第5話 告白

 次の日、僕はいつものように桜の木へと向かった。

 彼女があの場所にいるような気がした。

 中庭への自動ドアが開く。

 いた。

 彼女は初めて出会った時のように、桜の木を見上げていた。


「やっぱりこの桜の木を見ていると、心が落ち着くね」


 まるで僕が来ているのを分かっていたかのように、彼女は僕に背を向けたまま言った。


「そうだね」


 不思議と驚かなかった。

 僕だって彼女がここにいると思って来たのだから。


「そして、この桜の木の下で桃香と出会ったんだね」

「うん、出会って1ヶ月も経ってないんだね」


 出会ってからまだ1ヶ月も経っていない。

 そのくらいこの短い期間が僕にとっては、充実で、かけがえのない日々だった。

 そして、僕は彼女のことを…

 よし、言おう。

 思ったことを素直に言おう。


「桃香、話があるんだ。そのままでいいから聞いてほしい」


 彼女から返答はない。

 僕はそれを肯定と受け取り、話を続けた。


「初めて君を見た時───ヒヤシンスのようだと思ったんだ。君と出会って、この桜の木の下で過ごした時間は、僕にとってかけがえのない大切なものだった。君が癌だと知った時、心の底から助けたいと思った。君のすぐ側で、君をずっと支えていたい。笑った時も、怒った時も、泣いた時も、一緒に分かちあって、君のことを守っていきたいって…」


 そうだ。あの日からずっと、僕は思っていた。どこか満ち足りない、抜け落ちたパーツがあることに。

 何かを探していた。

 その何かを僕は見つけた。

 歯車がカチリとはまって、僕の心は動き始めた。

 僕は一呼吸置いて言った。


「僕は、君のことが…桃香のことが好きだ。出会った時から君のことが好きでした。付き合って下さい」


 想いを告げてしまった。

 言い終わった途端に恥ずかしくなった。

 絶対今、顔が真っ赤に違いない。

 桃香は何も言わない。

 もしかしていきなりすぎただろうか?

 それとも嫌だっただろうか?


「つ、伝えたかっただけだから…。ご、ごめん。それじゃあ…」

「待って!!」

「えっ…」


 また明日、と言おうとした時、桃香の声に遮られた。その強い言葉に思わず踏み止まった。


「私、春希君にまだ返事してない」


 桃香は僕に背を向けたままだ。

 表情は見えない。

 そうか、きっと振られるのだろうな…。

 そう思った、

 そして、彼女は僕に振り向いて言った。


「私も…私も君のことが、春希君のことが好きです」

「えっ!?」

「春希君に出会ってから、私が見える景色は春色に変わったんだよ」


 今、桃香は僕のことが好きだと言った。

 本当に?桃香が僕のことを?

 夢か現か、今の僕には判断出来なかった。


「私ね、癌だって診断された時、人生の終わりだと思ったの。なんで私が癌にならなきゃいけなかったの?とか、走ることか大好きだっただけなのに、罰が当たったのかな?って。毎日、毎晩病室で泣いてたの。泣いても、泣いても、涙が止まらなくて…」


 人知れず、彼女は涙を流していたのだ。

 自分の身体に癌が潜んでいると知って、平気な人がいるわけない。


「そんな時、病室から見たこの桜の木がね、すごく綺麗だったから、実際に見てみようと思ってここを訪れたの。この桜の木に寄り添って、語りかけては元気を貰っていたの」


 僕の前では笑顔でいることが多かった。

 誰よりも未来のことに希望を抱いて、キラキラと夢を語っていて…。

 桃香はその小さな身体で、そんな負担を背負っていたなんて知らなかった。

 あの時の僕は知らなかった。

 知らぬ間に僕の手には力が入り、強く握りしめていた。


「そして、春希君に出会った。あの時、私はこの桜の木の下で春希君に出会って、一緒に過ごしていくうちに、君の優しさに惹かれていったの。あぁ、私恋してるんだって。それから春希君に会うことが楽しみになった。春希君と一緒に過ごすことが、私の…生き…る意味…だっ…たんだ…よ。でも…ね…」


 何度も声を詰まらせながら桃香は続ける。

 もういい。無理しなくていいんだ。

 僕はそう叫びたかった。でも、この先の言葉を僕は受け止めなきゃいけないような気がした。


「好きだって…言ってくれて嬉しかった…。でも…、私はあと1年しか生きられない。いつかいなくなっちゃうんだよ!?その時、春希君が悲しむ姿を見たくない!!幸せな人生を歩んでほしい。だから…私を好きになってくれて…ありがとう」


 そう言って桃香は立ち去ろうとした。その姿を見たら最後な気がした。

 ここで止めなかったら桃香とは永遠に会えない気がする。

 僕はそう感じた。

 だから僕は…桃香を抱き寄せた。


「えっ!?は、春希君!?」


 胸元で桃香が息を呑んでいるのを感じた。そんな彼女が愛おしくて、更に抱き締める力を強めた。


「分かってる、分かってるよ!でも桃香が好きなんだ!桃香じゃなきゃ駄目なんだ!!僕には桃香が必要だ。君と一緒に人生を歩んで行きたいんだ」

「春希君…」

「小さい頃の僕は身体が弱くて、友達がいなかった。1人で絵を描いて、1人でも生きていけるって。でも心のどこかでは友達と遊びたい、話したいって思ってた。君に、桃香に出会って、僕は変わる勇気を貰った。素直に想いを伝えることの大切さを知った。桃香のおかげで友達を作ることができた。そんな桃香に恋をしたんだ。だから…」


 そうだ。僕は目の前の女の子が、桃香のことが誰よりも、世界で1番…


「好きです。例え生まれ変わったとしても、また君に恋をするよ」


『この桜の木に願うと、不思議なことが起こる』

 本当かどうかも分からないこの桜の木。

 でも、もしこの桜の木に神様が宿っているのなら、変わらぬ愛を僕は桃香へ捧げよう。

 だから、どうか…桃香の病気を治してほしい。

 僕は桜の木にそう願った。


「あぁ、春希君、君と出会えて良かった。春希君が私の心に希望という芽を吹かせてくれたんだよ。私、幸せだったよ。ありがとう、私を好きになってくれて、大好きです」


 桃香の笑顔は桜が満開に咲いたかのように綺麗だった。


「僕も…僕も大好きだよ、桃香」


 僕達の距離は近づき…

 二つの影は一つとなった。

 春風が吹き、桃の香りが鼻腔をくすぐる。

 芽吹き始めたイチイの花達が僕らを祝福するかのように揺れ、辺り一面に花びらが舞った。

 1秒にも満たないような瞬間、僕は桜の木に希望の光が宿るのを見た。

 まるで僕の願いを具現化した光が、その桜の木を照らし出すかのように…。

 もう1度瞬きして見る。

 そこには、いつもと変わらない桜の木が優しく見守っていた。

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