第6話 旅立ち

「…君、春希君!!」


 僕は女性の声に呼ばれ、目を開けた。

 僕は今まで───


「私より早く終わるのはいいけど、呼びに来たらぼーっとしてるんだもん。春希君、何か悩み事?」


 目の前の女性は僕の顔を覗き込んでいた。

 そうだ思い出した。

 僕は定期検診を受けにこの病院に来ており、その後桜の木の下で、身体を預けていたんだ。傍には桜の木が描かれたキャンバスと鉛筆がある。カバンからは色鉛筆が顔を覗かせていた。


「ごめんごめん。悩み事じゃないよ。ただ昔の事を思い出していただけだよ」

「そうだったんだ。春希君、なんか笑ってたけど、どんなことを思い出してたの?」


 ほとんど一瞬だったのに、僕はその記憶を鮮明に覚えている。

 忘れるわけがない。

 そう、あの記憶は───


「君と僕がこの桜の木の下で出会ったこと。そしてお互いに想いを伝えあったことだよ」


 一瞬で一春。

 あの日、この桜の木の下で全てが始まり、別れを告げた。

 終わりは始まり。

 僕らはあの日を境に、新しい季節を紡ぎ始めた。


「あ、あの時かぁ/////ビックリしたな。まさか春希君が告白してくれるなんて思ってなかったよ」

「僕こそ驚いたよ/////僕のことを好きだなんて、そんな気持ちあるわけないって思ってた」


 そう、今僕の目の前にいる女性は桃香だった。


 僕達は高校生になった。

 原因不明だが、桃香から癌は消えた。

 医師も分からないらしく、もしかしたら抗がん剤の一つが奇跡的に効いたのかもしれないと言っていた。

 手遅れだったはずの桃香はあっという間に退院に至るまで回復した。

 誰もがその事については驚いた。

 桃香自身も…


「夢みたい…普通に生活が出来るようになるなんて…」


 とまだ信じられない部分があるようだけど、すごく幸せそうに見えた。

 僕は、もしかしたらあの桜の木が助けてくれたのかもしれないと思っている。

 あの日、桜の木に光が宿ったのを見た。

 僕の願いが、桃香の願いが届いたのかもしれない。

 不思議なことが起きた。

 あの桜の木の伝説は、本当なのかもしれない。

 僕と桃香は同じ高校へ入学した。学校に1年間通ってないこともあり、入試が心配されたが、桃香自身容量が良いのか、みるみると知識を身につけ、特別に入試を受験し、晴れて高校生となった。

 高校では、走ることが大好きな桃香は陸上部へと入り、僕は美術部に所属している。

 もちろん桃香はまだ激しい運動はだめだ。

 でも少しずつ走り始めた桃香を美術室から横目で見ながら、大好きな絵画へと意識を集中する時間が好きだ。

 僕は中3の頃から身長が伸び、今では桃香を見下ろすようになっていた。

 桃香も癌を乗り越えたことで、以前のように痩せ細ってはなく、頬に赤みがさした気がする。

 顔つきも身体つきも大人っぽくなっていて、ときたま僕をドキリとさせる。

 本当の意味で活発で、明るい性格になったと思う。


「そういえば診察どうだった?大丈夫なの?」

「えっとね、癌の再発は今は心配ないって言われたよ。まぁ、定期検診には行かなきゃだけど」


 あははと苦い顔で笑う桃香。

 僕も正直定期検診は好きではない。


「春希君はどうだった?」

「だんだん良くなって来てるからジョギング程度なら運動してもいいって。激しい運動とかはまだできないけどね」


 中3の後半辺りから、僕の身体は徐々に体調が良くなっていき、体力が回復した。

 担当医が言うには…


「心のほうで変化があったんだろう。心と身体は繋がっているからね」


 ということらしい。

 きっと桃香と出会ったからだと思う。

 桃香は、僕の心を桜のように咲かせてくれたんだ。

 本当に…桃香と出会えて良かった───。

 ありがとう───。


「本当に?!じゃあ──へ行こうよ。今の時期、あそこの桜綺麗なんだよ!」

「──って、ここから結構距離あるよ!?大丈夫なの?」

「平気平気!私も最近は走ってるから!それに…君が守ってくれるんでしょ?」


 桃香は僕の方を見て笑顔で言った。

 僕があの時言った言葉だ。

 そうだ、僕は誓ったんだ。

 彼女を守るって。


「…あぁ、僕が君を守るよ」

「うん、私もあなたとなら幸せだよ!行こう!!」


 僕らは自然とお互いの手を絡めた。

 もう二度と離すまいと強く握った。

 手のひらから伝わる感触が、熱が、生きていることを感じさせてくれる。

 僕は欲張りなのかもしれないと我ながら内心苦笑する。

 それでも桜の木に願わずにはいられない。

 桃香の隣で一生歩んでいけますように───

 僕らの人生という旅は始まったばかり。

 これからの人生に希望を抱いて、この一瞬を大切に生きていこう。




 桃が香る春の日、イチイの蕾が芽吹く頃、1人の少年と1人の少女は桜の木の下で出会い、恋に落ちた。

 少年は少女に希望という芽を吹かせ、少女は少年の心を桜のように咲かせた。

 彼らにとって出会いと始まり

 忘れることのできない───



 ──《一春の記憶》──

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一春の記憶 紗麗 @nanoha1007

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