第6話 五月五日 再来



彼女をベッドに横たえる。

「ひゅー・・・・・・ひゅー・・・・・・」

過呼吸を起こした彼女の全身は汗にまみれ、ガタガタと痙攣していた。

「大丈夫ですよ、黒崎さん。パニック発作で死んだ人はこれまで一人も報告されてませんから」

聞こえているのか聞こえていないのかは分からない。

ただ、しがみ付いてくる彼女の手の力は、強い。

「大丈夫、後三十分もしたら発作は治まります」

彼女の目からは涙がとめどなく零れ落ち、唇はより酸素を取り入れようとパクパクと開かれている。

どれほどの苦しみなのだろう。

それを俺は分かってやることは出来ない。

想像することしか、出来ないのが歯がゆい。

こんなにも目の前で苦しんでいるというのに。

「おい、二条に聞いてレモンの香りがいいらしいってんで、レモン水作ってきたぞ」

五十嵐が慌てた様子で盆を手に部屋へと入ってくる。

「そこに置いておいてくれ」

「パニック障害って、こんな風になるのかよ」

「ああ、俺も直接見るのは初めてだがな」

「まるで心臓発作でも起こしてるみてぇだな・・・・・・」

パニック発作は一度始まってしまえば、治まるまで手の施しようがないのが現状だ。

薬はあくまで発作を起こさせないためのモノであって、発作を止める効果はないからだ。

「屋敷の結界から外へ出ようとした途端、これだ。相当天使に好かれているね」

ゆっくりと部屋に入ってきた二条は、空っぽの透明な小瓶を携えている。

「これ、必要かと思って。持ってきた」

「ああ、・・・・・・そうだな」

小瓶を受け取り、そっと彼女の枕元に置いた。

「一之瀬っ、これタオル!アイリちゃんに使って」

バタバタと走ってきた三上は、どうやら洗面所から新しいタオルを持ってきてくれたようだった。

「ありがとう」

早速タオルを使い、彼女の顔を拭いてやる。

メイクが落ちたが、そんなことに構っている場合ではない。

「ほらほら、あんたたち!またぞろ男がこんなにいたって出来ることないんだから散った散った」

気を利かせたのだろう、四ノ宮が他の三人を部屋から追い出した。

「ねえ、一之瀬。その小瓶、埋まると思う?」

思案顔で四ノ宮はそう言うと、少しばつが悪そうにさらに言った。

「いくら私達の魔力のためとはいえ、こんなに苦しんでいる子は初めてだから・・・・・・」

「情でも沸いたか?」

低く、冷えた声を、あえて俺は出す。

少しずつ落ち着いてきた呼吸に合わせて、彼女の痙攣も収まってきていた。

「その話は今することじゃない」

きっぱりとそう告げると、四ノ宮は「そうね」と言って部屋を出て行った。

(―――黒崎アイリ)

天使に好かれた、哀れな子羊。

俺達にとっては最高のご馳走。

「少しでも口に入れられますか?」

五十嵐の作ってきたレモン水を口元へ運ぶと、彼女はほんの少しそれを含んだ。

―――コロン。

枕元を見れば小瓶の中には、七色に輝く金平糖が一粒。

「貴女の苦しみは私達が癒します。絶対に」

握られた手は、そのままに。




何かを皆が話している。

けれど、それは良く聞き取れなくて。

苦しくて、怖くて、死にそうな身体が悲鳴を上げる。

怖くて、誰かに傍にいてほしくて、ずっと手を握っていた。

離れていかないで。

一人にしないで。

「貴女の苦しみは私達が癒します。絶対に」

ああ、そんなこと誰も言ってくれなかった。

―――コロン、コロン。

お大事に。そう言われても心には響かない。

一人で何とかして。

そう言われているようで。

「離れずに、傍に、いて」

思わず言葉がこぼれた。

「ええ、傍にいますよ、黒崎さん」

その答えを聞いて、私の中の何かが溶けた気がした。

―――コロコロコロン。

枕元で何か音がした。

けれどそれは決して不快な音ではなかったのだった。




すぅ、とそのまま眠ってしまった彼女をベッドに残し、俺は枕元の小瓶を取ると一階のリビングへと戻った。

「あ、一之瀬!」

「あいつ、どうなったんだ?」

三上と五十嵐が尋ねてくるのを制して、俺は小瓶をテーブルの上に置いた。

「これが今日の成果だ」

小瓶の中には七色に輝く金平糖がぎっしりと詰まっていた。

「おい、嘘だろ」

「こんなに苦しみが結晶化するなんて・・・・・・」

「あの子、いったい何者なのよ」

どよめく三上、四ノ宮、五十嵐。

しかし二条だけは冷静だった。

「つまりは上級天使に目を付けられたんだろうね。それだけ彼女には、神に縋りたくなる何かが初めからあったのかもしれない」

「天使好みの人間ってことか」

「人間は知らないからね。天使こそが人々を苦しめる存在で、その理由が人が苦しい時にこそ神に縋り、神の威光を信じるからだってこと」

「昔ほど天使も悪魔も魔力を得られなくなってきているのは、人間の信仰心が昔と今じゃ比較にならねえからだってのは分かっているけどよ。それにしたって悪質だぜ、天使ども」

腕を組んでそう呟く五十嵐は、機嫌悪そうにチッと舌打ちした。

「俺達が魔力を維持するには、この金平糖が必要だ。それは今も昔も変わらない。人間から得る。これも変わらない。ただ、得るためのプロセスを変えただけだ」

俺はそう言うと、金平糖をテーブルの上にあった小皿に開けた。

「人は弱い。だから苦しみから逃れたがる。そんな人間に手を貸してきた俺達だが、今や人間は悪魔に頼らない。ならばどうすればいいか。人間から負の要素を取り除き、楽にしてやったときに現る苦しみの結晶を魔力に還元してやればいい。この小瓶に集めて、な」

一粒手に取り、口の中に入れる。

ほろ苦い、この味こそが、至高の味。

悪魔の命の源だ。

「ルシファーずるい!オレも食べるっ」

「その名前で呼ぶな、三上。今は一之瀬だ」

そう言いつつも皆、金平糖に手を伸ばすのは止めない。

「けれど複雑ね。あんなに苦しむ様を見た後だと・・・・・・」

そう呟く四ノ宮は浮かない顔だ。

俺は釘を刺す。

「言っておくぞ。情は持つな。あくまでも人間は魔力のための道具だ。たとえそれがどんな人間であろうともな」

そう、決して情を持ってはならないのだ。

―――俺達、悪魔は。



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