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 山々に縁取られた国土を注ぎ口のついた鍋底に例えるなら、四関しのせきは注ぎ口の先端。そして、その付け根に位置するのが襲堰かさねぜきだ。いくつもの山裾が折り重なった複雑な地形が、地名の由来となっている。

 アモイの生まれ故郷でもあるこの地は、少し前までは東原とうげんの片隅に位置する静かな田舎町だった。しかし最近では、町外れに石造りの砦が築かれ、対美浜みはま戦の本営が置かれ、国境からの伝令がひっきりなしに行き来して、いささか騒がしくなってしまった。

 四関と襲堰との間を結ぶ道の途中にはいくつかの陣が設けられているが、それらは物資や人員を輸送する中継基地であると同時に、早馬を連係するための駅でもある。

 今また、山道を転がるようにして、国境からの急使が飛びこんできた。タカスに従って四関に入った、騎馬隊の一人だった。その青ざめた顔を見た瞬間、嫌な予感がした。

「ムカワ将軍が負傷されただと?」

「はっ。四関は敵の手に落ち、我が軍は後詰めの陣に退きました」

 使者は肩で息をしながら答えた。

「将軍のお命に別条はございません。背に矢を受けながらも敵将と渡り合う様子は、さながら鬼神のようでありました。しかしタカス隊長が止めに入らなければ、どうなっていたものか……」

 美浜の先鋒隊が猛攻を開始して丸二日の間、戦況はむしろ山峡やまかいが優位にあった。兵士はこまめに交代して英気を保ち、矢も投石もまだ余裕があった。ムカワ将軍とタカスはよく士気を鼓舞し、自身らも獅子奮迅の働きを見せていた。

 もちろん敵もさるもの、陽動作戦のときとは比べ物にならない攻勢ではあった。層が厚いだけあって、倒れた兵士の死体を踏み越えながら次の兵が坂を登ってくる。しかもそれを援護するため、おびただしい数の矢が城壁の上めがけて発射された。

 決して油断はできない。が、それでもまだ、危機というほどの危機ではなかった。

 事情が変わったのは、三日目だ。敵方の砦から先鋒隊へ新たな物資が届けられたと、斥候から報告が入った。数百台に及ぶ荷車の中身は、人の体ほどの大きさの、金属でできた筒状の物体。国内では見たことのない、移動式の砲台だった。

 火薬を用いて弾丸を撃ち出す兵器なら、山峡にも例がないわけではない。ただし発射するのに手間がかかる割には飛距離が短く、方向の調節も難しいため、弓矢ほど実用的とは言えなかった。

 しかし美浜軍が満を持して崖下にずらりと並べた砲台は、タカスやムカワ将軍が知っているものとは別物だった。撃ち上げられた鉛の弾は多くが四関の城門まで到達し、鉄の扉に当たって轟音を響かせ、また門の周りの城壁にめりこんだ。さすがに人のいる壁の上までは届かなかったが、兵士たちの度肝を抜くには充分の衝撃だ。

 その動揺に乗じて、敵軍は総攻撃をかけてきた。山峡軍は歪んだ門扉とひび割れた城壁に拠って応戦したが、それまでと違って士気に乱れがあったのは否めない。じりじりと崖を登りつめてくる敵兵に、次第に押され気味になっていった。

 そんな中で、事は起こる。

 城門の前まで達した敵兵が、弾丸によって傷ついた扉に手をかけ、こじ開けようとしていた。味方の兵たちはこれを防ごうと、内側から門扉を必死で押さえていた。

 城壁の上で指揮を振るっていたムカワ将軍はそれに気づくと、タカスに向かって「ここを頼む!」と叫び、加勢に駆けつけようと身を翻した。

 その瞬間、ひと筋の白い線が空を切り、タカスの視界を行き過ぎた。

 警告を発する間もない。矢はムカワ将軍の右肩甲の下に突き立った。彼はうっと一声あげて柵に寄りかかったが、すぐに振り返って自らを射た男を睨みつけた。

 弓を構えて立っていたのは、オニビラだった。門扉が開くのを待たずに城壁を登りおおせた敵将は、守備兵を打ち倒してその弓を奪い、ムカワの命を狙ったのだ。海獣をかたどった兜の下で、両眼がぎらぎらと光っていた。

