ふしぎの海のナディア 1

番組名:ふしぎの海のナディア

(全39回)

放送:1990年4月~1991年4月(時勢による中断あり)

再放送:

・2004年4月~12月(この時は見ていない)

・2012年4月~2013年1月




 わたしが天気やニュース以外でチャンネルを意識して回した最初はたぶんこのあたりだろう。そして、声優や監督など、アニメの製作側やスタッフに興味を持ったのは確実に最初は監督の庵野秀明氏と声優の塩沢兼人氏である。


 当時私の家には最年長者として祖母(父の母)がいた。厳しい人だった。食事の時に行儀が悪ければその節のような指でつねってくるし、世間で流行っていようが評判が高かろうが、自分が見たい番組にかぶった番組を見せてはくれない。

 当時、我が家はテレビが三台あった。台所のと、祖母の部屋と、買い替える前に使っていた古いもの(チャンネルが三つしか映らない)が別にあった。

 祖母はいつも決まった番組を見るので、夕方以降は彼女が部屋に戻るか、眠る21時過ぎまで、他の家族は台所で好きな番組を見ることはできなかった。


 もともと、前の番組(今見たら前の前)である『アニメ三銃士』を見ていた記憶はあるが、その時間は祖母が居たり部屋に戻っていたりと宙ぶらりんな時間帯だったようだ。ナディアの前にあたる青いブリンクに至っては、見たということとブリンクの見た目以外、1991年時点で何も覚えていない。

 そういう訳で、番組を見たきっかけはとてつもなく偶然だった。たまたま母が何か見ようとしたのかチャンネルを回したら何かアニメがやってるのに気付いた。というそれだけである。のちにふしぎの海のナディアの第二話と判明したそのアニメを、どういう思いで見ていたか、私はもう覚えていない。


 大雑把なストーリーは、主人公のジャン少年がナディアに出会い一目ぼれして、彼女の家族を探そうとして様々な出会いと別れを経験して成長する物語、である。




 ある日突然、母がナディアのボーカルアルバムを買ってきた。別の日にサウンドトラックも買ってきた。で、ライナーノーツを読むと、庵野監督へのインタビューなどが載っている。それで私はまず庵野秀明という名前と、ジャケットイラストの貞本氏の絵柄を覚えた。ここから、私は、世間でいう広い意味でのオタク・ヲタとなったと言える。


 塩沢氏が声を当てていたのは出番が多いキャラクタではないのだが最終盤にこれ以上ない重要な役割を担っているキャラクタの声です。

 中盤の初登場の際には、まあ最近で言う声で孕むというやつに該当するような得も言われぬズギューーーーーーーン!!!と心臓を打ち抜かれたとか衝撃が走ったとかいう状態になったわけです。一目ぼれです。がんばれ私の語彙力。あとディオさまはやめろ後で死ぬのは貴様(自分)だ。

(この「声で孕む」という言い回しは嫌いだがそういう発言をしている人の、そういう発言しているときの感じは近いと思う)


 私の好きになる男性二次元キャラクタが、10年くらいずっと長髪美形イケボ人外ばっかりだったので、それほど深く扁桃体に彼の存在が刻まれているのだろう。今でも好きだぞ。いまだに色んな意味で直視できない。


 そのあと私は当時読んでいた「なかよし」でセーラームーンのアニメの記事に塩沢さんの名前を見つけて見始めるのだがそれは割愛。デマンド氏はあのキャラクタと多少属性被ってるよね。


 スタッフを覚えるというオタク属性のほかに、私はどうでもよい能力を身に着けた。指パッチンである。敵の秘密結社の事実上のトップであるガーゴイル閣下の十八番である。ぱちん!と指を鳴らすと、カーテンが開いたり、下級兵士がであえーであえー!したり、失態をおかした幹部が穴から海へボッシュートされたりする。かっこいい。上下赤スーツに黒白い仮面というインパクトと相まって、スタイリッシュだったのだろうか。

 当時はそこまでガー様をカッコいいと思っていた記憶がないんだ。カッコいいと思ったのはむしろ成人後なんだ。

 軽作業や畑で使うような滑り止め付き手袋ならば装着しても、多少かすり気味でよければ、音、出るようになりました。33歳くらいにしてまったく無駄な技能が増えました。



 さて当時の話に戻ろう。私ら兄弟は食い入るように見ていた。フィルムコミックを買ってもらい、トレーシングペーパーでノーチラス号とか空中戦艦を写してあそんだりしたし、全力で突っ込めー!とネモ船長ごっこをしたこともあった。

 だが、当時、私の周りには、同じ感覚を共有できる人がいなかった。いじめられていたことも一因だが、何より、周りに見ている人がいなかったのだ。この作品が、実は、少なくともアニメファンやオタクの間ではとてつもなく人気があり有名作品だと知ったのは、約5年後、アニメ雑誌を購読するようになってからである。

 それまでは、91年の4月進級して3年生になった教室で後番組の『ひみつの花園』の話で盛り上がる女子(カースト上位)の声に耐えることしかできなかった。私のいたクラスでは、圧倒的にひみつの花園の視聴者のほうが多かったのだ。今となっては信じられない。

 のちのTV版エヴァのように、テレビ愛知は放送時間が朝っぱらになってるとかそういう不利な要素もないのに!


 この番組には、当時の私がハマるだろうというポイントがいくつか抑えられている。

 一つ目は、ふたりの年齢。14歳だと、ちょうど、当時の私(6~7歳)から見て、お兄さんお姉さんと呼べる年代だ。私には、ちょうどそのくらい年が離れた、憧れのお姉さんがいた。近所に住んでいた人で、学年が6年離れていたので、学校へ一緒に通ったことはない。私の中のお姉さんのイメージは中学のセーラー服である。

 二つ目は、多彩なメカ。特撮を好んでみていた兄妹には、敵のメカニックや秘密基地は魅力がいっぱいだ。

 三つめは、超古代文明。古代文明好きでオカルト好きだったら、アトランティスとか好きやろ!!

 四つ目は宇宙。終盤に関連する、とだけ。


 ここから、私に様々なものが好みとしてインプットされていった。そう思う。


 *おまけ*

 当時、中山美穂さんが有名だったが私は上記の事情で芸能界にはとてつもなく疎かった。そのため、何かの時「森川なら知ってる」と返事をしたことがある。森川のほうを知っている人には大学時代まで出会うことはかなわなかった。

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