天才少女は青春を謳歌したい

水無月二十日

天才少女は青春を謳歌したい

「退屈ですね~先輩」


 僕のだるそうな声が埃まみれの教室に響き渡る。


 うな垂れながら雑巾で、拭いたばかりの机に突っ伏して目の前の先輩を見た。


 腰まで伸びた艶やかな黒髪に、凛とした顔立ち、すらっとした身体、艶かしく伸びた綺麗な脚。そんな容姿端麗という言葉はこの人のためにあるんだなぁと、すっかり感心してしまうほどの美人と目が合った。


「退屈だなんて大いに結構じゃないか。少年君」


 椅子に横向きに足を組んで座っていた先輩は、顔だけをこちらに向けると話を続けた。


「退屈というのはつまりそれはする事がなくて暇を持て余しているって感覚の事だろう? それは考え方を変えれば君の周りが平和という事だ。実にいい事じゃないか、だったら君はその退屈を謳歌すればいいさ」


「そりゃそうですけど、少しは何か起きてもよくないですか?」


 机に突っ伏した僕はこのまま溶けるんじゃね? とあまりの暑さに頭の中でドロドロのスライムになった自分を想像して意味のわからない、というか意味のない事を考える。


 そんな僕とは裏腹に先輩は暑そうな顔一つ見せずに近くに置いてあったらしい埃をかぶった分厚い本を読んでいる。


 何か起きるなら少しでも気温の下がる何かにしてもらいたいものだ。いきなり豪雨が降ってくるとか。


 その場合降った後、余計暑くなるが。


 そもそもこんな非衛生的な場所にいる時点でそんなこと望むのは高望みもいいところか。


 というのも、僕らは今、どのくらい放置されていたのか予想できないくらい教室の中の物という物が埃まみれの、古びていてかび臭さを感じる何の教室だかも分からない物置同然の空き教室を勝手に占拠してたむろっている。


