第8話 五月六日 バー・セラピスト
黒崎アイリを家まで送った俺は、帰宅早々溜息をつくことになる。
「あー、ルシファーおかえり~」
「おい、ブネ。ここでは飲むなと何度言ったら・・・・・・」
「はーい、でもここがいいんです~~」
ブネと呼ばれた三上は上機嫌にそう答えると、カウンターに置かれたグラスをグイッと一気にあおった。
「だってぇ、ここのカフェってさー。実質オレ達の休憩場所になっちゃってるし~。お客さん来ないんだもん。それにさー、カフェの雰囲気って言うより喫茶店兼バーの方が似合ってると思う~」
ブネはガリガリと残った氷を噛み砕きながら、そう宣う。
そう、ここに店を構えてからは、実質客らしい客は黒崎アイリが初めてだったのだ。
だが、それとこれとは訳が違う。
「飲むなと言っているわけじゃない。ここで飲むな、と言っているんだ」
職場で酒を飲むな、と言っているだけなのに、何故かこいつらには話が通じない。
「リビングで飲めってか。まあ、俺はそれでもいいけどよ」
「ケルベロス・・・・・・」
五十嵐はウィスキーを舐めながら、それでもソファから移動する気配は見せない。
「そもそも、お前の私物がここにあるのが問題なんだ、ダンタリオン」
そう呼ばれて四ノ宮は、
「いやぁ、その名前~。四ノ宮の方が気に入ってるんだからそっちで呼んで~」
と、埒が明かない。
「いいじゃないか、ルシファー。どうせ今日は店仕舞いだろう。どこで飲んでようと、片付けるのはいつも僕の役目なんだし」
カシスサワーを飲みながらそう呟いた二条は、ふう、と溜息をつく。
「カミオ、お前まで・・・・・・」
「ルシファーが気にしすぎなんだよ。ここはあくまで店であり家の一部。掃除さえ行き届いてれば、何処で飲もうと自宅で飲んでるだけなんだからさ。あ、四ノ宮、おかわり作って」
「んーカミオ、オリジナルカクテルでもいいかしら~?」
「いいよ、何でも。飲めるものならね」
「じゃあ今夜は特別なの、作っちゃう。ルシファー、あんたも飲むでしょ。何がいい?」
仕方なく折れた俺は、
「ジン。ショットで」
オーダーをしてしまった。
ドカっと空いているカウンター席に座ると、すぐに用意されたジンが届く。
それを一気にあおると、喉の奥に心地よい刺激が通り抜けていった。
「で、どうだったのよ、アイリちゃん。車には乗れたの?」
「ああ、車自体は問題ないようだった。もしかしたら距離が短かったから恐怖心が沸かなかっただけかもしれないが」
「そう・・・・・・パニック障害の患者さんには車や電車みたいな箱ものに入れられただけで、恐怖心から発作が起こることもあるって読んだわ。まだ車に乗れたのは不幸中の幸いね」
そう言いながらダンタリオン、―――四ノ宮は、新しいカクテルを作り始める。
その様子を俺は黙って見ていることにした。
比重の違いを使って何層にも分かれた色のグラデーション。
それは七色の輝きをしていて、四ノ宮が何を思ってこれを作ったのかがすぐに読み取れた。
出来上がったグラスが、カミオの前にススっと滑らされる。
「ふふ、今日の記念にね。【アイリ】よ」
カミオは少し口元で笑うと「綺麗だ」と呟いた。
「あの子にぴったりな色だね~」
カミオの隣に座ったブネが、うっとりとしながら【アイリ】と名付けられたカクテルを眺める。
「久々に飯にありつけたんだ。あいつには感謝しねぇとな」
ケルベロスはそう言うと、突如その身体を闇に包み、次の瞬間には黒猫の姿になっていた。
『他にもイイカモがいねぇか、見て回ってくる』
そう言い残し、ドアの隙間からするりと部屋を出ていった。
「仕事熱心よね~ケルベロスったら。けど、アイリちゃん見付けたもケルベロスだから、やる気出ちゃうのは仕方ないか」
―――あんな子、滅多にいないでしょうけど。
そう呟きながら、四ノ宮は二十五年物のウィスキーを取り出して、グラスに注ぎ始めた。
「お前、まだ飲む気か」
「あんたなんてまだ一杯しか飲んでないじゃない。付き合うわよ」
グラスをもう一つ用意して、大きめの丸い氷を入れ、そこにウィスキーを注ぎ込む。
琥珀色の液体が、部屋の間接照明の光を受けてキラキラと輝いていた。
「ほぉら、今日という日に、かんぱーい」
「・・・・・・乾杯」
カツンとグラスを傾けあって、お互いちびりと琥珀色の輝きを飲む。
薫りが鼻の奥からふわりと広がり、何とも言えない酩酊感を感じる。
―――旨い酒だ。
こいつらが今夜こんな飲み暮れているのも理解できないわけじゃない。
何せ極上のカモが見付かったのだから。
―――黒崎アイリ。
通常の人間で、一度にあれほどの結晶糖・・・・・・七色の金平糖を生み出す人間などほぼいない。
