こうきゅうほてる編

こうきゅうほてる [1]




「……ねぇ、ほっ、ほんとに、いいの?大丈夫だよね?僕いていいんだよね……?」

「もう、涼くんは心配性だなぁ。このいろはちゃんに、どーんとまかせなさい!」

「うわぁぁぁしんぱいだぁぁぁぁぁ」

「ちょっとそれどういう意味!?」


今回、僕達はちょっといつもより遠出して、一泊二日の旅行に来ていた。

そして今日がその1日目。街をぶらぶら歩いて、名物やスイーツを食べ歩きし、文化遺産らしい池や寺院を観光して、なかなか歩き回ったのでクタクタになったところで本日の宿泊先に到着したのだ、が。


いろはににこにこ笑顔で連れてこられたのは、天井には豪華なシャンデリア、大理石の僕なんかが踏んだら僕が蒸発してしまうくらいピカピカ輝く床に、なんか高価そうな油絵、そして所作一つ一つがピシッと決まっているホテルの従業員達が僕達を歓迎してくれるような、超一流豪華ホテルだったのだ!


実は高級ホテルは初めてではないけど、まあいつもいつも来るわけでもないし、興奮してしまうのは仕方ないだろう?

というか、ニコニコ笑顔で連れてこられたのは良いけど、僕こんな高い所に泊まるだけのお金なんてないぞ!?やばい、どうしよう……?


「ねぇみてみて涼くん!このシカの角、ぶら下がれるよ!?」

「ぎゃあぁぁぁぁぁっっ!?」


ちょっとなぁにしてるのいろはさん!?そんなの壊したら何百万とするやつじゃん!?


「危ないよいろは!?というかシカさんのツノ折れちゃうよ!?そんなぶら下がってたりした、ら……?」

「………それってどういう意味?……涼くん」


僕がいろはに危ないし、と言おうとした時、彼女はすっ、と地面に降り立ち、彼女がその身に纏うオーラがおこおこオーラに変化した。


「……あのー、いろはさん、一体何を」怒って

「そんなに私、太ってない!」

「ふぇっ!?」


太ってる、だと……?

そんな事一言も言って―――



(「……シカさんのツノ折れちゃうよ!?そんなぶら下がってたりしたら!」)



――――たな!?そういえば!!


「……あー、僕はそういう意味で言ったんじゃなくて、もし折れたりしたら危ないと思ったから――」

「ほら!やっぱり折れる前提で話してるじゃん!……てことは、私のこと『でぶ』って言ってるのと一緒じゃん!」

「だから、違くて――」


とそこまで言いかけて、僕は周りから聞こえて来た声で、喉まで出ていた言葉を飲み込んだ。


「……ちょっとあの子、女の子になんて失礼かしら」

「あーんな可愛い子に向かって、そんな意味は無かったなんてとんだ恥晒しもいいとこねぇ……」


うっわぁー……、セレブのマダム達の視線が痛い。あとヒソヒソ話してるつもりかもしれないけど全部丸聞こえですよマダム。陰口じゃない陰口は割と心えぐるからやめて……。


そしてそんな僕を他所に、いろはは一人、受付から鍵を貰っていた。


「……いくよ、涼くん」

「はい」


もうこちらを見向きもせずに、すたすたとエレベーターまで歩いていくいろはの背中は、一体何を語っていたのだろう。ビクビクしながらついて行った僕は、いつか来る未来で、それを知ることとなるのだが、それはまた、別のお話である。




〜〜〜


「いろはさん、粗茶です」

「風呂のセット、いろはさんの分はここに用意しました」

「着物の帯を御結びいたします」

「……それくらい自分でやる」

「大変失礼致しました、それでは僭越ながら、着付けを手伝わせて頂きます――」


高級ホテルの一室、シングルベッドが二つ並ぶスイートルームで、一人の男がまるで執事のように、いや、それよりも遥かに俊敏に動いていた。誰でしょうか、もちろん僕です。


僕がこんなにいろはのご機嫌取りに必死なのには、勿論きちんとした理由がある。

というか、そもそもさっきのは完全に誤解だし聞く耳持ってくれないいろはにも非があると僕は思うのだが、それはぐっと心の奥底に秘め、苦虫を噛み潰した様な辛い思いを堪えて、こうして頑張っているのだ。


何故ここまでするのかというと、理由は単純明解。いろはの機嫌次第では、僕は野宿になってしまうのだ。


特に今日は不幸で、いつもなら最悪野宿出来るような装備を一式整えていたのだが、今日に限ってその一式をメンテナンスに出していた。

昔ならネットカフェとか、夜行鈍行(深夜に走る普通電車。今は殆ど走っていない)があったのだが、最近は青少年育成条例とやらのお陰で、僕の様な未成年の男はホテルか野宿かしか選択肢が無いのだ。しかし、夜中に公園にいるとまあ当然といえば当然だが警察に厄介になるので、実質ホテルに泊まる選択肢しかない。


なんとさらに今回はおまけ付きで、僕は今殆ど最小限のお金しか持っていない。とはいえ用途が帰りの新幹線代なので、もし新幹線を使わずに歩きで帰るのなら、今日は別のホテルに泊まることができるが、その方が最終的にお金がかかる。何が言いたいって、要は手詰まりなのだ。


そんな追い詰められた僕は、

(…うぅ……!いろはさん、機嫌なおしてくださいぃ……!)

と、心の中で泣き叫びながら、いろはのご機嫌取りに全力を尽くすことしか出来ないのである。


そして、取り敢えず出来る範囲でやれる事をやり終えたので、僕は次に何か出来そうな事を探した。

「いろはさん、次は何を」

「……もういい」

「えっ?」

僕は、いろはが発した言葉の意味を、この時は全く理解できていなかった。それを知ることになるのは、これまた先のお話である。


「涼くんも、お風呂いこう」

「わ、分かった」


僕は、言われるがままにお風呂の支度をさっと済ませて、このホテル自慢らしい大浴場へ向かった。

そして、この大浴場絶賛楽しみタイムの後に起こる出来事が、二人の関係を揺らす事になるとは、この時の僕は思いもしなかったのである。


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