 僕と先輩は学年が違うからどちらかの教室で駄弁る事も出来ない。そこでどこか空き教室を探そうという事になって行き着いたのがここというわけだ。


 何故かは不明だが、学校一の天才少女である先輩は凡人の僕を気に入ってる様で時間がある時はこうして一緒にいることが日常になっていた。

 もちろん僕自身も先輩と一緒にいることは嫌じゃない。むしろ嬉しい。学校一の完璧天才少女からアプローチをかけられているんだ。嬉しくないわけない。


 まぁ、問題があるとしたらそんな先輩と一緒にいるためか、学校中の男子生徒に嫌われている事だろうか。これが等価交換の原則というものなのだろう。


「そうだな、ならせっかくだし話でもするかい?」

「退屈だな~でする事が雑談ですか?」

「嫌かい?」

「嫌ではないですけど」

「うん。なら始めようか」


 先輩はそういうと持っていた本を閉じて置くと完全に僕の方を向き、正面を向いた。


「ところで先輩この部屋暑すぎません? 窓という窓全開なのに全く風が入ってこないんですが」


「それは風向きとこの建物の位置関係に言いたまえ」


「風向きと建物の位置関係ちくしょ~!!」


 開いている窓に向かって僕は両手を口に当てて叫んだ。そんなことしても無意味なのは分かっているがあまりの暑さに叫ばずには入られなかった。


「あ~ゆでだこになる~」


 だらしない声を出して机に脱力する。


「少年君、このくらいの暑さで根をあげるなんてだらしないぞ」


 先輩は僕の事を少年君と呼ぶ。理由は聞いたがこの方がしっくりくるから、だとか。


 凡人の僕にはやはり天才の考えは理解できない。


「そんなこと言われても暑いものは暑いんです。大体何で先輩こんなに暑いのにワイシャツの上にベストなんて着てるんですか」


「私は寒がりでね」


「今真夏ですよ? 今寒かったらあなた冬どんな格好してるんですか」


「寒がりと言っただけで寒いとは言ってないよ。私にとってはこのくらいの暑さはべストを着こなして適温なんだよ」


「どんな身体してんですか……」


「普通じゃないのかい?」


「えぇ。余裕でアブノーマルです」


「それは知らなかった」


 キョトンとした顔で言う先輩。天才という生き物は体温調整能力も違うのか。いや、でも人間なんだから同じ恒温動物だろ。いや、もしかしたら……


「どうした少年君」


 考え事をしていたからだろう。きっと変な顔になっていた僕に先輩は声をかけた。


「いや、先輩は本当に恒温動物なのか考えていました」


 それを聞いた先輩はふふっと口に手を上品に当てて笑った。


「君は本当に面白い事を言うな」


「だって先輩の体温調整機能は普通じゃないです」


「だから私が実は変温動物なんじゃないかって?」


「えぇ。その方が辻褄が合います」


「梅干しでも食べた渋い顔をしているからどうしたのかと思えばそんな事を考えていたのか」


 舌をちらっと出して唇を軽く舐めて先輩は言った。


「少年君一ついい事を教えてあげよう」


「なんです?」


「恒温動物と変温動物と言ってはいるがその実、定義が曖昧なものなんだよ」


「どういう事ですか? 哺乳類、鳥類が恒温。爬虫類、魚類、あと昆虫が変温ですよね?」


「一般的にはな。しかし、中には哺乳類でも変温のものも昆虫でも恒温のものもいる。例えばミツバチは巣の中で密集して飛翔筋という飛ぶための筋肉を運動させる事で巣の温度を調節して一定の温度に保つ事ができる。我々ヒトと同じ哺乳類のナマケモノも実は外気に合わせて体温を変化させて代謝を抑えている変温動物だ。このように生物によっては同じ生物群でも恒温、変温が曖昧になるものもいるってことなのさ」


「へぇ。また一つ賢くなりました。つまりその話を参考にすると先輩はナマケモノって事ですね」


 僕は冗談混じりに笑って言った。


「そうだな、そうかもしれない。こう見えて結構怠ける所があるしな」


「真に受けないで下さいよ。でも先輩からそんな印象は感じませんけどね」


「そうか? まぁ、人の見えないところでだからかな。予習のページ数を10ページと決めたのに9ページにしてしまったりとかな」


「先輩、それ怠けるって言いません」


 天才ってホントに不思議な生き物。先輩に出会ってから本当にそう思う。


「時に少年君。こうして話している間、暑さを忘れなかったかい?」


「いえ、余裕で暑かったです」


「本当かい? それは話に熱が入っていない証拠だよ。現に私は暑さなど一ミリも感じなかった」


「それ、先輩が暑さに強いだけでしょう! 大体この教室も物置になっちゃってて風通しがよくないんですよ」


 今、風なんて吹かれたらそれはそれで埃が教室中に舞って大変な事になるが。


 僕らの状況と言えば埃まみれの物が、乱雑に置かれた文字どおりの物置教室の机と椅子を雑巾で拭いて面と向かって僕らが対峙している。僕側からみれば右側に窓が全開に開いていて左側は物がひしめくそんな状況。


「埃まみれで風通しも最悪。位置関係で日も当たらないし、放置されているから当然電気もつかない。ダメな意味なら最高の環境ですよ? 何と言うか居心地もよくないですよね」


「まぁ、この教室の環境ついて言えば君の意見に賛同するが、もう一つの意味で私は居心地がいいがね」


 それを聞いて僕は首を横に傾げた。


「もう一つ? 何ですか?」


 先輩は含みを持たせて不敵に笑うと一切の迷いなく言った。


「私はね、君と一緒にいるこの何気ない空間がたまらなく好きなんだよ」


 正面で手を組んで肘を机に突いた状態でこちらを見つめる先輩と目があった。


「えっ!? き、急に何言い出すんですか!?」


 突然のカミングアウトに驚きを隠せずあからさまに動揺してしまう。


「何を動揺しているんだ? 私は本当の事を言っただけだぞ?」


 先輩は意地悪そうにそういうと更に不敵に笑う。


「だ、だって先輩が急に変な事言い出すから」


「ふっ、顔が真っ赤だぞ。可愛いじゃないか少年君」


「からかわないで下さい!」


「ふふっ、すまない。赤面して恥ずかしがる君を見ていたらつい苛めてしまいたくなってしまった」


「もう、先輩ったら」


 僕は可愛げもないくせに怒って無駄に頬を膨らませてみせた。


「でも居心地がいいのは本当だ。少年君、君はどうだ?」


「僕ですか? 僕は……」


 正直言うと僕も先輩と一緒にいるこの空間が好きなのだ。突然言い当てられて図星付かれてしまって動揺したけど、やっぱり好き。同級生でも部活の仲間でもましてや彼女でもない。


 けど、一緒にいる。一緒にいられる。時が巡りいつしかそれが当たり前になってしまうくらいに僕はその空間に、そして先輩に依存していた。


「僕も……好きです。この空間」


 僕の返事を聞いて微笑んだ先輩は妖艶で今までで一番綺麗に見えた。


「時に少年君」


「……はい!?」


 あまりの美しさに数秒浸ってしまっていた。


「君にとって【今】とはなんだ?」


「これはまた難しいテーマを持ってきましたね」


「退屈しのぎにはなるだろう?」


「【今】ですか。僕は凡人ですから期待に添えるような事は言えませんよ? それでも答えるなら僕の思う【今】って静止している時かなと思います」


「ほぉ」


 両手を机に寝かせて置くと、先輩は椅子を前に引いた。


「今、こうやってここにいる事や先輩と話をしている事、椅子に座ってる事、これ全部静止しながらしてる事ですよね。別に静止してなくても【今】はあるのかも知れないですけど、僕は静止している時の方がより【今】を感じるんですよ」


