魔境海域9
「緊張感ないわね……外の状況分かってんのかしら」
「ふふ、分かったうえで「日常」をやっているのですよ」
緊迫した場面で「真面目」に「真剣」に「悲壮感たっぷり」に振る舞う。
当然だ。当然すぎて、そんなものは戦うのが初めての新米戦士にだって出来る。
悲壮感と決意を伝染させ、ヒロイックに背水の陣を築くだろう。
しかし、そんなものは敵わぬ相手に挑む時だけで充分だ。
「何も問題はありません。確かに敵は強力です。しかし、私達には傷一つつけられません」
そう、先程から全ての触手はアクエリオスの攻撃で弾かれ潰されている。
レヴィウスはエネルギーを蓄積し続け、放つ時を待っている。
こんな「勝てる」戦いで悲壮感を演出することに、何の意味があると言うのか。
ヒロイックに振る舞うだけが英雄ではない。
時にはおどけ、時には笑い。戦えぬ者を日常に引き戻してこそ英雄。
故に、アルフレッドも陽子もヒルダをほぼ無意識のうちにそうして守っている。
そしてセレナもそれを察しているからこそ、胡乱な表現のみに留まっている。
「そうかもしれないけど……あたしはやっぱり怖いわよ。もしこの巨人がやられたら、あたしは海の底に放り出される……そしたら、絶対に死ぬもの」
言いながら、ヒルダは自分の身体をぎゅっと抱きしめる。
明日香から貰った符。バッカス号で手に入れた魔導銃。
それまでの自分では考えられない程の武器を手に入れたはずなのに、全然足りていない。
英雄。物語の英雄。ヒルダだって、憧れていた時期が……そうなりたいと思っていた時期はあった。
しかし現実を知るのはすぐで、やっていたのはセコい盗賊稼業だ。
こうしてアルフレッドという本物についてきても、何も出来てはいない。
自分は所詮凡人だと思い知らされてしまうのだ。
「意外とつまらないことを考えるんですね?」
アクエリオスの操作盤の上で忙しく手を動かしながら、セレナはなんでもないような口調でそう言い放つ。
「つ、つまらな……!?」
「ええ、つまらないです。貴女はもう少し破天荒な方かと思ってましたが」
言われて、ヒルダはぐっと言葉に詰まる。
確かに、地元ではそういう評判だった。でも、そんなもの。
「……そんなもの。そういう風にやってただけよ。ナメられたら終わりだもの」
実際のところ、ヒルダはかなり現実主義だ。
堅実で計算高く、プライドの類は最低限のものを除いてポイ捨てしてしまっている。
「なら、あの人についていくのは辛いでしょう?」
「……え?」
「アルフレッド様は……あの人は、正義を形にしたような人です」
戸惑うヒルダに、セレナは歌うように告げる。
「揺らぐことはあっても、折れることはないでしょう。それは確固たる芯があるから。惑う時はあっても、辿り着かぬ事はないでしょう。それは、為すべきことが見えているから。寄り添われることはあっても、寄り添う時はないでしょう。それは、前だけを見ているから。そして、絶対に止まることはない。それは、強い何かがあの方を突き動かしているから」
「それ、は……」
知っている。聞かされている。
最後まで語られなかった英雄だと言っていた。
己の世界を救う事すら出来ず、行き場のない救世の意思を抱えていた亡霊だと言っていた。
そんなアルフレッドの仲間であろうとヒルダは決意していた。
「私なら、あの方の隣に立てると思いませんか?」
アクエリオスの放つ水中竜巻が、触手によるガードをこじ開けていく。
暗い海の底に、何かが見えてくる。
「私には見えます。あの方の行く先は波乱に満ちている。あの方はそれを避ける事すらせず飛び込んでいくでしょう。それこそ、こんな深海など可愛く思えるほどの場所だとしても」
「……でしょうね」
アルフレッドは「本物」の英雄だ。
アルフレッドがそうである限り、その行く先は平穏では有り得ない。
ヒルダも、それは覚悟していた。
「貴女が怖いというのであれば代わって差し上げましょう。なんなら、私がこの町で稼いだ山のような金貨を全て差し上げたって構いません。三度生まれ変わっても使い切れないと思いますよ?」
「な、にを……言ってるのよ」
「端的に言えば、邪魔だと言っています」
「なっ……!」
セレナの口調には、一切の冗談は感じられない。
本気で言っている。それを感じ、ヒルダは僅かな恐怖を感じる。
「先程は話しませんでしたが、天魔星が裏切った理由は一人の女です」
「え? 天魔星って確かさっき言ってた……」
「そうです。最も気高く最も誠実で最も「英雄」に近かったはずの男。地球に先行していた天魔星は、現地人の女に絆され裏切りました」
「そ、それとあたしに何の関係があるってのよ!」
「関係ならあります」
アクエリオスを貫かんと、複数の触手が猛スピードで迫る。
一つ一つが必殺のその触手も、その全てが到達する前に排除される。
「貴女の弱さがあの方を変える事を私は危惧しています。強くなれとは言いません。でも、強く在れないのなら去りなさい。それが貴女の為でもあります」
「それ、は……」
ヒルダが何かを言う前に、通信音が響く。
モニターにアルフレッドと陽子の姿が映り、瞬間的にセレナはいつもの微笑に表情を切り替える。
―本体が見えた。これから突っ込む。援護を頼めるか―
「ええ、勿論です。お気をつけて」
―そちらもな。ヒルダの事も頼む―
「お任せください。水魔星の名に懸けて、守り通りましょう」
確かに、そんな事はヒルダは言えない。
任せろなんて、口が裂けても。
でも、それでも。
惑うヒルダの視線の向こう。どういう理屈か前面に広がる海中の光景の中、アルフレッドの乗るレヴィウスが先行するように先へと進んでいくのが見えた。
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