 敵将は弓を捨てて、腰のものを抜き放った。ムカワもまた、剣を構えた。因縁の二人は、煮油の鼎や矢束やらが所狭しと置かれた露台で、激しい火花を散らして刃を交えた。

 尋常な勝負であったなら、豪傑ムカワ・カウン、決して相手に引けは取らなかっただろう。タカスも余計な手出しをせず、代わりに城門の応援に向かうことができたかもしれない。

 だが、矢傷は決して浅くはなかった。タカスはまさに城壁を登りきろうとしていた敵兵の一人を長槍で突き落とすと、急いで将軍のもとへ走った。そして血に染まった戦袍をつかんで無理矢理オニビラから引き離し、自分が代わりに敵将の前に立ちはだかった。

「私が相手だ」

「何を、この若造が」

 オニビラはいきり立ったが、狭い足場で槍先を向けられては、思うように斬りかかることはできない。その隙に部下が手負いの将軍を抱きかかえ、戦場の外へと連れ出した。

 タカスはしばらく時間稼ぎをしていたが、頃合いを見て槍を引っこめ、兵に退却を命じた。指揮者を失っては、城壁を登ってくる敵兵にも、門扉をこじ開けようとする圧力にも抗しうるものではない。軍を立て直すには、一度退くよりほかになかった。

 後詰めの陣へ敗走する山峡軍を、オニビラは追わなかった。四関を手中に収めたことで、ひとまずは満足したのだろう。ムカワ将軍が砦の死守だけを考えていたのと同様に、敵も砦を落とすことだけを目標にしていたようだ。

「砲台よりも、兵の数よりも、一本の矢が勝敗を決したか」

 アモイは天を仰いだ。

 しかし、嘆いてばかりもいられない。敵はすでに玄関を破った。襲堰との間の細い廊下を攻め寄せてくる前に、次の方策を練らなければ。

 造りかけの砦の、まだ壁と机しかない作戦室に将を集め、立ったままの会議を開く。室内は宵闇に沈み、机の上に蝋燭が灯された。明かりの下に地図が広げられ、陣営の配置に駒を並べる。

 四関で敵を撃退することは、無論、最も望ましい筋書きではあったが、そうならない可能性も考慮していなかったわけではない。むしろ、この事態に備えるために、本営を襲堰に置いているのだ。対策はいくつかある。ただ、いずれの策も、それぞれに危険性を孕んでいた。

「四関から領内へ至る道筋は一つしかない。そして、その道々には、至るところ我が軍の兵が伏せられております」

 将の内の一人が、地図の上を指差した。四関と襲堰をつなぐ山道の、ちょうど中点のあたりだ。

「この峠に控えている陣は、敵の進んでくる方向からは見えづらく、不意を突いて襲うには絶好の場所。ここで待ち伏せし、彼奴らを食い止めましょう」

「あの青髪どもを、そんなところまで通してやることはない。その手前の隘路を、岩で塞いでしまいましょう。さすれば先へは進めず、敵は袋の鼠です」

「いや、奴らは今、四関を手に入れて油断しているはず。むしろ進軍を再開する前に、反撃を仕掛けるべきです」

 布陣図の上で、いくつもの主張がぶつかり合った。ひととおりの意見を聞き終わると、アモイは会議を一時中断して、砦の屋上へ出た。

 提案された作戦はいずれも、敵の先鋒隊を退却させる、あるいは殲滅させるためのものだ。たとえそれが成功しても、戦は終わらない。肝心なのは、後からやってくる本隊も視野に入れて動くことだ。

