7-6

「ほら、ウララ、みて。ねえさまにそっくりでしょう」

 東原城主のはしゃぐ横で、身重の妻が戸惑いの表情を浮かべ、反対側に立つ義母の横顔を盗み見る。それから恐る恐る窓際の椅子に腰かけた女のほうへ目を向けた。

 紅の衣をまとった細身の女はうつむいて、膝の上の指先を見つめていた。疲れたように肩を落とした姿は、閲兵場の壇上に立っていたときよりも一回り小さくなったようだ。

 錯覚ではない。外で見た彼女は、上げ底の靴を履いて身長を高く見せていたのだ。うちばきになってしまえば、イセホはそれほど大柄な女ではなかった。

 彼女があまりにも完璧に従妹を演じきったおかげで、その後の式典は一切の波風なく終わった。マツバ姫は戦の間、ずっと西の城にいた──それが事実として受け止められた以上、訃報やら弔いやらといった話を差し挟む余地はない。当然、りょうの退任を切り出すわけにもいかない。召集された男たちは互いに武勲を称え合い、西府さいふから運ばれてきた銘酒を振る舞われて、清々しい顔で散っていったのだった。

 そして今、アモイたちは離れの小部屋に戻り、イセホを囲むようにして立っている。タカスとバンケイ、それにムカワ・フモン。さらにはハルとウララ、騒ぎを聞いて様子を見に来たテイネの御方おんかたまでもがそろっていた。

「おい、誰だよこいつら」

「しーっ。この城の主とそのお身内だ」

 戸口の近くの壁際で、バンケイとタカスがささやき合っている。

 参ったな、とアモイは内心でつぶやく。ウララだけならばまだしも、テイネの御方が居合わせているのは厄介だ。彼女はマツバ姫を幼いころから間近で何度も見ているし、継娘によく似た従姉の侍女がいることも知っているはずだ。

「ねえ、かあさま。かあさまも、そっくりだとおもうでしょう」

「ハル」

 長い間、黙ってイセホの面を眺めていたテイネの御方が、意外な言葉を口にした。

「そっくりではありませぬ。このかたは、そなたの義姉あね君その人じゃ」

「えーっ? ちがいますよ、このひとは、ねえさまじゃありません」

「いいや、マツバどのじゃ」

 きっぱりと断言して、横目にアモイの顔を見る。昨日に見せた、孫の誕生を心待ちにする和らいだ表情とは打って変わって、有無を言わさぬ圧力が感じられる。

「そうじゃのう、御嶺の君」

「……は」

「積もるお話もおありであろう。これ以上は邪魔を致すまい。ハル、ウララ、参りますぞ」

 一方的に告げ、テイネの御方は楚々と長い裾を返す。タカスが慌てて木戸を開くと、微かな衣擦れの音と共に廊下へ出ていった。ぽかんとしているハルを引っ張りながらウララも急いで後を追い、扉は再び閉ざされた。

 部屋の中には、男四人と女一人が残される。

「これでいよいよ、言い出せなくなったな」

 タカスが低い声でつぶやいた。隣でバンケイが、やれやれ、と言いながら床の上に尻をついた。

 イセホは、放心したように座ったままだ。

 アモイは彼女から目を背け、傍らのムカワ・フモンに歩み寄った。

「城代、ご説明を願いたい」

「公子クドオの戦が何ゆえに、かくもなのか。しかして何ゆえに、かくも休みなく兵を起こすのか。その理由は、かれにとって戦というものが、ある別の目的を果たすための手段に過ぎないからである」

 例によって、ムカワは唐突に話題を投げて煙に巻く。

「かれが政権を受け継ぐ前の美浜国みはまのくには、各地で小規模な内紛が頻発していた。しかし他国に戦を仕掛け、勝利するたびに、国内はむしろ治まっていった。つまり公子クドオにとって、戦は臣民の団結を固めるための方便。民衆の目を外に向けさせるため、次々と新しい敵を作りはするが、本来、多大の犠牲を払うほどの価値はない」

