6-3

 双子にまつわる各地の伝説や風習を、かつて調べてみたことがある。

 北湖国きたうみのくにでは、同性の双子は災いに遭いやすいと言われ、生後すぐに片方を里子に出して厄を避ける。しかし男女に分かれて産まれた場合は、特段の配慮は要らないそうだ。

 海の向こうに浮かぶ群島国むらしまのくにでは、双子の誕生はむしろ天恵とされる。神話の中には三つ子や五つ子の神もいるぐらいで、多産であることは福運の象徴なのだという。

山峡国おくにではいかがでしょう? 双子が産まれたときに、何か特別な習わしなどございました?」

 マツバ姫は、食卓の向こうで静かに小首を傾げてみせた。

 城で着せられたのだろうか、いかにも貴婦人然とした、襟の詰まった長衣を身にまとっている。その気品のある居住まいからは、寡兵で戦場に斬りこむような荒々しさは微塵も感じられない。

 ただその傍らに、鉄納戸てつなんど色の空鞘を携えているのだけが、どうにも不均衡だ。

「どうやら、双子で産まれた子たちに最も残酷な仕打ちをしてきたのは、美浜国このくにのようですわね」

 わたしは勝手に話を進める。あまりにも唐突な話題に、姫はきっと内心で面食らっていることだろう。しかしまったく表情には出さず、耳を傾けてくれた。

 正確には定かではないが、少なくとも青髪あおがみの発祥よりもさらに古い時代。双子を持った家庭では、その子らが成人する前に、という忌まわしい儀式を行わなければならなかった。

 一方は産まれるべくして産まれた子、もう一方は本来その子の影だったはずのもの。誤って形を持って産まれてしまった影は、多くの場合、成人するまでは生きられない。幼いうちに病を得て、あるいは不慮の事故などで、ひとりでに影に戻っていく。そして生き残った子だけが、正式に家系に名を連ねるのだ。

 だが、もしも十二の歳までに二人とも生存していたならば、人の手でいずれかの子を影に戻さなければならない。家長が、つまり大抵の場合は父親が、どちらの子が影であるかを判断し、儀式を行う。恐ろしい話だが、そんな迷信のために、本当に子殺しが行われていた時代があったのだ。

 時が下ると、生命を奪うことはなくなったものの、なおさら過酷な運命を片方の子に強いるようになった。一目でそれと見分けられるような印を身に刻まれ、名を奪われ、一族から追放される。社会的に抹殺されるのだ。成人の儀も挙げられず、まともな職に就くことも家庭を持つことも許されない。

「もちろんそれも昔の話で、今は双子が産まれても、成人する前に養子に出す場合がほとんどですけれど」

 晩餐の席にはそぐわない話だと思いながらも、わたしはそこまで一気にしゃべり、硝子の杯に手を伸ばした。渇いた口の中に、ぬるい水を流しこむ。と、

「ほとんど、ということは」

 今まで黙って聞いていたマツバ姫が、珍しく自分から口を利いた。

「完全に絶えたわけではない、と」

「……ええ」

 やや戸惑って、そしてまた、胸の奥がじわりと痛んで、自然と声がしおれる。

 しかし、言っておかなければならない。唐突に双子談義など持ち出したのは、それが目的なのだから。わたしは杯をゆっくりと卓に置き、平常心を装って続けた。

「夫には昔、双子の弟がいました。ヒヤマ家は王家とも関わりの深い一族ですから、伝統や格式を重んじるところがあって。兄弟が十二になる前の日に、くだんの儀式を執り行ったそうです」

「さようでしたか」

 姫が抑揚のない相づちを打ち、この話題は終わりとなった。わたしはまた杯に口をつけ、密かに溜め息をつく。

 餐堂の大きな食卓にはいくつもの皿が並べられているが、席についているのはわたしと彼女の二人だけだ。子どもたちの夕食は別室に用意させ、早めに寝かしつけるように言いつけてある。重要な客が泊まるときにはいつもそうしているので、家人たちは手慣れたものだった。

 おそらく今、この家の中で、最も落ち着きのない心持ちでいるのはわたしだろう。

「お食事、お口に合いましたかしら」

 すでに箸を置いている姫に問うと、穏やかな首肯と感謝の言葉が返ってきた。

 山地で育った客人が何を好むかわからず、魚に肉に野菜に豆と、とにかくいろいろな料理を用意させた。彼女は選り好みをせず、薦められたものを適量ずつ、黙々と食べた。食欲が落ちている様子もなく、反抗のために絶食するような素振りもないのは重畳だ。

 わたし自身は、もともと好き嫌いが多い上に、緊張してろくに箸が進まない。スープと水ばかり飲んで、すでに満腹だった。

「あの、もしよろしければ、食後のお茶はわたくしの書斎で召し上がりません?」

 食卓の上に身を乗り出して、いよいよ本題に入る。

「あ、書斎なんて、そんなに大げさなものではないのですけれど。実はわたくしは昔から、書き物をするのが好きなのです。と言ってもほんの手遊てすさびで、誰に読ませるものでもありません。地図や書物から想像を膨らませて、行ったこともない遠い国の物語を──そう、麗しの鏡の都や、島国の白砂浜を思い浮かべては、お話にして書き留める。おかしな趣味でしょう? しかもそのための部屋をわざわざ造らせてしまうんですもの、悪妻なんて陰口をたたかれるのも無理のないことですわね」

