第3話

モリカナがあそこまでとは、正直、思ってなかった。


せいぜい、引っ込み思案なところがあって、人と接するのが苦手で奥手でシャイで、だけど「話してみれば普通の良い子だった」ぐらいを想像してたのが甘かった。


いじめを肯定する気はない。


だけど、犯罪者が社会から鼻つまみになるようなもので、社会のルールという枠から出ちゃうと、周囲から敬遠されるのは自然なことのように思えた。誰だって、いつミサイルを発射するかわからない国と、仲良くなんてしたくない。


いじめられる側にも理由がある、っていうヤツなのかな。それでもいじめる側が真っ当な人間とは到底思えないけど。


「お姉ちゃん!」

どっぷり思考の渦に浸かっていた私を呼ぶ声。聞き慣れた少女の声がした方へ目を向ける。

「ごめんね、アヤちゃん。待たせた?」


ショートカットの右上に赤いさくらんぼがついた髪飾り。薄いピンクのラインが入った白いシャツ、デニムのスカートに赤いスニーカーのこの子がセンセイの愛娘、笹岡彩である。


アヤちゃんが走り寄ってきた。私のお腹ぐらいの高さに頭がある彼女は、パッチリとした瞳で見上げて、

「ううん、大丈夫。それよりお父さんにお金もらってきた?」

しっかり者らしく、まずそこの確認に入る。暑い中走ったせいで彼女は汗をかいていた。


「いや、学校では受け取れないからさ。とりあえず、私が立て替えるって話に」

「ふーん。そっかあ。ま、下手したら捕まっちゃうもんね、お父さん」


「だなあ。ほれ」

私はハンカチを取り出してアヤちゃんに渡す。

「汗、拭いときな」


「ふふ。ありがと! あー、お姉ちゃんのニオイがするう」

汗を拭きながらハンカチを鼻元に当ててそう言った。


「ごめん、クサかった?」

「ぜーんぜん。オトナのオンナのニオイ」


「うあ、どこでそんな言葉覚えんの」

「テレビとか?」


ま、別にオトナでもないんだけど。私たちはこうやって週に2、3度は晩ご飯の買い物を一緒にするようになっていた。


お互いに家族とのふれ合いが欠如していたからか、こうしているのがむちゃくちゃ楽しくて、アヤちゃんも嬉しそうで、とにかく幸せだった。


妹欲しかったなあ、と考えるぐらいに。


でもすぐに、あの母親の元で一緒に生活するとどうなるかを想像する。そしてまだ見ぬ妹が可哀想になってきたので、考えを振り払うことにした。

「今日、なににしよっか?」


アヤちゃんも料理ができるので、基本的にはふたりでやっていた。メインで作業する担当を、毎日交代にしているぐらいだ。


家には子供用の調理器具なども揃っていて、かなり本格的に見えた。そんな中で育ったアヤちゃんの手際も良く、私は雑用にまわることもすくなくない。


そんなに難しい料理はまだできないみたいだけど、それでも日々食べていく分には不足がないようだった。ますます「私の子守は意味あんのかな」と思う。

ちなみに今日の担当は私だ。


「あ、このまえ食べたアレ」

「アレじゃわからんぞ」

「えっとね、なんだっけ。鍋料理? スープみたいなの」


「なんだろ。そんなの作ったっけ」

「えーっと、お肉とか野菜とか入ってて、スープみたいな」

「それもう聞いたって。なんか新しい情報ください」


「うーっと、あ、そうだ。フランス料理の」

そこまで聞いて思い当たった。

「ポトフ?」


「それ! お父さんも美味しかったって」

「まあ、あの日飲んで帰ってきてたから、ちょうどよかったのかもね」


切って煮込むだけの手軽にできる料理なので、私も自宅でよく作って食べていた。もっとも、それがポトフと呼ばれるモノに似ていることを知ったのは、つい最近の話。ついでにいうと、本格的なものに比べて、味付けは大雑把なものだった。


センセイの家で料理を勉強していくうちに、どうすればもっと美味しくなるかがわかった。その実験台となったのが笹岡親子だ。実験は成功だったようで、褒め言葉をいただいたのが心の底から嬉しい。


