4-5

 芸術、というのがどういうものを指す言葉なのか、よくはわからない。しかし今、滝の水煙越しに見る建造物は、確かに芸術的と言ってもいいようにバンケイには思えた。

 丸木の支柱と渡された板材、それを補強する角材。接ぎと筋交いで組み合わされた材木が、幾何学的な図形を描き出している。

 磐割原いわりのはらと崖の上の四関しのせきを、緩やかな斜面でつなぐ陸橋。一体、いつの間にあんなものを造り上げたのか。やはり敵の技術力は、山峡やまかいよりも数段、進んでいるようだ。

 その建築技術が、二年前に滅びたもう一つの隣国に由来するものだということを、バンケイは知らない。オニビラの先鋒隊は四関を落とした後、しばらく駐留して進軍を行わなかった。兵士たちに周囲の林から材木を伐り出させ、北湖きたうみから連れてきた職人たちを使って、急峻な断崖に陸橋を架けさせていたのだ。無論、後からやってくる本隊を、円滑に四関へと迎え入れるためである。

 緩やかな坂道が右へ左へと折れ曲がりながら高みへ上っていく陸橋は、かなり頑丈な造りと見えた。道幅はさほど広くもないが、馬に騎乗して上り下りするのにも、物資を荷車で運搬するのにも申し分ない。

 四関攻めに威力を発揮したという噂の砲台も、あの坂を転がして運び上げたのだろうか。崖の下には、材木の残りと作事場の跡があるだけで、陣は引き払われ、人も軍備も残されていないようだった。

 針葉樹の太い幹にしがみつきながら、枝の間から身を乗り出し、四関の城壁を注視した。砲弾を撃ちこまれた門扉の歪みが、遠くからでも見て取れる。三年前、ほんの一時ではあっても、己の手中に収めた砦。そう思うと、少なからず腹立たしさを覚えた。

「おーい、バン。何か見えたかよ?」

 天から声が降ってきた。仰ぎ見れば、湿り気を帯びた岩肌の上から、仲間たちが雁首そろえてこちらをのぞきこんでいる。

 四関の南側に回りこんで山越えを果たした一行は、磐割原へ下りていく途中の山腹にいる。道らしい道はなく、命綱を使って急斜面をじりじりと伝っていくしかないので、思ったよりも進むのに時間がかかる。今はいくらか平らな岩場にたどり着いて、一息ついているところだった。

 この経路は、何十年も昔、美浜国みはまのくにから逃れてきた罪人が通ってきた道だと聞いたことがある。だが、どうも眉唾ものだな、とバンケイは思う。自分たちはまだ下るほうだから何とかなるが、この斜面をよじ登って尾根を越えるというのは、並大抵のことではない。

 そもそも、そう簡単に人が越えられるものならば、とうの昔に美浜軍に攻めこまれていただろう。これだけの要害に恵まれていたからこそ、山峡は四関のみに守備力を注いでこられたわけだ。

 バンケイはもう一度、敵の手に落ちた砦のほうへ目を向けた。彼らがいる急斜面と、四関の下に切り立つ崖の間には、やや距離がある。その中間には一条の瀑布が、岩盤をえぐるようにして流れ落ちている。山峡国内を横断した大風水おおかざみが盆地から出ていく、まさしく鍋の注ぎ口。美浜国では、磐割滝と呼ぶらしい。

 残りの斜面を下り終えて、白い飛沫を上げる滝壺の向こうへ渡れば、目的地はすぐそこだ。マツバ姫との約束の刻限には、どうにか間に合いそうだった。

――まあ、問題は、その後のことだけどな。

 斜面の途中から真横に生え出た松の幹にまたがっていたバンケイは、岩場にいる仲間たちを見上げて「手ぇ貸せ」と怒鳴った。

 伸ばした腕を一人がつかみ、さらに数人が力を貸して、大きな体躯を引っ張り上げる。夜に降った雨のせいで手も足元も滑りやすく、うっかり気を抜くと谷底へ転落しかねない。

 やっとのことで這い上がると、仲間の一人が息を切らせて言った。

「まったく、危ねえ真似しやがる」

 三年前にも四関で行動を共にした、巨漢の同志だ。バンケイが仲間の制止を無視して、岩場から崖松へ飛び移ったことを言っている。

「よくもまあ下へ落っこちなかったもんだ。おめえはつくづく悪運のいい野郎だぜ、バン」

「バンケイだっつったろ」

「ん? 何だって?」

「何でもねえよ」

 鼻をこすりながら、辺りを見回す。この場所からでは、木々の枝葉にさえぎられて、四関もその下に築かれた陸橋も見えない。

「それで? 何か見えたのかよ」

 別の仲間がのんきに尋ねてくる。バンケイはちっと舌打ちをしただけで、答えなかった。

 見たものをそのまま皆に伝えていいものかどうか、伝えるにしても、どういう言葉で説明したらいいのか――。彼にしては珍しく逡巡している様子に、周りの男たちは怪訝そうな顔をした。