「城代、聞きたいのはその話では……」

「おい待てよ。価値がねえだと。あの戦は、向こうにとっちゃお遊びだったってぇのか」

 バンケイが立ち上がり、アモイを押しのけてムカワへ食ってかかる。

「少なくとも、先鋒隊を全滅させられ、あるいは自身の命を危険にさらすほどのものとは考えていなかったはずだ」

「野郎、なめやがって……」

「もっとも館さまを生け捕りにしたことは、その損失をあがなって余りある僥倖であったろう。美浜の民は目の前の人質に気を取られて内紛を忘れ、我ら山峡やまかいの兵は戦意を失う。人心掌握を旨とする公子には、これほど重宝なものはあるまい」

「重宝ですと」

 苦々しげに眉根を寄せて聞いていたタカスも、耐えかねたように口を挟んだ。ムカワは動じることなく淡々と続ける。

「しかし一夜にして、状況は変わった。今や民の関心を引くのに、外敵も人質も無用。地震によってもたらされた災いに立ち向かうという、共通の目標がある。公子クドオは当分、その一点に絞って人心を束ねていくことになろう。とすれば、おそらく……」

「何です」

「人質がいかような経緯で命を落とし、亡骸はいかように弔われたか、信頼に足る情報が我が国に伝えられることは、まずあるまいと思う」

 その件に話が及ぶと、タカスもバンケイもにわかに黙りこんでしまう。

 アモイは思わずイセホを振り返った。うつむいたままの沈んだ横顔を。

「……ご存じだったのですか。あの訃報を」

「昨夜遅く、宿にて知らせを受けた」

「知っていながら、どうしてあのような真似を」

 自分で思っている以上に、憤りが声に出ていたらしい。タカスが制止しようとするのを払いのけて、皺一つないムカワの襟に手を伸ばす。

「美浜からおおやけの悔やみが届かなければ、なかったことにできるとでも? どのように弔われたのかもわからぬマツバさまを敵地に捨て置いて、替え玉を立てて、それで知らぬふりを通せと言うのか?」

 思わず胸ぐらをつかみ上げると、その拍子に相手の懐から何かが滑り落ちた。

 床面に転がったのは、紫色の小さな巾着袋だった。その口が半ば開いて、彫刻の施された金属のようなものが飛び出ている。見覚えのある意匠だ。

 ムカワの両手がアモイの両手首を握り、静かに、しかし思いもよらない強さで押し返してきた。それから床に膝をつき、落としたものを両手で拾い上げて、まるで畏怖するような恭しさで押し頂いた。

 洒落た金属の枠の中に円い硝子板がはめこまれたそれは、あの片眼鏡だった。目の調子がよくないという彼のために、マツバ姫がテシカガを通じて調達した──。

「……失礼しました。感情的になってしまって」

 巾着を元どおりに懐にしまうムカワの後ろ姿へ、アモイは詫びた。

「かの国から信頼に足る情報が得られぬとすれば、すなわち」

 ムカワは立ち上がって振り返り、まるで何事もなかったかのように話を戻す。しかしその眼差しには、先ほどまでは気づかなかった微かな揺らぎのようなものが潜んでいるように思えた。

「我らの受け取った訃報を裏づける証拠もまた、不十分だということになる」

「城代、それは……そう思いたいのは、私も同じですが……」

 何かの間違いであってほしい。昨夜、一睡もせずに板の間の暗がりに座ったまま、ただただそればかりを思っていた。

 しかし現実から目を背けている間にも、不倶戴天の敵は隣の国でのうのうと生きているのだ。天災からの復興を推し進めていくことで、ますます英雄とあがめられるようになるのかもしれない。それを横目に見ながら、どんな顔をして暮らしていけるというのだろう。