「チーズも買っていこう」

「チーズ?」

私の提案にアヤちゃんは首をかしげて聞いた。


「うん。こないだのもスープとか余ってたでしょ? あれにチーズとご飯入れてリゾットにすると、また美味しいみたい」

「へえ。勉強になります!」


そうやってスーパーの店内を歩き回る。

「あ、お菓子買っとく?」

「んー、いいや」


「なんで? あんまり食べてるとこ見ないよね」

「うん、ちょっとね」

アヤちゃんは視線を反らすように違うところを見た。


「好きじゃないの?」

「そんなことない、けど……」

「ん」


チョコレートとかクッキーのお徳用パックを、適当にカゴへ入れる。

「あ、いいってば」

こっちを見ながら言うアヤちゃんは、困ったような顔だった。


「私が食べるの。ストックだよストック」

「あ、そっか……」


「でも、一緒に食べようね。あまってももったいないし」

「うん……ありがと!」

ニコっと笑顔になる。


「まあ、これは私のオゴりだから、お父さんになんか言われても気にしないで」

「うん。でもお父さん、何も言わないとおもう」

そうだね。あのセンセイは何も言わなそうだ。


私には、アヤちゃんが不憫で仕方なかった。

きっと、お菓子も好きなんだろう。でも、晩ご飯のお金で勝手に買って食べるのは、気が引けたりしてるんだと思う。

そういえば、彼女はやりくり上手だった。


私なら三日程度しか持たないであろう額で、一週間の食費をまかなう。それも無駄を一切省いた結果なのだろう。センセイとしても想定以上お金を請求してこないので、なくなるタイミングがわからないらしい。


今回予想より早くなくなったのは、私の分が含まれているからに違いない。なんだかさっそく足を引っ張ってる感がぬぐえなかった。

早いトコ別の形でお返ししなくちゃねぇ。


「アヤがそんなことをなあ」

遅く帰ってきたセンセイに、夕食を出してあげる。私はアヤちゃんがお菓子も我慢しているということを説明した。


「かわいそすぎじゃない?」

「いや、俺も言ったんだけどな。いいって言うもんだから」

まあ、センセイじゃ私みたいに「自分が食べる」という言い方もできないか。


「あいつ、お小遣いもほとんど使ってないみたいだな」

「ああ、みたみた」

「見たのか?」


「あ、中身は知らないけど。部屋に貯金箱が20個ぐらいあったよ。全部ずっしり重いの。あれは殺人の凶器に使えるね」

私は向かいの席に座って両手で頬杖をついて、センセイが食べている姿を眺めながら言った。


こうしてると、まるで夫婦みたい。


「ねね、センセイ」

「ん?」

食事に集中しているようで、がっつきながらこっちを見ずに答える。


「女子高生のお嫁さんとか、どう?」

吹き出しそうになるが、すんでのところで堪える。

「おまえ、なにいってんの?」


「いやあ、こうしてアヤちゃんの話してるとさ、悪くないなって」

「ああ、そっちか」


ふと、違和感があった。

センセイの慌て方だ。

ビックリしたというのは違いないんだけど、意表を突かれたというよりは……それに「そっち」って「どっち」なんだろう。何かと勘違いしているという点では間違いはない。


「おまえなあ、俺がそんなことしたら淫行教師だ。クビだよクービ。アヤもメシが食えなくなっちまう」

「わかってるよ、そんなことは。でもバレなきゃよくない? いまだってバレてないし」


「なんなの、それ流行ってんの?」

私は、センセイがなんのことを指しているのかわからなかった。


「それって?」

「バレなきゃってヤツ」


「いや、そんなことないと思うけど。なんで?」

「あー、ああ。なんかよく耳にするなって思ってさ」


「そう?」

そういえば私もなんか聞いた気がするなあ。それもごく最近。


あっ。

そうか。モリカナだ。


思い出した。あいつ、センセイのことが……。

背筋がゾクッとした。殺されることを明確に想像したわけではないが、モリカナの計り知れない殺意というか、怨念のようなものを感じたのだ。


同時に、私の中のもう一つの感情が、はっきりと感じ取れた。


もちろん、純粋な彼への想いだけではない。

アヤちゃんのことや自分の境遇、今現在の関係、いろいろあってのこと。


だけど私は、いつの間にかセンセイのことが好きになっていた。今までも、うすうすは思っていたけど、それは友達とか頼りになる兄貴的なものだと思っていた。


でも、アヤちゃん……そう、一番の理由は彼女かもしれない。


私とセンセイの間に彼女が存在していると、妙に現実味を帯びた家族感が増してくる。なんというか、センセイのことを好きには違いないんだけど、彼氏彼女のカンケイを飛び越えて、夫婦になってしまったような気持ち。


ドキドキはしない。だけど、今まで感じたことがない安らぎとか幸せは、ハッキリと感じとれた。センセイもアヤちゃんも、私の大事な家族。そういう純粋な愛だったと思う。笹岡親子と過ごしていると、なんだか力強い活力や自信が湧き出てくる感じだった。