「どうしたよ、小難しい顔しやがって」

「たとえばの話だけどよ」

 バンケイは岩場を取り巻く木々の梢をにらみながら言った。

「便所に入って糞してるときに、他の奴がドス持って入ってきたらどうする?」

「あん? 何だ、そりゃ」

「そいつを追い出すのと、糞を出しきるのと、どっちが先かってことだよ」

「そりゃあ、さすがに糞は後回しだろ」

「だろうな」

 バンケイはまた黙りこむ。仲間たちは顔を見合わせた。

「おい、バン。何なんだよ、一体?」

「何てこともねえよ。ただちょっと腹具合がよくねえだけさ。ちょいと待っててくれ」

 そう言い残して岩場を離れ、茂みの中へ用を足しに入った。

 羽虫が鼻先をうようよ舞うのを手で払って、草深い藪に屈みこむ。下腹に力を入れながら、見たばかりの陸橋の威容を思い起こした。

 岩割原から四関へ、馬も人も円滑に登れるようになった。というのは、同時にやすくなったということでもある。彼の案じているのは、まさにそこだ。

 奇襲隊の狙いは、四関へ入ろうとする敵の本隊を両脇から衝くことにある。大軍とは言え行軍中なら隊列は細く長く伸びているはずで、一気に突っこんでいけば、囲まれる前に標的を仕留められるかもしれない。

 だが、四関にいるオニビラ隊が異変に気づいて、すぐに加勢を向けてきたら。あの陸橋を騎馬で駆け下ってこられたら、挟み討ちに遭うのは自分たちのほうだ。

「こいつはうまくねえな」

 長時間、藪の中で尻を出していると、腿の裏がむずがゆくなってきた。平手で打つと、つぶれた小蠅が手のひらに貼りついた。唇をすぼめて死骸を吹き飛ばし、残った体液は服の裾にこすりつけた。

 蠅みてえなもんだな、と、自嘲気味につぶやく。奴らから見りゃあ、俺らこそ虫けら同然だ。

 腹が冷えたせいか、くしゃみが出る。と、それに紛れて、遠くで高い音が鳴った気がした。

 もう一度、聞こえた。喇叭らっぱの音だ。バンケイは弾かれたように立ち上がり、茂みを飛び出した。岩場にいる仲間たちに駆け寄り、彼らが眺めやっている方向を見ながら勢いこんで尋ねる。

「どっちからだ」

「上のほうだ」

 仲間の一人が答えながら振り向いて、途端に目を丸くする。

「おいおい、バン。ケツくらいしまってから出てきたらどうだ」

「誰か便所に入ってきたら、糞の途中だろうが何だろうが、そいつの相手をしなけりゃならねえ。そういう話だったろ?」

「だから、そのたとえは何なんだよ」

「考えてる暇はねえって意味だよ」

 言いながら袴の帯を結うと、バンケイは再び履き物を脱いで崖松の上へ飛び移り、四関のほうに目を凝らした。

 さっきは城壁の上に掲げられていた将旗が、見当たらない。ということは、やはり、あの喇叭は出陣の合図だったのだ。

「へっ。あの旦那、やってくれたぜ」

 襲堰かさねぜきの密談で奇襲隊の編成が決まった後、アモイが申し出たことだ。作戦決行の期日までに、四関に駐留するオニビラ隊を誘い出し、敵の本隊との間に空隙が生まれるよう仕向けると――。どうやらそれがうまくいったらしい。おかげで陸橋の上からの脅威については、あまり考えずに済みそうだ。