 沈黙に追われるかのように早口でまくしたてていると、途中から何が言いたいのかわからなくなってしまった。正面からわたしを見つめるマツバ姫の、あくまで沈着な視線が痛い。赤らむ顔をごまかすように小さく咳払いをして、

「ええと、それで、いずれ山峡国おくにのお話も書いてみたいと思っているのです。もしご迷惑でなければ、少しお話をお聞きしたくて。もちろん、お疲れなのは承知していますし、あまり長いお時間は取らせませんので……」

 しどろもどろな口上にもかかわらず、姫は書斎へ同行することを承諾してくれた。

 茶瓶と菓子をいくつか、盆に載せて自分で二階まで運ぶ。ついてくる見張りの兵には、階段の近くで待機するように言い含めた。もちろん、書斎の中の様子を気取られないためだ。

 わたしが趣味に集中できるようにと夫が配慮してくれたおかげで、書斎の扉は他の部屋よりもしっかりとした造りになっているし、のぞき窓もない。それでも念には念を入れてぴたりと閉め切り、内側から鍵をかけた。

 振り返ると、そこには実に不可思議な光景があった。わたしが毎日を過ごしている部屋の中に、あの深山の姫君が立っているのだ。

 こんな時が来るなんて、予想もしていなかった。わかっていたらもう少しきれいに片づけておいたのに、棚に収まりきらない書物や資料の入った箱は雑然と壁際に積まれ、その壁にも絵図や覚え書きの類がべたべたと貼られて、どう見ても客人を招くようなありさまではなかった。せめて花の一輪でも飾っておけばと、後悔しても間に合わない。

 唯一の救いは、部屋に燭台が一つしかないことだ。おかげで今はわたしのいる戸口の周辺だけが明るく、見苦しいところはおおむね宵闇に包まれている。

「ごめんなさい、散らかっていて」

 そう彼女の背中に声をかけた直後、わたしは思わず立ちすくむ。

 蝋燭の明かりに照らされた、姿勢のよい長身の後ろ姿。上質な絹で織られた貴婦人用の装束に、まっすぐな黒髪を垂らした優雅な出で立ち。だがその人は、食卓を挟んで向かい合っていた女性とは今や別人のようだった。研ぎ澄まされた刃物のような鋭利な気配が、全身からあふれ出している。

 この感覚をあえて言葉にするなら、何だろう。気迫、凄み、いや──。

 殺気、だ。

 右の拳に握られている空鞘が、白光りする抜き身であるかのように見えて、肌が粟立った。

「何者だ」

 彼女は部屋の奥に向かって、低い声で問う。

「姿を見せよ」

 燭台の光が届かない代わりに、露台へ続く硝子戸から、冷たい窓明かりが差しこんでいる。

 その窓辺へ、闇から解け出してきたかのように、男の影が音もなく浮かび上がった。

「あの、姫君、どうかご安心くださいませ。彼は……」

 慌てて、二人の間へ進み出ようとした。だがそれより早く、もう一つの人影が暗がりから飛び出してくる。

「マツバさま……!」

「……ユウ」

 その瞬間、部屋の中を支配していた緊迫が、嘘のようにかき消える。

 少女は姫に駆け寄り、両腕でその細い腰に組みついた。漏れ聞こえる嗚咽と、苦しげな息遣い。何か言おうとしているようだが言葉にはならず、ただ愛する主人の腹部に額を埋めて泣きじゃくる。

 その烏羽のようなぼさぼさの髪の毛に、姫はそっと左手を載せる。

 わたしは窓辺の文机に燭台を置き、ヒダカと並んで主従の再会を見守った。羨ましい、と心の中でつぶやきながら。

「苦労をかけたな」

 いくらか落ち着いてきたころを見計らって、マツバ姫は少女にささやく。穏やかに澄んだ声。

 ユウは彼女の腰に巻きつけた手をほどいて、一歩後ろへ退いた。懸命に呼吸を整えているのが、背中から伝わってくる。

「そなたにまた会えるとは。よくぞここまで、無事に参った」

「ヒダカが、助けてくれたんです」

 少女がこちらを振り返ると、濡れた頬が灯火を照り返して白く輝いた。

「おまえが強引についてきただけだろう」

 こめかみを掻いているヒダカを、マツバ姫の切れ長の眼が見つめている。ヒヤマ・ゼンと瓜二つの、しかし彼にはない大きな古傷の刻まれた顔を。餐堂での話を思い出してくれているに違いないと、わたしは内心で思った。

「それに、笛も教えてくれました。つばくろのうた。おかげで、やっと吹けるようになったんです。それでどうしても、マツバさまにお聞かせしたくて」

 ユウは腰に差した革袋から、木の棒のようなものを引っ張り出す。まさかそのまま吹き始めるのではないかと焦ったが、さすがにそれはまずいとわかっているらしい。使いこまれた笛を両手に捧げて、主人に見せるだけにとどめた。

