうと言と、


やってみろと言う事になり、50人が敵の砦250間前に勢ぞろいしたのです、敵が鉄砲を打ちかけてきましたが、当然届きません、撃つのをやめたのでこちらも銃を構えてたのです、

当然届かないと思っていますから敵は無防備です、敵の頭と思われる者の頭を狙って、一斉射撃をするとバタバタと倒れたのですが、何が起こったのかは分かりません、3度まで、

射撃すると、


100人以上が倒れたのです、そこで鉄砲は使わないので勇気のある、武者はいないのかと大声で言うと、挑発に乗150騎が門を開けて突撃して来たので、今度は手投げ弾を構えて、

投げつけると50発が大きな音をして爆発して馬が立ちあがり、大勢の者が振り落とされたので、さにら1人2発を投げると、殆んどの騎馬武者が馬から落ちたのです、これで、

死傷者が100人以上でて、


この初戦で約200人の損害を与えたので秀吉軍は大いに気勢が上がったのです、それからは戦線が膠着して敵も用心して柵からは出てこず、弾除けの後ろに隠れてしまったのです、

秀吉公は大いに喜んで、この戦一の手柄だと褒めたのですと話すと、忠長は目を輝かして聞いていましたが、凄いもんだな、たつた50人で一瞬に200人もの敵を倒すとはと言う、

ので、


祐兵が敵とは家康公の軍勢ですぞと言うと、そうか我が爺様かと言って酒を飲み干したのです、しかし、これでは済みません、これを見た味方の池田輝政公が自分も手柄を立てた、

いと、このままではらちがあかないので、こちらは4万人、敵は2万5千人だ1万5千で迂回して浜松を襲えば敵は退路を立たれて壊滅すると、中入りの戦法を進言したが、中入りは、

敵に分かれば全滅の危険があるとこれを許さなかったのです、


しかし秀次公が自分が大将として行きたいと言われて、池田輝政公がこれを認めないなら陣払いをして帰ると言い出すので、仕方なく秀吉公は認めて、但し敵に発覚した場合には、

進撃した道は通らず大きく迂回して小牧の陣に引き上げるのだ、敵は引き上げ道に必ず伏兵を置き挟み撃ちにするので軍は壊滅すると言うと、輝政公と秀次公は了承したのです、


さらに秀次の護衛として正直率いる50騎を同行させると言うと、輝政公がすでに手柄を立てている、正直殿の同行は承服できないと言うので、やむなく了承したのです、そして、

夜半過ぎに輝政、秀次軍は陣を抜けて迂回して浜松に向かったのです、秀吉公は正直殿に心配だから秘かに後をつけるように言って、正直殿が50騎を引き連れて後を追い間道を、

行き先回りしたのです、


家康公は中入りをした事に気ずき1万500を秘かに陣を抜けさせ追撃に向かい、一体は間道を通り待ち伏せしたのです、帰り道にはふく兵をあちこちに隠し、待ち伏せは田んぼの、

先の川の川原と、入口の森の中だったのです、田んぼには水がはってありにぬかるみの為、馬一頭が通れる道しかなく軍勢は延びきる場所だったのです、先頭が川原にさしかか、

つた時に、


一せい射撃にあい馬は田んぼに入り足をとられて、身動きが出来なくなると後ろの林から徳川方の軍勢が襲い掛かり、あっと言うまに秀次軍は支離滅裂となり逃げまどったのです、

これを見た池田輝政は軍に退却命令を出しこともあろうか来た道を引き返したのです、正直殿は秀次軍の中にわって入り50騎馬で秀次公を囲み前を突破して大きく伊勢路を迂回し、

たのです、


追撃する徳川軍に手投げ弾を投げ込むと、騎馬武者は馬に振り落とされ追撃が緩むと、一目散に走ったのです、そして大きく迂回して小牧の陣に帰り着いたのです、引き返した、

輝政公は伏兵にあえなく親子共々討ち死にしてしまい死傷者は3000人に登ったのです、家康公は大喜びした事でしょう、しかし両軍にらみ合うままの勝負はつかず、その内徳川、

と連合していた織田が、


秀吉公と和議を結び黙って和議を結んだ家康公は怒ったが、秀吉公に一撃を浴びせたのを良しとして軍を引き払い浜松に帰ったのです、結局は勝負はつかず引き分けと言う事だ、

ったのです、この戦の後私は5000石から2万石に加増されたのです、秀吉公は正直殿の力を認め伊勢、桑名28万石を下されると言われたのす、私に遠慮しないで貰うように言っ、

たのですが、


正直殿はまだ伊東家の旧領は戻って来ていないとしてこれを断ったのです、秀吉公はならば九州攻めで祐兵の旧領が戻るまで預かるが、その後は辞退する事は許さんと言ので、

正直殿は承知されたのですというと、忠長が昔も今も正直は欲のない奴じのうと言うので、貰えば苦労が多くなるだけにございます、家臣も増やさなければなりませんし、


それを守るのも骨がおれます、そんな苦労はそれがしには出来ないのです、100万石を守り続けている前田殿こそ大したもんで御座る、100石もあればひもじい思いはしなくても、

いいし、気楽だと思うんですがと正直が笑ったのです、忠長がしかし鉄砲と言い、手投げ弾に、火薬を紙に入れておく方法、等の工夫はどうすれば出てくるのかのうと聞くので、


最初から多くの兵力を持っている人は考えません、兵力が少ないがゆえに何かをしなければ、手柄はたてられません、ならば騎馬隊に鉄砲をもたせればいいではないですか問題、

は馬の上です早く火薬と玉を入れる方法を考えるしかありません、また騎馬武者は騎馬武者が倒さなければならない事はないのです、馬は臆病な動物ですし、あれだけの速さ、

から落ちれば必ず何処かの骨は折れますと言ったのです、


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