でも、それはモリカナとライバルになるということ。

そして彼女の殺意を、この身体で受け止めるということ。

その生命の危機が、皮肉にも自分の気持ちに気づかせることになった。


「すまん、言い方が悪かった」

「へっ? え? なになに?」


「いや、傷ついてたみたいだったから」

あ、あー。断られてショックを受けてるように見えたらしい。

でも、面白そうだから、このままそういうことにしておこう。


「たしかに、私はまだ子供だけどさ」

「うん、そうだな。ちゃんと女として扱うべきだった。すまん」


「せめて、1回ぐらい抱いてから判断してよ」

センセイは黙り込んでしまった。

ちょっとやりすぎたか。


「あのな、日村。男っつうのは、女が思っている以上に男なんだ」

おっと、センセイの変なスイッチが入ったか。


「正直、女子高生ぐらいなら、性の対象として見られるヤツの方が多いだろう。だから、そういうのを売りにした商売もなくならないんだしな」


「あの。センセイ」

謝ろうとするも、センセイに首を左右に振られる。いつの間にか食事の手を止めてこっちを見ていた。


「しかし、高校生というのは社会一般的に見ればまだ子供なんだ。未成年に該当し、守られる存在だ。思考や身体は一人前でも、精神面や経験面はそうじゃない。だから、それを食い物にするヤツが集まるわけだ」


うええ、めんどくさいよう。もう「私のことを思っている」の一言だけでいいのに。気持ちは伝わってるんだよう。


「だから、今のおまえとは付き合えない。俺は守る側の立場だし、おまえは守られる側の対象だからだ」

あれ、私、いまサラッと失恋した?


「だけど」

だけど?


「もし、高校を卒業しても、成人しても、仕事を見つけて一人前になっても、まだ気持ちが残ってるなら、もう一度俺のところに来い。俺は待っててやる」

アツイ瞳で見られている。


「それ、マジで言ってる?」

「ああ。俺が今返せる精一杯の言葉だ」


「私のこと好き?」

「……まあな。最初は不憫な生徒ぐらいにしか思っとらんかったが」

始まりがそうだったしね。


「アヤと仲良くしてるのを見ると、だんだん他人とは思えなくなってきてな」

センセイもアヤちゃんが起爆剤となったようだ。

「でも、それって娘としてみたいな感情じゃない?」


「それだけじゃない。逆境に負けず、一生懸命に前を向いて歩こうとしてるおまえを見てると、人間としても、女としても惹かれるものがあった。それは間違いない」


さすがに星5つ並のレビューをもらうと恥ずかしい。そんなたいそうなヤツじゃないことは、自分でもよくわかっているし。騙してる気持ちになる。


「うん、わかった。私、センセイに相応しい女になれるように頑張る。だから、見てて」

センセイは力強く頷くと、再び食事を始めた。


「火、かけ直すよ」

そう言って、センセイからお皿を預かろうと近づく。


お皿を受け取るぐらいの距離で、

「んっ」

センセイの意表をついて唇を近づけた。


思ってたよりもずっと柔らかかったそれは、私が生きてきて、初めて人間と繋がりを持てた出来事だった。


「保証金代わり。ファーストキスだったんだから、あとでこの話はウソだったなんて言わせないからね」

吐息が掛かりそうなほど、近い距離でそう言った。


センセイは優しく頭を撫でてくれた。

ファーストキスはポトフの味がした。


あのあと私たちは黙り込んだままだった。どちらからも何も言わず、何を言えばいいのか手探りのまま、センセイが「送るわ」と言って車で送ってくれた。送ってもらう最中も、別れ際もセンセイの顔が見れなかった。