 初めて見せる優しい表情で、姫は小さく頷く。それからふと、少女が革袋と共に帯びている短剣に目を留めた。

「その合口あいくちは」

「あっ、これ。ええ、西の城でお別れする前に、頂いたものです。ここに来るまでの間に、何度も役に立ちました。枝を払ったり、木の実を割ったりするのにも」

 笛をしまって、今度はその短剣を誇らしげに差し出す。こちらはかなりの年季ものだ。マツバ姫は懐かしげに目を細め、ゆっくりと左手を伸ばす。

 ──瞬時、文机の上に置いた燭台の炎が、不自然に揺れた。

「ヒダカ?」

 気づいたときにはもう、ヒダカは主従の間にいる。彼の手は、いつのまにか、ユウが差し出していた短剣を奪い取っていた。

「何するのさ」

 ユウの抗議に、ヒダカは軽やかな笑みを返す。

「おいおい、忘れたのか。おまえはこいつをその喉笛に突きつけて、俺を脅したんだぞ。こんな物騒なもの、無闇に見せびらかすもんじゃない」

 冗談めいた口ぶりだが、彼の眼差しは鋭かった。その向けられている先は、少女ではなく姫のほうだ。

「だけどそれは、もともとマツバさまのものなんだから」

「ユウ。かまわぬ」

 マツバ姫がたしなめると、少女は不満げな顔で口をつぐんだ。

 妙な雲行きになってきた、とわたしは思った。ユウは忘れているようだが、よく考えてみれば、マツバ姫とヒダカは敵同士なのだ。こうして顔を突き合わせれば、険悪な雰囲気になっても無理はない。

 だがここで、二人の間に揉めごとを起こさせるわけにはいかなかった。

「まあまあ、まずはお座りになって、お茶にいたしません? そのあたりに長椅子があるはず、ああ、何か荷物が載っているかしら? すぐに除けますから少しお待ちを。ユウ、ヒダカも、おなかが空いているでしょう? ほら、お茶菓子を持ってきたのよ」

 慌ただしく室内を歩き回りながら、場をなごませようと躍起になってしゃべりかける。しかし他の三人は突っ立ったままで、わたしの稚拙な誘いには乗ってこない。

 とは言え、恐れていたような不穏な事態も起こらなかった。少しの沈黙の後、マツバ姫は改まってヒダカに向き直り、

其許そこもとに、礼を申さねばなるまい。この娘のわがままをお聞き入れくだされたこと、誠にかたじけない」

 丁寧に腰を折って、頭を垂れたのだ。

 わたしは少しほっとして、ヒダカの顔を見る。彼はまだ短剣を奪ったままだが、表情は穏やかで、諍うつもりもなさそうだった。

「この上、わたしから頼みごとをなすというのも厚かましいかぎりではあるが、どうかこの娘を、また無事に我が故国へお連れいただけぬものであろうか」

 姫の言葉に、ユウが顔色を変える。わたしもまた驚いて、ほとんど無意識にヒダカの袖をつかんだ。

「無論、今すぐにとは申さぬ。いずれまた遠からず、我が国へ赴く主命を奉じる日もあろう。そのときに、どうか、この娘を伴っていただきたい。このとおり、お願い申し上げる」

「どういうことですか? あたしはこのままずっと、マツバさまのそばにいます。帰るなら、マツバさまも一緒です」

「ユウ。そなたにも頼みがある」

「頼み……」

「これを」

 彼女は膝を折ってユウと目の高さを合わせると、肌身離さず携えていた空鞘を、その小さな手に握らせる。少女は当惑顔をして、主人を見返した。

「テシカガの形見だ」

「形見?」

「あやつが立派な武人もののふとして戦場に生きた、ただ一つの証だ。いつになってもよい、家族に届けてやってほしい」

「……」

 独特の渋みのある色をした、飾り細工の細やかな、それゆえにいっそう無惨に見える、傷だらけの鞘。

 ユウは両手を震わせている。その小さな体の中で、大きな感情が揺らいでいるのがわかる。テシカガという人物をわたしは知らないが、哀悼の気持ちは痛いほど伝わってきた。

 しかしどうにかその動揺を耐え抜き、心を定めて頷いたとき、輪をかけて残酷な現実が少女に突きつけられる。

「その意味わかってるか、ユウ」

 ヒダカの沈んだ声に、少女は潤んだ目を瞬く。

──やめて。その先を言わないで。

 わたしは急に恐ろしくなって、耳を塞ぎたくなった。両手は無意識に胸元の赤珊瑚へ伸び、祈るように握りしめた。

 だが、何を祈ればいいのか。次に彼が発する言葉を、わたしはすでに知ってしまっているのに。

「おまえの主人、死ぬ気だぞ」

 その瞬間、わたしの視界がぐらりと揺れて、床も天井も帳も棚も、机も、机の上の燭台も、何もかもが明瞭な形を失う。

 赤珊瑚を握りしめた手のひらが、焼けるように熱い。

 息苦しさに耐えかねて目をつぶると、まぶたの裏に、赤い二つの光が踊った。

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