赦しの片翼
篠岡遼佳
第1話
もうだめだ。何もできることがない。
彼らを追いかけて、俺はこの廃ビルまでやってきた。汗を垂らし、息を切らせながら階段を上る。白衣などどこかに捨ててから、追いかけはじめればよかった。
「見つけたぞ!」
仲間の声が前方左から聞こえた。俺はそちらに走り寄りながら、持っていた刃渡りの長いナイフを取り出す。見た目の凶悪さそのままに、切れ味もとんでもない代物だ。だが俺は、ピペットと試験管を持っている方が得意なんだ。こんなもの、本当は使いたくなかった。
本当に、使いたくなかった。
――俺の足元に、背から血を流して倒れ込む少年。その背は異形のものが付いている。
それは翼だ。鳩に似せたと言われている、真っ白な羽。
片翼だけが残ったそれは、俺が刈り取ったものだ。もう片翼は、背中についたままでいい。これで許してもらえるだろう。
これまでに刈り取った翼を指折り勘定する。23、だから、残りはひとりだ。このまま最上階の非常階段まで追い詰めていけば良い。足元を阻む有刺鉄線を握りしめ、投げ捨てながら俺は思う。
廃ビル同然のこの建物は、周りの建物より高くできている。階段を上る度、足腰が悲鳴を上げる。俺は歳なんだ、腰痛もちなんだ。でもこれも責任である。許されるために、どんなに惨いこともしなければならない。
階段を上りながら、あの宣告を聞いてからの、結論に至るまでの長いようで、全く時間のなかった話し合いを思い出す。会議を開く暇さえなかった。
ただ、わかっていたのは、俺たちがついに、ある意味では本当に、「バベルの塔」を創り出してしまったことだった。
だから、我々は許されない。
非常階段を上がり、屋上へのドアを開けると、音を立てて風が通り過ぎる。やはり、はためく白衣がいいかげん邪魔だ。
最後の少年は、屋上の縁でその背中の両翼をはためかせていた。
俺は、何度も言って聞かせてきた言葉を、大きな声で繰り返す。
「もうこの世界は終わるんだ! こんなことをしてもなににもならない!」
「そんなことは知っている!」
俺が言うことを知っているように、俺の語尾に被さるように彼は叫んだ。
「あの宣告が嘘でも何でも無いことは誰だって知っている! そうだ、僕らは見られていた、ずっと見られていたんだ」
彼はそうして、なぜか少しだけ苦笑した。
「でもこの翼で、空を飛びたい、たとえ死ぬとわかってても、いいや、死ぬからこそ」
俺が止めるより前に、彼はその足元の縁石を蹴った。
慌てて見ずとも、結果はわかっている。俺は待った。
彼はやがてビルの間からその身を見せた。翼を大きく広げ、天使の梯子の降りかかる空へ上っていこうとしている。
そして、急速に失速し、落ちた。
24人、これで全部だ。
ただ力が抜け、俺は膝から地面にしゃがみ込んだ。
――俺たちが創り出したのは、来たるべき未来のための、頑健な身体を持つ人類であった。
それはすべてのタブーを無視するものであった。それを許される立場に、俺たちはあった。人類の英知を集結させ、それを創るのだ。
そして、あの宣告の日が来た。前触れもなく。
……我々は、至高の御方の機嫌を損ねてしまったのだそうだ。
天使を創り出すことは禁じられている。空から降る声は言った。
まさか、そんなつもりは毛頭ない。もちろん我々は訴えたが、そんなことは意に介されなかった。
既に天使は存在している。御技を真似できる存在は、滅ぼされる。それが我々の約束である。
終わりは近い。すべての言葉でその宣言は為された。終わりは、間もなくである。
そう、確かに背中に翼を持った彼らは、天使として生まれてしまったのだ。
俺たちは存在だけでも許されるよう、彼らを思って彼らの片翼を断った。これで天使ではなくなり、翼はなくても彼らは生きていける。
いや、彼らなら、生きていけるのだ。そうしたのは他でもない、俺たちなのだから。
けれど、明日のない、絶対的に希望の閉ざされた世界において、そうであることは正しい選択だったのだろうか。優しさや、思いやりや、辛さや戸惑いを含んだものであっただろうか。
もしも俺に子供がいたら、終わる世界になんと言うだろう。子になんと言うだろう。
実際の俺は、目の前の終末に怯えることも忘れ、ただわずかに口を開けて絶望の手を握ろうとしている。
「こちらは 港東区役所です 午後3時になりました」
いつもの特有のエコーを響かせながら、割れた人工音声が響く。
「これが最後の放送です
罪は すべての一族を 消し去る 罰によって
ああ、もう、終わるのか。
世界は終わるのに、俺には昨日と同じようにしか見えない。
同じように、風は吹き、鳥は羽ばたこうとし、空は青を含んできれいだと思う。
――こんなときに、タバコを吸うような趣味さえ持ち合わせていない俺は、ただ苦みを覚え、少し、口元が歪んだ。
赦しの片翼 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka
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