明日からどんな顔でセンセイに会えばいいのかわからない。今までみたいにできるかわからない。


キスの感触を確かめるように、唇を指先で触れてみる。センセイとシたんだって思うと、恥ずかしくて布団の中で身もだえてしまう。


未知の世界に足を踏み入れてしまったという現実。もう昨日までの自分とは違うという感覚。新しい自分になったんだというような実感。


イマドキ高校生なら珍しくないだろうけど、私にとっては一大事で、間違いなく歴史の一ページに書き残すぐらいの事件だった。


まだ胸がドキドキしてる。

これが大人への階段か。


センセイは私とシてよかったと思ってくれてるのかな。いや、後悔してそうだ。「生徒とシちまったー」って後悔してそうだ。絶対そうだ。


どうせなら誇らしく思って欲しい。俺はまだ若い子にモテるんだーって自信に繋がって欲しい。後悔はして欲しくない。


すっかり乙女になった私は、センセイのことを考えながら眠りについた。


次の日。

私を現実に引き戻したのは、突き刺さるような母の声だった。


「起きな」

強く足蹴にされてベッドから落とされる。


「いたっ、もー、なんなのよお。蹴ることないでしょお」

目をこすって視界を確保しようとする。そもそも母が朝っぱらから私の部屋にいることはまずない。仕事から帰ってきてグースカ寝てるからだ。


すこしずつ明瞭となる景色。そこに立っていたのは社会の教科書で見た仁王像。と化した母。ああ、仁王立ちってここから来てるのか、と現実逃避した。


「なに?」

ゆっくり立ち上がる私。


「昨夜の男、だれ?」

一瞬で目が覚めた。全身から血の気が引いていく。


「車の男。だれなの?」

起きたての頭にこれはキツい。とりあえずセンセイの迷惑にならないようにしないと、アヤちゃんまで……。


「これ、アンタでしょ?」

見せられたのは私のスマホ。


ロックは解除されている。表示された画面には、ブックマークしてあったパパ活サイトの管理ページ。新規で投稿したり、過去の投稿が自由に編集できる画面だ。


「よく見てよ。昨日の日付じゃないでしょ」

そこまでガジェットに詳しくない母を煙に巻くのは簡単だ。

と思っていた。


「ということは、昨日以前にはこれ使ってたってことだろ?」

マズった。足下をすくわれた気分。


「尚更、昨日の車の男は誰なんだって話」

完全に墓穴を掘った。普通にパパ活だって言えばよかった。


でも、これは、ひょっとすると。

心配してくれてるのかな。娘の素行が心配で怒ってるのかな。いや、自分に迷惑が掛かりたくないだけだろう。いやでも――。


「いくら稼いだの?」

前言撤回。


そういうことか。

この人の頭には、金とパチンコしかないらしい。


「だしな。稼いでんなら生活費ぐらい入れろよ。人として当然だろ」

いろいろ腹立つけど、何も言う気になれない。

渋々、鍵付きの引き出しから白い二つ折りの財布を出す。財布を開こうとすると、


「貸しな。チンタラやってんじゃないよ」

財布をひったくられ、お札をごっそり引き抜かれる。


「ちょっとお、ご飯どうすんのよ」

「ウって稼げばいいじゃん? 女子高生なら高く売れんだろ」

はあ。この人間性の低さには脱帽する。そら旦那も逃げるわ。


「いたっ! ちょっ、痛いってば!」


お札が引き抜かれた財布をその場に捨てて、お札を握っていない左手で私を何度か殴りつける。太ももを何度も蹴りつける。髪を掴んだまま、あっちこっちと引っ張り回される。顔を殴りつけようと平手打ちのポーズをとる。


私は思わず、ギュッと目を瞑る。しかし、荒々しい母の呼吸以外なにも聞こえず、頬や顔に衝撃がおとずれることはなかった。


「隠したりするからこうなるんだ。いいか? あんたはこれから稼いだ金をあたしに渡すんだよ。チョロまかしたりしたら、どうなるかわかってんだろうね?」


息を切らしながらそう言い残して、あの人――アイツは部屋を出て行った。

悔しくて涙が止まらない。サイテーな朝だ。


顔を殴らなかったのも、傷が目立つと困るからだろう。逆上しながらも冷静に虐待を繰り返すアイツが憎くて仕方なかった。


なんで私は、アイツの娘として生まれることになったんだろう。

なんでアイツは、今ものうのうと社会で生きていけるんだろう。

なんで世界は、アイツが甘い汁を吸っているのを見逃しているんだろう。


もう我慢できない。警察に言おう。

そう思った瞬間、センセイの顔が浮かんだ。

ダメだ。学校変わりたくない。


センセイに相談する?

心配かけたくない。それに今のセンセイとの生活がなくなってしまいそうだ。アヤちゃんにも会えなくなる。ひとりぼっちになっちゃう。

家族がいなくなるのはイヤだ。


ふっと、モリカナのことが浮かんだ。

殺してしまう?


そうか。殺してしまえばいいのか。


そうすれば、アイツに邪魔されずに生きていける。ウチの家庭に問題があることはセンセイも知ってるし、学校のえらい人にも話が通ってる。地域の人? も話は知っている。罪には問われないかもしれない。


ただ、結局いまの生活を奪われることには違いなかった。

それだけは、自分の手でつかんだ幸せだけは手放したくなかった。

我慢することを選んだ私だったが、身体がいつまで持つかは自分でもわからなかった。

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