バッサーレの港

 バッサーレの港は、静かな空気に満ちていた。

 漁も積み下ろしもこの昼時にはすでに終わり、港に残っているのは漁を終えた船と穏やかな時間を楽しむ漁師達……というわけでは、どうも無さそうだ。


「……何、この雰囲気」


 ヒルダが思わずそう口にしてしまうような淀んだ空気。

 まるで誰も彼もがやる気をなくしてしまったかのような、そんな暗さが港を支配していた。

 漁師と思しき人間の姿はなく、港にはギイギイと寂しげに大小様々な船が繋がれ揺れている。

 人の姿もまばらで、恐らくは獲れたての魚介を加工して売っていたのだろう店は何処も客の姿がない。


「なにか、妙だな」

「そうね……あの商人は特に何も言ってなかったはずだけど」


 そう、バッサーレから来たあの商人には特に何かを感じさせるような雰囲気は微塵も感じられなかった。

 ということは、商人の出発からアルフレッド達が到着するまでの期間で何かがあったということになる。

 もし海賊が出たというのであれば戦士ギルド辺りに何か依頼が出ているだろうし、この港にギルドの戦士達の姿があってもいいはずだ。

 しかし武装した者の姿は港にはないし、そもそも海賊が漁師を襲って魚を奪うとも思えない。

 それに漁師を浚ったところで、身代金など取れやしない。故に、その可能性は考えられない。

 

「んー……まさか海竜が出たとか? まさかねえ」

「おい、あんた等……戦士ギルドの連中か?」

「へ?」


 ふらふらと近づいてきた酔っ払いの男を見てアルフレッドがほぼ反射的にヒルダを庇い、酔っ払いはアルフレッドに酒臭い息を吐きかける。


「今更何しに来やがったんだ、この腰抜け共め」

「……よく分からないが、何の話だ?」

「ヘッ、ぬかしやがる。海賊連中に怖気付いたくせによう。今更……」

「え、ちょっと待って。この状況、海賊が原因なの?」


 信じられないといった表情で身を乗り出すヒルダに、男は苛ついたような表情に変わる。


「ああん!? とぼけやがってよう! お前等がもうちょっとしっかりしてりゃ!」

「きゃっ……」


 酒瓶を振りかぶった男の腕を、アルフレッドが掴む。

 強い力で掴まれた腕はビクとも動かず……男は酔いが覚めたように青い顔になる。

 だが、そこで引けなかったのだろう。腰に差していたナイフにもう片方の手を伸ばして。


「そこまでだ、タビト。お前の気持ちも分かるが、旅人に絡むんじゃない」


 かけられた声に、男の身体がビクリと震える。

 男を止めたその声の主は、近くの店から出てきた大柄な髭面の男。

 おおよそ四十歳から五十歳といったところだろうか。服の上からでも分かる筋肉質な体は、それこそギルドの戦士と言われても納得がいくほどだ。


「ギ、ギルドマスター……いや、違うんですよ。こいつらが」

「何が違う、だ。お前が絡んでたところを見てたぞ」


 そう言うとギルドマスターと呼ばれた男は酔っ払いの男を殴りつけ、その腰からナイフを奪う。


「全く、ただの喧嘩ならともかく刃物まで持ち出そうとしやがって。家に帰って酒を抜け」

「ヘ、ヘイ」

「アンタも思うところはあるだろうが、そいつを離してやっちゃくれねえか?」


 言われてアルフレッドは男の手を離し……酒瓶を抱えたまま、酔っぱらいの男は愛想笑いを浮かべながら走り逃げていく。


「アイツも悪い奴じゃねえんだが……」

「何故もっと早く止めなかった?」

「ん?」


 アルフレッドに冷たい瞳で見据えられ、ギルドマスターと呼ばれた男は疑問符を浮かべる。


「絡んでたところを見た、と言ったな。つまりお前は最初から見ていたが止めなかったということだ」

「ん……まあな」


 きまり悪そうに頬を掻く「ギルドマスター」へ向けられるアルフレッドの視線は冷たく、その間にヒルダが「あー……」と言いながら入る。


「そもそも、アンタ誰? ギルドマスターとか言われてたけど、まさか漁業ギルドの?」

「おう。俺はこのバッサーレの漁業ギルドのマスター、スペリオだ。あんた等、冒険者ってやつか? 少なくともこの町の連中じゃないだろう」

「私はヒルダ。こっちはアルフレッドよ。事情知ってるなら教えてほしいんだけど、どういう状況なの? 海賊がどうこうって話らしいのは分かるんだけど……まさか海賊が漁師を襲ってるの?」


 連中は、儲けにならないことはしない。むしろ漁師のような地元民は襲わず良好な関係を築くのが正しい海賊というものであり、襲う対象は商船であるはずだ。

 だというのに漁船を襲っているともなれば、これはもはや海の凶賊と呼ぶしかなくなってしまう。


「……そのまさかだよ。連中、何をトチ狂ったか数日前から漁船を襲うようになりやがった。もう何人も浚われてるし、船も沈められてる。戦士ギルドにも依頼したんだが、連中の本拠地に向かって出発した連中が一度半壊して戻ってきてからは誰も依頼を受けやしねえ」


 なるほど、つまりバッサーレの戦士ギルドの誰かが一度依頼を受けたが失敗した。

 恐らくはその誰かのチームが実力者であり、それが失敗したが故に誰もが及び腰になってしまったというところだろう。


「恐ろしくて船なんか出せやしねえし、商船も襲われてるんじゃねえかって話もある。お上にも訴えたが、動きゃしねえ」

「ふーん……」


 親身に聞くフリをしながら、ヒルダは脳内で忙しく計算をする。

 商船は襲われてるかも、ではなく確実に襲われているだろう。ひょっとすると沈められているか鹵獲されているかもしれない。

 そしてそんな事が出来るとなると、かなり大規模……あるいは手練れだ。

 それでいて海賊の仁義を無視しているとなると、確実に裏に何かがある。


「なあ、そっちの兄ちゃんの装備を見る限り、あんた等結構やるんだろう? 海賊共を」


 アルフレッドが何かを言う前にヒルダが肘で軽く突き、アルフレッドは言おうとしていた言葉を呑み込む。


「話は分かったけど、あたし達も来たばかりなのよ。まずは情報を集めたいわ」

「そ、そうか。そりゃそうだな」

「あたしを見捨てようとしたおっさんに会うには、漁業ギルドに行けばいいのかしら?」


 あたしを見捨てようとした、の部分で反応したギルドマスターは渋い顔をして、頭を掻く。


「……悪かったよ。あいつが酒瓶振り回すと分かってりゃ止めてた」

「酔っ払いの武器ってのは酒瓶か椅子なのよ。漁師がそんなもん分からないわけでもないでしょうに」

「うぐっ……」

「依頼受けるにしても、色はつけて貰うわよ」


 行きましょ、とアルフレッドの腕を引いて歩き出すヒルダに「分かったよ」と呟くギルドマスターをそのままに、ヒルダは港を出て坂を上っていく。

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