ヒルダの作戦

 アルテーロの町中に、その宿はあった。

 大熊の髭亭。そう書かれた宿の看板はクマを模してでもいるのか、なんとも可愛げのある形をしていたが……それはさておき。

 中に入ると正面にはカウンター。そのカウンターの両側は壁になっており、扉が据え付けられているのが分かる。

 つまりこの先に強盗の類が入るのであればカウンターを乗り越えていくしかないわけだが、カウンターにいるのは巨大なクマのような大男だ。

 立てかけた棒つきトゲ鉄球……いわゆるモーニングスターも中々に凶悪そうで、髭面の店主の厳つい顔付も合わせれば並の強盗では突破できそうにもない。


「おっす」


 そんな強面の店主にヒルダが声をかけると、店主はその厳つい顔を僅かに動かす。


「……ヒルダか。どうした、ビオレお嬢様なんか連れて。まさか三男坊様とやらかしたってのが関係してんじゃねえだろうな」

「げっ、もう伝わってんの?」

「あったりめえだろ。で? まさか家出先に此処連れてきたってわけでもあるめえ」

「そうよ。たぶん厄介事。何らかの目途がつくまでお嬢様の安全を確保しときたいの」


 その言葉に店主はビオレとアルフレッドを順番に見て……その後、驚いたようにアルフレッドを二度見する。


「なんだ?」


 そんな店主の様子に気付いたアルフレッドが問い返すが、店主は誤魔化すように視線を逸らす。


「ああ、いや。たいしたことじゃねえよ。すげえ美形の兄ちゃんだと思ってな」

「なによ。そっち系だっけ?」

「頭かち割るぞバカが。で? 払いはどうすんだ」

「今回はあたし持ち」


 言いながら革袋を置くヒルダに、店主は意外そうな顔をする。


「お前が金出すたあ、明日は槍でも降ってくるんじゃねえのか」

「ハッ、そしたら槍拾って売り飛ばしてやるわよ」

「違ぇねえ」


 笑いながら店主は一つの鍵をカウンターへと転がし……それを見て、ヒルダは訝しげな顔をする。


「……ちょっと。なんで鍵が一つなのよ」

「一つしか部屋が空いてねえんだよ。まあ、大部屋だが差分はおまけしてやる。気にすんな」

「気にするわよ! こいつ、男なのよ!?」


 憤慨しながらアルフレッドを指差すヒルダに、店主は面倒くさそうに耳をほじり始める。


「大丈夫だって。あんな女に困ってねえって面でお前なんか襲わねえよ」

「あたしじゃなくてお嬢様がねえ!」

「なんだよ、お前はいいのかよ。ベタ惚れか」

「ブッ殺すわよ?」

「やってみろよコラ」


 ナイフを取り出すヒルダとモーニングスターに手をかける店主を見ていたアルフレッドは、やがて軽く咳払いをする。


「……そこまでにして貰おう。ビオレが脅えている」

「ん? おお、こいつは申し訳ありませんねお嬢様」


 アルフレッドの言葉でようやくビオレの様子に気付くと、店主はモーニングスターを片付ける。

 アルフレッドの後ろで小動物のように脅えているビオレに営業スマイル……といっても凶悪な盗賊のような笑顔だが、とにかく笑顔を浮かべ、店主は問いかける。


「お嬢様、そこの騎士様と一緒のお部屋はお嫌で?」

「えっ」

「個人的には護衛の騎士様が一緒の部屋に居たところで問題はねえと思うんですが……」


 逃げ道を示すような店主の言葉に、ビオレはアルフレッドのマントを掴みながら、消え入りそうな声で「問題ないかもしれません……」と呟く。


「え、ちょっとお嬢様!?」

「よっし、決まりだ。ほれ、通れ」


 店主がカウンターの下で何かをすると右側の扉からガチャンという鍵が開いたらしい音が鳴る。

 

「覚えてなさいよ……」

「ヘッ、もう忘れたね。で? 通さないのは三男坊殿でいいんだな?」

「あー……一応、全部弾いといて」

「分かった」


 そんな会話の後にヒルダは扉を開け、二人に先に進むように促す。

 そうして進んだ先はどうということもない廊下と階段があり、ヒルダに先導されるようにして二階へと登っていくと……そこにはやはり廊下があり、幾つもの扉が並んでいる。


「えーと……此処か」


 そのうちの一番奥の部屋にヒルダは鍵を差し込み、扉を開く。

 そうしてようやく到着した部屋は四人部屋というだけあって広く……いや。広すぎるほどに広かった。

 まるで二階のほとんどを使っているかのようなその広さにビオレは驚いたように辺りを見回し、アルフレッドは周囲の壁を見て扉が他にない事を確認する。


「……どういうことだ?」

「ダミーの扉って事。ま、単なる侵入者用の罠の一環だから気にしなくていいわよ」


 そう、実際この宿の二階にあるのはこの一部屋だけだ。

 一階には幾つか部屋があるのだが、つまり二階は特別室のような扱いになっている。

 

「えーとね、つまりこの宿は罠士ギルドが直営してるの。並の宿よりは余程安全だし、如何にあの三男坊様であろうと、この宿には手を出せない」

「それって……」

「そういうことですよ、お嬢様。この宿に何かすれば、フルシード男爵家は罠士ギルドを敵に回す。それでどうなるとは言いませんが、色々困るかもしれませんねえ」


 悪い顔をして笑うヒルダに脅えてビオレがアルフレッドの背後に隠れるが、アルフレッドは「ふむ」と短く頷いて見せる。


「……で、此処から先はどうするんだ。いつまでもこうしているわけにもいかないだろう?」

「そりゃまあ、ね。でもまあ……すぐに事態は動くと思うわよ。あの三男坊様、我慢強い方には見えなかったし」


 そんな事を呟いてベッドに転がるヒルダを見て、アルフレッドとビオレは疑問符を浮かべるのだった。

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