 胃の腑からこみ上げてくるものがあり、言葉が続かない。アモイは歯を食いしばって耐える。耐えている間に、花びらのそよぐような気配が背後に立ったが、顧みる勇気が持てなかった。

「アモイさま」

 声だけ聞けば、たおやかで優美ないつものイセホだ。

「まさか、信じていらっしゃいますの。マツバさまが、亡くなっただなんて」

「公子クドオが、民衆の前でそう認めたのだ。あの計算高い男が、人質を死なせたなどとわざわざ偽りで言うはずはない。そんな噂を流しても、美浜にとって利するところは何もないのだ」

「お隣の太子さまのことは、よく存じ上げません。けれども、マツバさまのことは、誰よりもわかっておりますわ。アモイさま、貴方よりも」

「イセホ」

「マツバさまが、わたくしよりも先に亡くなるなどありえません。生きていらっしゃいますわ。片割れですもの、それくらいはわかります」

 ようやくにしてアモイは振り返り、イセホを正視する。細く伸びた眉も切れ長の目尻も秀でた鼻筋も、もともと似通っている上に化粧を施して、さらにマツバ姫らしさを際立たせている。しかし何よりもいつもの彼女と違うのは、その耳に光る銀の環だ。

 最初は、よく似た耳環をどこかで調達したのかと思っていた。だが、それは紛れもなく、三年前の祝言で姫の耳朶を貫いた因縁の品。襲堰かさねぜきで姫と最後に会った夜、その頬の横で揺れていたものに違いなかった。

「マツバさまはきっとお帰りになります。それまでの間、代役を務めるのはわたくししかおりませんでしょう。この日のために、マツバさまは三年も人前に出るのをお控えになり、わたくしはわたくしで、ずっと鏡の前で稽古をして参りました。立ちかたも、歩きかたも、話しかたも。そしてついに、この耳環がわたくしのもとに届けられたのですわ」

「届けられた?」

「テシカガさまと共に出陣した兵士の一人が、この紙に包んで持ってきてくれました」

 イセホは胸元から折り畳まれた懐紙を取り出す。薄汚れた四角い紙の中央には、見紛いようもないマツバ姫の筆跡で一言、「返す」と書かれていた。

「返す、というのは?」

「それはお気になさらないで。わたくしだけにわかる合い言葉のようなもの」

 イセホはわずかに頬を赤らめて、紙を懐へしまう。

「城代さまは、わたくしのお願いを聞いてくださっただけなのです。誰にも内緒でわたくしの耳にこの環を通して、それからこの城まで連れてきてくださるようにと。城代さまは、何も訊かずに引き受けてくださいました」

 アモイは再びムカワに視線を向けたが、彼は相変わらずの鉄面皮のまま、何も言わなかった。

 もしかすると、マツバ姫から予め指示を受けていたのではないか。そんな気がしてきた。留守中にイセホから何かを依頼されたら、力になってやってほしいと。

「城代……どうやら、貴方を責めるのは筋違いだったようです」

「虚実の駆け引きにおいては、貴公は公子クドオに遠く及ばぬ」

 こちらの言葉を何ととったのか、また唐突に無礼なことを言う。しかしすっかり毒気を抜かれたアモイは、今さら怒りも感じない。

「公子が民衆の前で言ったことは、次善の策であった可能性もある」

「次善の策?」

「もしもかれにとって、人質が事故死するよりもさらに都合の悪い事態が生じていたとすれば。それを糊塗するために、あえて不名誉な作り話を広めた──公子ならば、ありえぬことでもない」

