9-4

「野盗だ、野盗が川を渡ってきたぞ!」

「戸を閉めろ、家から出るな!」

 緩やかに曲がっていく道の向こうから、数人の町衆が口々に叫びながら駆けてきた。

 通りにいた人々は、あっという間に散っていった。道沿いの家々から、窓や戸口をばたばたと閉じる音がする。機織りの音も途絶えてしまい、まるで町中が息を潜めているかのような静けさが訪れた。

 宿に帰るべきかどうか、ユウは少し迷って、一旦、道の脇の物陰に隠れて様子を見ることにした。この先の川を渡るまでは、まだ西陵せいりょうの領内だ。もし野盗が出たというのが本当なら、マツバ姫に報告しなければならない。

 舟旅の間に貝殻屋から聞いた噂の中に、山峡国やまかいのくにのどこかで山賊が出没しているというのがあった。確か東のほうの話だったはずだが、川を越えてきたというなら、追っ手から逃れてここまで流れてきたのかもしれない。

 やがて男たちの荒々しい怒号が聞こえてきて、一団の人影が先のほうに姿を現した。堅気でないのは、遠目にも明らかだ。髪もざんばらで服装もひどく着崩れている。よく見ればどの男もずぶ濡れで、どうやら舟を使わずに川を渡ったようだ。

「おら、中にいるんだろ、出てこい!」

 ならず者たちは通り沿いの家の壁や扉をたたいては、怒鳴り声をあげる。住人からの応答がないと見るや、悪態をついて隣家に移り、また同じことを繰り返す。そうやって、次第にこちらへ近づいてきた。

 何が目的かはわからないが、性質たちの悪い連中なのは間違いない。ここは退散したほうがよさそうだと、ユウは踵を返してもと来た道を戻り始めた。

 ところが、あと少しで宿が見えてくるというところで、ふと違和感に気づいた。歩くたびに懐の中で鳴っていた、しゃらしゃらという音が聞こえない。衣の上から探ってみても、手応えがない。売り物にするために持ってきた貝殻の束が、いつの間にかなくなっていたのだ。

 まだ都までは道のりがある。路銀を稼ぐために、あの貝殻は必要だ。慌てて周囲を振り返ってみたが、それらしきものは見当たらない。遠くまで目を走らせてみると、ずっと向こうの曲がり角のところに、水溜まりに半ば浸かった状態で落ちているのがようやく見て取れた。

 大急ぎで駆け戻り、泥だらけの貝殻を拾い上げた、そのときだった。

「おっ、見ろ」

 頭の上で声がした。見ると野盗の集団は、もう目の前まで迫っている。

「ガキだ、ガキがいるぜ」

「何だ、一人だけか。親はいねえのか」

「みてえだな。どうする」

「ガキだって、いねえよりマシだろ。ちょいと面ァ貸してもらうか」

 先頭に立っていた男が、薄汚れた手を伸ばしてくる。ユウは反射的に後方へ飛びすさり、全速力で走りだした。

「あっ、こら待て!」

 男たちは、何やら怒鳴りながら追いかけてくる。宿を知られるのはまずい、と混乱の中にもユウは思い、わざとでたらめな方向へ走った。

 それが裏目に出てしまった。いくつかの角を曲がり、細い路地へ入ったところで、行き止まりに突き当たってしまったのだ。

 後ろを見ると、五、六人ばかりの賊が、道を塞ぐようにして駆けてくる。

 武器になるものは何もない。テシカガの鞘は返してしまったし、短剣はマツバ姫が持っている。

 とっさに、島武術の構えをとった。道が狭いから、同時に襲ってこられるのは、せいぜい二人。しかし、稽古したのはほんの数回だけだ。素手だけで、果たして大の男二人を相手に闘えるだろうか?

「おっ、何だこいつ、やる気らしいぜ」

 一人が立ち止まって指を差し、他の連中が大声でげらげらと笑った。

──こんなことになるなら、もっと真面目に習っておけばよかった。

 後悔しながら拳を握りしめたのとほぼ同時に、甲高い馬のいななきと蹄の音が辺りに響いた。

「あっ、兄貴だ」

「兄貴ィ、こっちこっち!」

 連中が振り返り、腕を振って呼ぶ。すると馬蹄の音が並足に変わって、だんだん大きくなってきた。男たちが脇に退いて、狭い道の中央を開ける。

 毛並みのよい斑馬まだらうまが、その間を進んでくる。鞍の上には、やはり衣服を泥水で濡らした大男の姿があった。

「てめえら、何やってやがんだ!」

 兄貴と呼ばれた男は、いきなり手下たちを一喝した。

「こんなガキ一人、大勢で追っかけやがって。見ろ、怖がってるじゃねえか」

「へえ、すんません。何も訊かねえうちに逃げてったもんだから、つい」

「馬鹿野郎、そんなんだから、誰も家から出てこなくなっちまうんだ。これじゃいつまで経っても、手がかりなんか集まんねえぞ」

 馬から勢いよく飛び降りると、先頭にいた手下の額を拳骨で殴った。

「それと、兄貴ってぇのも、やめろって言ったろ」

 殴られた男もその仲間も先ほどまでの威勢は吹き飛んで、すんませんすんませんと縮こまって謝るばかりだ。

 大男は少女の前までやってきて、目線を合わせるために身を屈めた。間近に見ると手下たちの比ではない、凄まじい迫力だ。

「すまねえな。別に俺たちゃ、おまえさんを取って食おうってんじゃねえんだ。ちょっくら話を聞きてえだけでよ」

「……」

「うん? こいつ、どっかで見たような……」

 男は訝しげに眉を寄せて、少女の顔を団栗眼でのぞきこむ。

 ユウもまた目を大きく開いて、相手をまじまじと見返した。髭を剃り落とし、髪も短く刈り上げた精悍な風貌は、記憶にあるものとは少し違っている。しかし、その大きな体躯、がらっぱちな口調と破鐘われがねのような声は、忘れようがない。