 空は曇り、夜風は湿気を帯びていた。頭を冷やすために外へ出たのだったが、やはりそう簡単にすっきりと答えが見えるわけはない。

 せめても深呼吸をして肺の中を洗い、作戦室へ戻ろうとしたときだった。城外の暗闇から、複数の馬のいななきが聞こえたのは。

「誰か来たようだな。都からか。まさか、東府とうふではないだろうな」

 思わず口にしたのは、東原城主のハルがやってきたのではないかと不安になったからだ。

 もちろん義弟には、出陣命令は出していない。東府には襲堰の後方支援を行う重要な役割があるのだから、城主としてしっかりと城を守るようにと伝えてある。もっとも、実際に支援の手配をするのは補佐官だ。

 国の存亡を賭けた戦の最中、十九歳の幼児には、とにかくじっとしていてもらうのが一番ありがたい。が、それが彼には難しいのだった。物資を送ってほしいと頼むと、「わたしがとどけにいく」と言って周りを困らせる。おそらく、領内に新しく造られた砦を見てみたいという好奇心もあるのだろう。

 妻のウララにたしなめられ、母親のテイネの御方おんかたにまで叱られて、ようやく今は少し落ち着いているという話だ。とは言え、いつ気が変わらないとも知れない。

「様子を見て参ります」

 近くにいた衛兵の一人がそう言って立ち去り、すぐに戻ってきた。

西府さいふからの遣いでございました」

「西府から? そうか」

 取り越し苦労だったかと、ひとまずは胸を撫で下ろす。

「ということは、城代からの繋ぎか」

「そう申しておりました。小柄な馬ばかりをそろえた、三、四十騎ほどの小隊です。隊長の名は、ええと、テシ……テシ……」

「テシカガか! すぐに会おう。中に通してくれ」

「はっ」

 アモイは作戦室とは別の部屋で、テシカガと対面した。

 具足を身につけた姿を、久しぶりに見た。三年前の内乱の折、タカスの代わりに喪旗隊に加わったとき以来だ。新調した刀剣のおかげか、あのときよりもいくらか様になっているようだが、顔色の青白さは変わらない。いや、むしろ前よりもひどいぐらいかもしれない。

 石造りの床に、間に合わせの敷物と行灯があるだけの寒々しい部屋で、くつろげというのも無理な話だ。まして彼の耳には、到着と同時に、四関陥落の報が入っている。今にも卒倒してしまいそうなほど、緊張しているのが伝わってきた。

「おまえとここで会うとは、思っていなかったな」

「はい。私も驚きました」

 テシカガは大真面目な顔で答える。西陵せいりょうの将兵の多くは四関や襲堰、もしくはその間の各陣に配置されたが、内勤の官吏である彼は居残り組だった。

「例の豆駒まめごまで来たのか」

「ええ、途中まで船に乗せてきたのですが、おとなしいので助かりました」

「蹴られなかったか」

「それはありませんが、懐かれてしまって、離れようとすると鼻を鳴らすんです」

 アモイはわざと声をあげて笑い、テシカガもわずかに頬を緩めた。

「何にしても、ご苦労だった。それで、甥御どのからの言伝ことづてというのは?」

「ええ、それなんですが……」

 ひどく言いづらそうに眉間にしわを寄せ、テシカガは口の中で言葉を転がす。

「どうした。悪い知らせか」

「いえ、そういうわけでは。何と申しますか、とらえようによっては、よくも悪くもなるような」

「作戦会議の途中で、皆を待たせているのだ。前置きはいいから、はっきり言ってくれ」

「はい……わかりました」

 とは言うものの、なかなか覚悟の決まらない様子で目を伏せる。睫毛の長い横顔を、行灯の明かりが赤く照らした。

 すると突然、控えの間に続く扉が勢いよく開いて、何者かが許しも得ず部屋へ踏み入ってきた。テシカガがぎょっとして振り返り、アモイは素早く剣の柄へ手をかけた。

 無遠慮に乗りこんできたのは、テシカガが副官として連れてきた二人の武者だった。一人は身につけた具足が玩具に見えるほど体格のよい、髭面の大男。もう一人は細身で中背、黒い兜を目深にかぶった若者。

 その姿を一目見るなり、アモイは言葉を失った。

「もうよい、テシカガ。わたしが話す」

 若武者は無造作に兜を脱ぐ。結い上げた髪の後れ毛がうなじに落ちかかり、両耳に銀色の光がひらめいた。

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