「都合の悪い事実とは、たとえば……たとえば、どのような?」

「……」

 彼にしては珍しく、逡巡しているような間があった。すると代わりにバンケイが、

「たとえば、人質が火事場のどさくさに紛れてトンズラした、とかな!」

「そして追っ手を打ち払い、今にも祖国へ帰り着こうとしている……」

 すかさずタカスも便乗した。ムカワは二人を一瞥し、

「望みと見込みとを、安易に混同すべきではない」

「何でえ、水を差すようなこと言いやがって」

 バンケイは口をとがらせたが、表情は明るかった。

「いずれにしても、館さまの真の消息をつかむまでは、予断は許されぬ。当面、貴公は嶺という立場で、最善をなされることだ。それでは」

 ムカワはアモイに向き直っておもむろに腰を折ると、そのまま踵を返して、戸口のほうへ歩きだした。

「城代、どちらへ」

「無論、西府さいふへ帰る」

「今朝、着いたばかりだというのに」

「他に何か用事が?」

「いや、別に、そういうわけでは……」

「ちょいと待ちな。西に戻るんなら、これ、ついでに持ってってくれ」

 バンケイが呼び止めて、白い布包みを持ってムカワに歩み寄った。中身はもちろん、テシカガの形見の剣だ。

「あいつの家族に、返してやれよ」

 ムカワ・フモンは差し出された白い包みを静かに見下ろし、両手でそれを受け取る。あとは特に挨拶もなく、扉を開けて部屋を出ていった。

「甥御どのは相変わらずだな。だが、私は、あの人を見誤っていたかもしれない」

 タカスが後頭部を掻いた。

「私もそろそろ行かねば。隊の者たちが待っているからな。バンケイ、おまえはどうする。私と共に、四関しのせきに戻るか」

「まあ、他に行く当てもねえしな」

「ん? おまえ、何かいつもと違うな。髭はどうした、剃ったのか」

「今ごろかよ!」

 二人はたわいのないやりとりを交わしつつ、アモイに暇乞いをして退出していった。

 木戸が閉ざされた瞬間に、イセホが突然、床に座りこんでしまう。気丈に振る舞ってはいたが、やはり深窓の乙女には荷の重い役目だったようだ。体の震えを抑えきれず、耳から下がった銀の環が激しく揺れている。

 アモイは隣に膝をついて、その横顔をのぞきこんだ。まだ孔を穿ってから日が浅いと見え、耳朶には赤い腫れが残っていた。

「すまない、イセホ」

「何を、お謝りに?」

 笑顔を作ろうとしているのがわかった。しかしうまくいかなかったのか、アモイの顔を見ずに下を向く。

「この耳のことなら、お気になさることはございませんわ。わたくしは、紛れもないアモイさまの妻。三年前、マツバさまのお計らいで、夫婦めおとさかずきを交わしたのですもの」

「え……」

「貴方はお忘れでしょうけれど」

 イセホはようやく寂しげな微笑を浮かべて、顔を上げた。

 急に記憶がよみがえる。三年前、マツバ姫との婚礼の夜。アモイは、イセホに酌をしてもらって酒を飲んだ。そして姫に促され、彼女に杯を献じた。その後はすぐに酔いつぶれてしまったので、従姉妹の間でどんなやりとりがなされたのかは定かではない。

 しかしあれが仮に夫婦盃なら、新婦であるはずのマツバ姫が媒酌人を務めたことになる。それは、つまり、どういうことなのか。

 アモイの思考力も限界に達していた。答えの思いつかないまま、イセホの細い肩を抱き寄せる。燃え立つような真紅の衣に包まれてはいたが、その身体は冷たくこわばっていた。

 やがて微かな嗚咽が、胸元から聞こえ始める。

「帰ってくる、と、どうか、おっしゃってくださいませ」

 吐息の下から途切れ途切れに、か細い声が懇願する。

「マツバさまは、必ず、生きてお帰りになると。それに、ユウも」

「ユウ? あの娘がどうか?」

「いつの間にか、城からいなくなってしまったのです。マツバさまのもとへ行くと、書き置きを遺して」

「……」

「二人一緒に、きっと無事で帰ってくると、どうか貴方の声で……」

 その先は聞き取れなかった。

 アモイは心の中で、何度も何度もその言葉を唱える。しかしついに声にならず、いっそう力をこめてイセホを抱きしめるばかりだった。

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