「あっ、おまえ……」

 相手もまた何か思い当たった様子で、顎も外れんばかりに口を開いた。が、彼が先を続ける前に、

「わたしの連れに、何か用か」

 取り囲むならず者たちの向こうから、静かな声が割りこんだ。

「用があるとすれば、わたしであろう」

 その声を耳にした瞬間、男の巨体がびくりと震えた。もはや目の前の少女のことなどすっかり忘れてしまったらしく、何も言わずに立ち上がり、ゆっくりと後ろを振り返る。

「オ、ヤカタ……?」

 無論そこにいたのは、騒ぎを聞いて駆けつけたマツバ姫だった。髪は短く、頬は痩せて、薄汚れた身なりをしていても、その凛とした立ち姿は見紛うはずもない。

「久しいな、バンケイ」

「オヤカタ……てめえ、今までどこでどうしてやがった!」

 バンケイは出し抜けに大声をあげると、腕を振り上げてマツバ姫に詰め寄った。相手の肩を乱暴につかみ、また不意に動きを止める。それからしばらく息を荒げたまま黙りこみ、姫の顔を正面からにらみつけていた。

 マツバ姫はもとより動じることなく、男の険しい形相をまっすぐに見つめ返している。取り巻く手下たちは何が何やらわからず、ユウもただはらはらしながら、様子を見守るしかない。

 やがて、うおおおおっ、と獣のような咆哮が夕焼け空を切り裂いた。その後に続いたのは、激しい嗚咽と、思いがけない懺悔の言葉だった。

「オヤカタ……すまねえ。すまなかった。許してくれぇ……」

 バンケイはまるで巨人の子どものように、息も絶え絶えにしゃくりあげる。

「何を謝る?」

「違うんだよ……殺されたり、ふんづかまったり、そういうのは、俺でよかったんだよ……あいつが死んだり、あんたが連れてかれたり、そんなことになるなんて、思わなかった。俺だけ、無事に帰るなんて、そんなつもりじゃなかったんだぁ……」

 がたがたと肩を揺らして、バンケイは泣き続ける。手下の男たちは呆気にとられて、互いに顔を見合わせているばかりだ。

「そなたが生き延びてくれたことは、わたしにとって、せめてもの救いであった」

 マツバ姫は大岩のような彼の背中に手を回し、優しく撫でた。

「テシカガの最期を看取ってくれたそうだな。あやつの剣も、戦場から持ち帰ってくれた。これ以上、何を望むことがあろう。そなたはよくやってくれた」

「……」

窪沼くぼぬまの妻には会えたか?」

 まだ嗚咽はやまず、バンケイは首を上下に振る。

「そうか。会えたか」

ガキ連れて……襲堰かさねぜきまで、わざわざ会いに……そんで今……」

「共に暮らしているのか」

「官舎で……婆さんも一緒に」

「道理で、こざっぱりした顔になったと思うたわ」

 姫が鷹揚に笑ってみせると、バンケイはようやく人心地がついたようで、大きな手のひらで涙と鼻水を一度にぬぐった。

「こんな話、してる場合じゃねえんだ。あんたに、旦那から急ぎの知らせがある」

「イセホの身に、何かあったか」

 予感でもあったのだろうか、マツバ姫は表情を引きしめ、相手の言葉を先取りする。バンケイは頷いて、

「産屋に入った途端に、気を失った。どうも危ねえらしい。腹の子も、自分もだ。うわ言に、あんたを呼んでるって」

「相わかった」

 途中で遮ると、姫はバンケイの乗ってきた斑馬を顧みた。

「この馬、借りるぞ」

「ああ、使ってくれ。俺も、後から追っかけてっから」

「ユウ、乗れ」

 姫は颯爽と鞍にまたがり、少女を呼ぶ。ユウも大急ぎで駆け寄り、主人の後ろに同乗して、その細い腰にしっかりとつかまった。

「あ、あのぅ、気ィつけて。この先の峠、道が悪くなってたんで」

 轡を預かっていたバンケイの手下の一人が、慌てて声をかける。

「そ、そう、土砂崩れとか木が倒れてたりとかで、俺らもだいぶ回り道したんです」

「もう日が暮れるし、あの峠を通るのはやめといたほうがいいすよ」

「川ァ渡ったら、すぐ左に折れて、北回りの街道を……馬ならそっちのほうが早えはずです」

「渡し場の上流に、浅瀬になってるとこがあるんで。この馬なら、渡れますんで」

 兄貴と慕う男のかつて見たこともない姿を目の当たりにして、手下たちも相手がただ者ではないと肌で感じたのだろう。彼らなりに、精いっぱいの敬意を伝えようとしているようだった。

 いかにもやくざななりをした男たちがずぶ濡れのまま、燕の子のように懸命に口を開け閉めしているのを馬上から見ていると、どこか微笑ましい。おかげで追われていたときの恐怖を、ユウはすっかり忘れてしまった。

「心得た。用心して参るとしよう。そなたたちも、風邪を引かぬようにな」

 マツバ姫は彼らの顔を一人ずつ順に見て、最後にバンケイへ頷いてみせた。

「世話をかけた」

 言うが早いか、手綱を引いて馬首を巡らせる。鐙を蹴るのと、背後で誰かがくしゃみをするのと、ほとんど同時だった。

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