これまでも世界を転々としながら、その土地の人間を癒し、結晶糖を集めてはきた。
だが、精々一度に得られるのは五粒ほど。
一人一つあればいい方だった。
「今や魔界も天界も、戦争を起こすだけの体力がない。俺はその状況を良いとも悪いとも捉えている。戦争で同胞を減らすより、それぞれの世界が無干渉でいればその分文化は発展する。だが、その間に天界に力をつけさせるのだけは阻止しなければならない」
ゴクリと一口飲みながら、俺は続ける。
「このまま黒崎アイリをうまく使えば、魔界にいる同胞にも結晶糖を分け与えることができるかもしれない。そのためにも全力であの女を癒す」
「いやねぇ、あの女、ですって。アイリちゃんでいいじゃない」
カラン、と氷が音を立てる。
四ノ宮が爪先でグラスの氷を弄んでいた。
静かになったな、と思えば、ブネが寝息を立てている。
カミオがそっと告げる。
「一番彼女に情をかけているのは、ルシファー。あんただと思うよ」
「何?」
「情かけ過ぎ。言葉に出して自分に釘刺さないといけないくらい、気になってるんでしょ」
「そんなことはない」
「まあ、僕はどうでもいいけど。あ、四ノ宮【アイリ】美味しかったよ。今度また作って」
「あらそう?じゃあまた作ってあげる」
カミオは隣の席で酔いつぶれたブネの片手を取り、肩にかけると立ち上がり、そのまま部屋を出ていこうとする。
「あら、今夜の片づけは?」
ブネを担いだカミオは振り向くと、至極嫌そうな顔でこう告げた。
「今夜くらい、あんたがやってよ、お父さん」
そういうと彼はそのまま二階の部屋へと向かっていってしまった。
「・・・・・・ですってよ、お父さん」
「・・・・・・・・・こういう時にだけ父親扱いか」
「反抗期よりはましになったじゃない~クソ親父って呼ばれてた頃のあんたが懐かしいわ~」
そう言いながらゴクゴクとウィスキーを飲み干す四ノ宮に、俺は嘆息しか出ない。
俺は自分のグラスに映った自分自身を眺めながら、ぼそりと呟いた。
「そんなに俺はあの女を特別視しているか?」
自覚は、少しある。
苦しむ彼女を前にした時、何もできない自分が歯がゆくて仕方なかった。
苦しみを理解できない自分が、情けなかった。
けれどそれは、癒さなければ結晶糖を得られないからだと思っていたからだ。
実際には、俺達は癒したとは言い難い。
発作が自然に収まるまで何もできなかった。
傍にいて、様子を見守るくらいしか。
なのに、結晶糖はあんなにも集まった。
不思議だった。
何故癒してもいないのに、結晶糖が集まったのか、と。
「別に、特別視してもイイんじゃない?」
「・・・・・・・・・・・・」
「あたし達悪魔は、情を持ってる。天使どもと違ってね。それだけ人間に近いのかも。人間から悪魔になる者は今までいくらでもいたくらいだもの。けれど、情を持つことは禁止されている。何故か」
「――――――情を持てば、喰らいたくなるからだ」
カミオは人間の女と俺との間に生まれたハーフだ。
カミオの母親は、カミオを生んで間もなく、自殺した。
魂までは譲らない、そういって俺に喰われることを回避したのだった。
「あの欲求は、凄まじいものだ。俺でさえあいつを喰らいたくて仕方がなかった。カミオが生まれるまで、地獄のような日々だった」
「でも、ルシファー。あんただけは特別じゃない?」
「それは・・・・・・」
「魔界の王、悪魔の中の悪魔。ルシファーには許された権限がある。それは【魔界の花嫁】の権限」
魔界の花嫁。
それは魔界の王にだけ許された権限。
人間の女を自らの眷属にして、永遠の命を与える権限。
そもそもこんな権限が許されるのは、悪魔同士には子供が出来ないからだった。
人間でありながら永遠の命を手にする者。
その役割は、王の子供を産むことだ。
「あの女に、俺の子供を産んでほしいとは思わないがな」
シニカルに口元を歪ませれば、四ノ宮は「あら、そう」とだけ言った。
「まぁ、あたしは楽しく見せてもらうだけだけどね~」
窓の外が白く輝き始めた。
「あーあ、魔族の時間の終わり、か。昼間はあいつらが活発になるから嫌いよ」
天使は昼間の太陽の下を好んで活動する。
だから黒崎アイリも昼間は外に出られないのだろう。天使の加護が強過ぎて、発作を起こしやすくなるのだ。
せめて雨の日であれば、外に出ることもかなうだろうが。
「さてと、じゃあお片付けは頼んだわね、お父さん?」
「お前にお父さんと言われる筋合いはない」
「あはは、じゃーね、ルシファー。おやすみ」
「ああ・・・・・・おやすみ」
白々とした朝の気配は、悪魔達の睡眠時間の始まりだった。
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