「自分を凡人と言いながらなかなか面白い答えを出してくれるじゃないか」


「先輩の【今】って何ですか?」


「私のかい? うん、それを話す前にまず昔話を聞いてくれないかい?」


「あれは私が中学生の時、修学旅行で行った京都のお寺の和尚に聞いた話さ。【今】というのは人間の感覚でいうとあっという間に終わってしまうんだとか。例えば、あいうえおと言ったとして発声して【い】と言った時点でもうその前に今だった【あ】は終わっている。それこそ刹那そのものだよ。【今】とは尊いものなんだと知って当時の私は和尚の話に感銘を受けたものだ」


「壮大ですね」


「そう思うかい? 少年君が壮大だと思うそれが今も止め処なく起きているんだよ。つまり、私の思う今は人生そのものなんだ」


「人生、ですか?」


「あぁ。時というのは止まる事もなければ戻る事もない。永遠に進み続けるだけだ。そして人間の人生とは、そんな進み続ける時の中で生じる連続的な今だ。あっという間に終わる今をいくつも重ねて選択が生まれ、選択してそうやって紡いで行くのが人生だ。それが私の思う【今】の答えなんだが」


「なんていうか凡人の僕にはあまりにも壮大で広大な世界すぎて理解するのに時間がかかります」


「そんな難しい事言ったつもりはないんだがな」


 平静装って普通の顔でこういう事言うんだから、この天才は。


「天才の先輩が言うならそれが答えですか?」


「いや、君のも正解だ」


「僕のも?」


「あぁ。こういったどこか哲学めいたテーマというのはある種永遠のテーマだよ。そこに完全な正解はなく、考える人の導き出したものを答えとする」


「つまりその人が考える答えで簡潔していると?」


「そもそもこんな事考える輩自体今の時代希少価値だろ? 考える事に意味があるのさ」


 考え方は人それぞれ。その中の一つを明確な正解にする必要はないと先輩は語る。


「少年君、この世界には時というものがあるな」


「はい」


「それはつまり時間だ。一日を24時間としてそれを7回続けたものを一週間と言う。更に4週間を一ヶ月、それを12回続けると一年になる」


「はい」


「これら時間という物は有限だ。その時の時間はその時にしかないし、過ぎてしまえばもう訪れる事はない。時間ほどかけがえのないものはないと思わないか?」


「それは確かに」


「だろう。私が何でこんな話をしたかというと、時間を無駄にしてしまってはもったいないということを言いたいんだ」


「はぁ」


「そこで聞くが少年君。明日から私達は何が始まる?」


「えっと、夏休みです」


「そうだ。私はこのあまりに余って仕方ない夏休みという1128時間を有意義に使いたいんだ」


「また、回りくどい言い方しましたね、今までの話は全部この話をするための前座だったって事ですか」


「いかにも」


「しかも1128時間なんていう面倒くさい言い方までして」


「もっと面倒くさい言い方しようか? 私はこの67680分を有意義に使いたいんだ」


「わざわざ言い直さなくてもよろしい」


 そこで嘆息する僕。


 本当にこの天才少女ときたらどこまで回りくどいんだか。まぁ、それが先輩なんだけど


「少年君。私は一人でこの夏過ごすつもりはないんだよ」


 それって、もしかして


「君は明日何をして過ごす?」


 そこで先輩は右手人差し指をびしっと僕に向けて指した。


「ん~学校で出された課題を適当に片付けて、昼間はアイスかじりながら高校野球でも見ますかね」


 僕は突っ伏していた身体を起こすと分かっている事をさぞ分かっていないかのように答えた。


「なるほど。君も私に負けず劣らず回りくどいな」


「先輩ほどじゃないですよ」


「ふっ、君もなかなか言う様になった。ならば言わせてもらおう! 少年君、私と一緒にこの夏休みを……そうだなかっこよく言うなら私と青春を謳歌してくれないか?」


 僕は口角を上げて笑うと、目の前の天才少女に向かって言った。


「はい、喜んで」


 僕たちの夏が始まった。

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天才少女は青春を謳歌したい 水無月二十日 @Minazuki0816

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