 バンケイはまた仲間の手を借りて岩場へ戻り、皆を集めた。

「ここまで来たら、もうちょっとだ。今日のうちに下の野っ原まで移動して、あとは敵が来るのを待つ」

 荒くれ者の男たちは、岩場に突っ立っておとなしく話を聞いている。何だこいつら、まともな兵隊みてえだな、とバンケイは吹き出しそうになった。

「その前に、武器はここに置いてくことにする」

 バンケイが告げると、仲間たちは顔を見合わせた。彼らには銘々一振りずつの剣が支給されていたが、今のところは行く手を塞ぐ枝を薙いだり、獣を追い払ったりするのにしか使っていない。いよいよ本来の使い道ができそうだというのに、置いていくとは一体どういうことか。

「隠れて近づくには、下は見晴らしがよすぎるんだ。敵に見つかったとき、そんなもんを腰からぶら下げてたら、すぐさま取り囲まれてめった斬りにされちまう。だったら初めっから、丸腰でいるほうが安全だってことよ。わかるか?」

「わかんねえよ。俺らは戦に行くんだろうが」

「まあ、そうだ。だけど死にに行くわけじゃねえ。いいか、俺らは蠅でいいんだ」

「何だって?」

「蠅だよ。虫けらだ」

 邪魔くさい、鬱陶しい、だが時間を割いてまでかまうほどのものじゃない。そういう擬態をまとって、必要以上には警戒されないようにしながら、敵兵の注意を引きつける。そうして隙を作ってやれば、あとは反対側の林に待機しているはずのテシカガ隊がうまくやるだろう、とバンケイは説明した。

「敵の御大オンタイをバラすのは、あっちの隊に任せるさ。何しろ向こうは、お国のために命を捧げようってご立派な兵隊たちなんだからよ。だけど、こちとらは褒美が目当てなんだ。犬死にはごめんだろ」

「けどよ、バン。戦が始まりゃ、いくら丸腰だって、敵は見逃しちゃくれねえだろうよ。斬りかかってこられたら、どうするんだ」

「そんときゃ散り散りに逃げるこったな」

「本気かよ」

「命あっての物種ってやつよ。死んじまったら、褒美も糞もねえからな。逃げたほうがよっぽどマシじゃねえか」

「おめえもか?」

「あん?」

「おめえも逃げんのか、バン?」

 バンケイ自身は、まだ腰に剣を帯びたままだった。仲間たちの視線がそれに注がれていることに気づくと、彼はにやりと笑い、剣装を解いて地面に放り投げた。

「さあ、時間がねえぞ。とっとと身軽になれよ」

 重ねて促されて、仲間たちは素直に、しかしいくらかもの惜しげに、腰のものを外して投げ捨てた。

 重い具足は山越えには不向きなので、最初から身につけずに来た。せいぜい革の胸当てやすね当て程度で、それも険しい地形を進むうちに擦りきれ、泥だらけになっている。髪は烏の巣のごとく絡み合い、体臭もひどいものだ。この集団を見て、重大な密命を帯びた戦士たちだと思う者はあるまい。

 そうとも、俺らは英雄じゃねえんだ、とバンケイは自分に言い聞かせる。三年前に四関を襲ったときも、彼らはあくまで無法な賊団に過ぎなかった。守備兵から砦を奪い、そしてタカスの騎馬隊にあっさり討伐されて、そのままどこへともなく散っていったならず者ども。それ以上のものには、到底なりえない。

 英雄になるのには、きっと、持って生まれた素質みたいなものが必要なのだろう。そして彼が過去に出会った人間の中で、それを持っていてもおかしくないと思えるのは、ただ一人だけだった。

 視界をさえぎる木々の先にそびえ立つ陸橋の、さらに先に広がる林を、バンケイは思い描く。北回りの山越えは、自分たちの選んだ道ほどには険しくないはずだが、その分かなりの距離がある。果たして向こうの隊は、敵兵に見つからずに、作戦決行の期日までにたどり着いてくれるだろうか。もしも間に合わなければ、剣を捨てた蠅たちにはもはや為すすべがない。

――まったく、分の悪い博打に乗っちまったもんだぜ。

 何もかも、あいつの所為だ。茶色の外套を纏って頭巾をかぶった、華奢なくせにやたらと腕の立つ、童子連れの旅の剣士。三年前に橋場の祭市まつりいちで出会ったあの若者には、いつか落とし前をつけさせなければならない。そのためにも。

 生きてろよ、オヤカタ。

 ついでに、あの頼りない、商人あがりの侍も。

「よっしゃ、行くか」

 バンケイは手のひらに唾を吐くと、自ら先に立ち、湿った斜面の岩の窪みへ爪先をかけた。





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