第7話 五月六日 掌



嫌な夢を見た気がする。

両親が、死んだ時の夢だ。

両親は海外で起きた銃乱射事件の犠牲者になって、この世を去ってしまった。

私一人を残して。

連絡が来たとき、私は大学院の修士論文提出が終わり実家に帰ろうとしていた時だった。

向こうの日本総領事館からの連絡で、それを知った。

実感がわかなかった。

現地に行って本人確認をしてほしいと言われ、チケットを取った。

フライト中も心は空白だった。

何が起きたのか、言葉で言われても理解出来なかったのだ。

そして現地に着いて、領事館員に連れられて行った病院で私は初めて理解した。

二人がもう、生きていないことを。

悲しみが心にあふれ出たのに、涙は一滴も出なかった。

それからだ、私が神を信じなくなったのは。

善良な、両親が、いったい何をしたというのだろう。

何故、あんなむごい死に方をしなければならないかったのだろう。

神がいるならば、どうして見過ごした?

助けられる力があるなら、何故見殺しにした?

そう思うと怒りに似た何かが心を蝕んだ。

―――だから私は、神の存在を信じない。

この命が尽きるまで、絶対に。




目を覚ました私は、ふと自分の右手に目をやった。

(一之瀬さん・・・・・・)

その手は、大きな一之瀬さんの手に握られていた。

(傍にいてくれたんだ・・・・・・)

一之瀬さんはベッドの脇にある椅子の上でうたた寝をしている。

その膝の上には医学書と思しき書物の姿が。

窓の外を見れば、綺麗な月が白々と輝いていた。

(起こしちゃ悪いよね)

そっと手を引き抜こうとしたら、「ん・・・・・・」と一之瀬さんが呟いた。

「・・・・・・目が覚めましたか、黒崎さん」

「あ、えっと・・・・・・ごめんなさい」

「気分はどうですか?」

「もう・・・・・・大丈夫です」

するりと解かれた掌に、一之瀬さんの熱が残っている。

「こんな時間ですが、どうなさいますか?もう一晩泊まっていただいても我々は構いませんが」

そう優しく提案してくれる彼に、私は首を振った。

「いいえ、そこまでして頂くわけにはいきません。これから帰ります」

幸い夜だ。これならきっと、外を出歩ける。

「そうですか。では、ご自宅までお送りしますよ」

「いえっ、本当に一人で大丈夫ですから」

「こんな深夜に女性を一人で帰すことなど出来ませんよ」

こんな時間だからこそ、出歩けるんだけどな・・・・・・。

「大丈夫ですよ、いざとなったらスマホがありますし・・・・・・って、あ・・・・・・」

そう言って翳して見せたスマホの画面は暗転したまま。

―――充電切れだ。

「車を用意します。玄関のところまで一緒に行きましょう」

「・・・・・・はい」

言われて、ベッドを抜け出すと少し寒かった。

一之瀬さんの後を追いかけながら、一階に降りると、カフェの方から声が聞こえた。

「アイリちゃん、大丈夫かな~」

「もう、あんたさっきっからそればっかりね!飲み過ぎよ」

どうやらカフェが、バーと化しているようだ。

「あいつら・・・・・・また飲んで・・・・・・」

「え?」

ふいに言葉遣いの悪くなった一之瀬さんにびっくりしてしまった。

けれど、そんなことは微塵もなかったかのように彼はニコリと笑うと、玄関の扉を開けた。

「さあ、どうぞ。きっと今ならば大丈夫」

―――発作が、とはあえて言わないでくれたのだろう。

少し緊張しながらドアに手をかけ、そのままえいやと外に出る。

何も、起こらなかった。

「・・・・・・外、出られたぁ」

「車を回してきます。ここで待っていてくださいね」

「はい」

言われるがままに待っていると、車庫からベンツのV-Classのワゴンが出てきた。

(うわ、この洋館とは違和感あるチョイスだな~けどやっぱりベンツの流線形は綺麗)

職業柄、どうしても車には目が行ってしまう。

普段乗れない機種なら猶更だ。

メタリックシルバーのボディが、月光を浴びて美しいシルエットを醸し出している。

ガチャッと助手席のドアが開けられる。

「どうぞ、乗ってください」

「ありがとうございます」

やはり思った通り、シートの座り心地は一般車のそれとは違って、とても身体のラインにしっくりとくる。

うずうずと心の中ではエンジンルームが見たい、という欲求が湧いてきたが流石に抑えた。

「お家はどの辺ですか?」

「東武練馬の駅から十分のところです。駅まで連れて行っていただければ」

「駄目ですよ。十分の間に何が起きるか分かりませんからね。ご自宅の前までお付けしますよ」

そう言われてしまえば断れるはずもなく、私は番地を教える。

「ああ、あの商店街の裏手なのですね。直ぐに着きますよ」

登録された住所をナビが案内を始める。

車なら五分もかからない距離だ。

無音の車内に、微かなエンジンの揺れが感じられたかと思うと、車はスッと走り出した。

私は何かを喋るでもなく、車窓に目をやる。

静かな深夜の住宅地を、これまた静かに疾走する車。

一之瀬さんの運転は優しく、加速度をあまり感じさせない。

性格が表れているな、と感じた。

するすると道を進めば、もう自宅のマンションが見える。

短いドライブだった。

「さあ、着きましたよ」

「あ、有難うございました。ほんとにご迷惑ばかり」

「いいえ、弱っているときはお互い様です。どうぞこれからも頼ってください。店でお待ちしていますから」

―――また来てください。

そう言われた私は急に涙が込み上げてきてしまって、咄嗟に俯く。

「はいっ・・・・・・絶対にまた行きます」

きっと気付かれているだろうけど、顔が上げられない。

そんな私の頬を、彼の指がするりと撫でていく。

「泣きたいときには、泣いていいんですよ」

ポタポタと滴る雫を、彼の指が撫でていく。

私は急に恥ずかしくなって、咄嗟にドアを開けて車から降りた。

「あ、あ、ありがとうございましたっ。おやすみなさい」

そう言い残し、ダッシュで自室の鍵を開けると中へと逃げるように飛び込んだ。

ズルズルと玄関でドアにもたれるようにして座り込む。

ドッドッドッドッと心臓が早鐘を鳴らしている。

けれどそれは決して、

―――恐怖心を伴わないものだった。




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