3章:竜殺譚は遥か遠く

北方にて

 風が吹く。

 北の山脈から吹き降ろす風は強く、何処か乾いている。

 堂々とそびえ立つその姿にいつからか城壁山脈と呼ばれた山々は険しく、徒歩で登ろうという者はほとんど居ない。

 ……ほとんど、というのは多少はいるということだが……それは本当に一部の、冒険心に満ち溢れた者だけだ。

 踏破するだけでも厳しく、その環境に適応したモンスターも出るという城壁山脈を超えようとするのはそれ自体が命がけの行為であり、越えたからと言って得るものはほとんどない。

 こんな場所では盗賊も流石に隠れ潜むということはなく、山のモンスターもほとんど平地には降りてこない。

 それ故に山を守護の象徴として崇める者すらもいるが……そのせいか、城壁山脈の付近には幾つもの町や村が乱立した。

 自然とこれらを繋ぐ街道も整備され、城壁山脈をぐるりと一周する旅をするもの好きもいつからか現れることになる。

 いわゆる観光資源化であるが……これにより、城壁山脈を見上げる場所に村や町は増え、何処かの吟遊詩人が城壁山脈を舞台とした英雄譚をでっち上げ人気の詩となったりもした。


「竜殺しのアダート」と呼ばれる、剣士アダートと城壁山脈に住む悪しき竜ヴラドヘルトの戦いを描く英雄譚である。

 アダートの墓だのアダートの生まれた場所などというものがいつの間にか出来ているのは失笑ものではあるのだが、とにかくそんな風に城壁山脈付近の住人達は潤ってきた。

 

 ……だが、そんな彼等とて想像もしなかっただろう。

 物語の中にしか存在しなかった恐怖が、まさか現実になるなどとは。

 そしてそうなった時に、英雄譚のように立ち上がってくれる者がほとんど居ないという事に。

 そしてその「恐怖」は。人の想像を超えて恐ろしいものであるという、現実に。


「……此処も、ですか……」


 旅用のフード付きマントを羽織った何者かが、そう呟く。

 その鈴を転がすような涼やかな声は、まだ幼い少女のもののようにも聞こえる。

 実際その何者かの背は低く、とても大人であるようには思えない。

 その手にあるのは広げた翼を模した飾りのついた銀色の杖であり……見る者が見れば、それはとある国の関係者が持っているものだと分かるだろう。


 そんな彼女がいるのは城壁山脈を臨む町の一つであったが……町に人の気配はない。

 その理由は、町を見れば明らかだろう。

 そこかしこにある焦げた跡、そして壊れた建物の数々。

 この町は何者かに襲われ、そして焼けたのだ。


「……」


 地面に転がっている、溶けた何かを見つけ少女は屈みこむ。

 溶けて地面に張り付いたそれが何かはすでに判別も出来ないが……残ったものから、それがどうやら剣の類であったことが推測できる。

 鉄なのかそれ以外の金属なのかは少女には想像もできないが、金属を此処まで溶かす炎を使った者が何者かであるかについては、少女はすでに推測がついている。


「ドラゴン……本当に此処にきたんですね……」


 ドラゴン。

 あらゆる環境に適応するという、最強の生物。

 そんなものが城壁山脈を飛んでいるという噂がたったのは、どのくらい前だろうか。

 誰もが信じなかったその噂が本当だと分かったのは、半年程前だ。

 緘口令が敷かれ、領主による戦士ギルドや魔法士ギルドとの共同の討伐軍が結成されたのが五か月ほど前。

 腕利きの戦士達が集められ、莫大な名誉を約束され城壁山脈へと旅立ったのが四か月ほど前。

 ……そして。ドラゴンの事が公開されたのが、三か月ほど前。

 それから無数の自称勇者達が城壁山脈へと旅立っていったが、未だにドラゴンを打ち倒したという話は聞かない。

 少女の同僚達も何人か、腕利きの戦士と共に旅立っていったが……やはり連絡を絶っている。

 この辺りを統括する領主はすでにドラゴン討伐を半ば諦め、ドラゴン退治の英雄に約束した名誉と懸賞金のお触れの札も悲しく風に揺れるばかりだという。

 少女が「本国」へと出した手紙も、なしのつぶて。救援は期待できそうにもない。

 とはいえ……ドラゴン相手に敵うほど、少女は強くはない。

 むしろ肉体的にはか弱い方であり、この辺りまで旅をするのにも相当に苦労している。


「……前の町で良い戦士を見つけられなかったのが悔やまれます……」


 城壁山脈を見つめながら、少女は悔しそうにそう呟く。

 ドラゴン打倒を掲げて戦士ギルドを幾つか巡ってきたが、どの町でもドラゴン退治をしてみせるという戦士は見つからなかった。

 魔法士ギルドでも同じで、ドラゴンを自分の魔法で屠るという者は見つからなかった。

 ならばと飛び込んでみた罠士ギルドでも、そんな仕事を受ける奴は居ないと言われるだけであった。

 

 ……いや、正確には何人かは居たのだが……正直に言って、非常に怪しい類の人間であったのだ。

 誰でもいいわけではないというのは分かり切った話なので頷かなかったが、その後付け回されたのには閉口した。

 そんな事をしている場合ではないというのに、理解の出来ない存在だったが……まあ、それはさておき。

 ドラゴンが、いつまでも城壁山脈周辺で満足しているなどとは少女は考えていなかった。


「早くなんとかしなきゃ……英雄を……私の聖騎士を見つけなきゃ……」


 乾いた風が、少女のフードを剥ぎ取る。

 そこから出てきた少女の、切り揃えられた銀の髪が揺れる。

 幼さの残る顔には似合わぬ強い意志を秘めた瞳は、此処ではない何処かを見つめる。


「そうだ……確か南に行くと、港町があったはず……ちょっと遠いけど、そこなら!」


 奇しくもその方角は、一人の英雄とその相棒を自称する少女のやってくる方角。

 それは偶然か、あるいは運命か。

 今は分からないが……少女は、その方向へと歩き出した。

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