第9章 夫婦の証

9-1

 タカス・ルイの騎馬隊が四関しのせきに到着したのは、都を発った翌日の午後遅い時分だった。

「賊の頭目より、話し合いに応じるとの返答がありました」

 遣いの者が戻ってきてそう告げたので、タカスは隊を率いて赤銅の城門の前へ進み出た。門の上に賊たちの姿が見えるが、矢を射かけてくるような様子はない。開門を呼びかけると、案外あっさりと扉は開かれた。

 一の若が兵の大半を動員したために手薄になった四関が、賊に占拠された──という情報を知ったのは、前日の夕方のことだ。馬に水を飲ませるため、山中でわずかばかりの休息を取っているときに、部下の一人が行き倒れになっている男を発見した。水と食料を与えて身分を尋ねると、何と四関から逃げてきたというではないか。

 さらにタカスたちを驚かせたのは、美浜みはまの軍勢が大挙して押し寄せ、国境を侵そうとしているという話だった。そのあまりの兵力に圧倒されて城内が混乱し、それに乗じて賊の一団が砦を乗っ取った……あらましは、そういうことらしい。

 男は四関に仕える使用人で、兵士ではなかった。そのため詳細については聞き出せなかったが、いずれにせよ容易ならざる事態だ。もぬけの殻になった関を補強に行くつもりでいたが、得体の知れない賊団と美浜の大軍とが待ち受けているとは、想定外だった。精鋭とは言え少人数の騎馬隊だけでは、とても足りそうにない。

 部下の中には、ひとまず都に指示を仰ぐべきだと進言する者もいた。また、東原とうげんの府からの援軍と合流してから進んだほうがよいと言う者もいた。しかしタカスは、むしろ先を急ぐことにした。危機であればこそ一刻も早くこの目で状況を確かめ、自分たちにできることをするのが使命だ。それが、隊長としての判断だった。

 もっとも、いざ国境まで来てみれば、どんなに探らせても美浜の軍勢の姿は見当たらない。ただ四関が占領されているのは間違いなく、門に近づこうとすると威嚇された。石を投げて罵ってくる者たちの柄の悪さと言ったら、さながら山賊のようだ。

 ただ頭目は意外と話のわかる男らしく、交渉を申し入れたところすんなりと応じた。そして今、タカスは四関の門をくぐり、その頭目の前まで駒を進めたところだった。

西陵せいりょうのタカス・ルイだ。城主アモイ・ライキの命を受け、四関の苦境を救いに参った。足下は何者だ」

 頭目は質問には答えない。代わりに無精髭をこすりながら、

「本当に二日で来やがるとはな。当てずっぽうだったのによ」

 と、独り言のようにつぶやいた。西に傾きかけた陽射しを浴びて、四角い顔が熟れ柿のように赤い。

 門の上から、「この砦を守ったのは俺らだぜ!」と野次が降ってきた。そうだそうだ、と、周囲にいる賊たちも口々に騒ぐ。

 一方で、遠巻きにおとなしく様子を見ている者たちの姿もある。どうやら、もともと四関に残されていた正規兵らしい。タカスらを敵視する様子もないが、さりとて味方するでもなく、成り行きに任せる構えのようだ。

 なるほど、もしも本当に美浜の軍勢を追い返して関を守った者がいるとしたら、連中ではなく賊たちのほうだろう。

「あんた、この城に入りてえのかい」

 しばらく黙っていた頭目が、ドスの効いた声で尋ねてきた。

「ひとまずは、そういうことだ」

「俺らに、城を明け渡せってんだな」

「そうだ」

「断わると言ったら、力ずくで来る気かい」

「必要とあらば」

 タカスの後ろに控える副将の、柄に手をかける気配がする。と同時に、頭目の周りに集った賊たちの目にも、殺気が満ちた。

 二人のうちのどちらかが動けば、斬り合いになる。タカスは微動だにせず、相手の出かたを見守った。

 意に反して彼はすぐに動いたが、想像していたような動きではなかった。丸太のような腕を浮かせ、口を開き、深く息を吸い……そして砦中に響きわたるような、大きなをしたのだった。

「そこ、開けたままじゃ、風が入ってかなわねえや。閉めていいか」

 鼻を啜りながら頭目は顎をしゃくって、不自然な焦げ跡のある赤銅の門を示す。タカスが訝しげな顔をすると、彼はにやりと笑って、

「中で話そうぜ」

 そう言うと手下を残して、一人で城館の中へ入っていく。タカスは馬を下り、引き留めようとする部下たちを置いて、後を追った。

 辺境の砦である四関は、西陵城などと比べると無骨な造りをしている。木部が少なく石材が多いせいか、どことなく寒々しい印象を受けた。ただ、賊に乗っ取られたと聞いて思い浮かべるような荒れようが、館内にはほとんど見当たらなかった。

「そう言やあ、名前を聞かれたっけな」

 タカスが追いついて横に並ぶと、思い出したかのように男が言う。

「ここ何年かは、バンって呼ばれてる」

「通り名か。本名はどうした」

「野暮なこと訊くなよ。あんたのオヤカタは、そんな細けえこと気にしなかったぜ」

「おやかた?」

 と聞いて、タカスが最初に思い出したのはアモイではなく、マツバ姫の顔だ。

「言われたとおりにやったってのを、ちゃんとオヤカタに伝えてもらわねえと困るぜ。ほら、よっく見てくれ、俺らは何も壊しちゃいねえし、誰も殺してねえ。まあ、牢にぶちこんだやつが何人か、勝手に死んじまったけどな」

 その何人かの死者には、留守を任されていた補佐官も含まれていた。美浜の大軍を前にして気の触れてしまった兵士たちがいたのを、まとめて投獄しておいたのがまずかった。地下牢の中で、乱闘が起こったのだ。バンが気づいたときには、すでに犠牲者が出た後だったという。

「こっちはこっちで忙しかったんでな、かまってられなかったんだ。そんぐらいは大目に見てくれるだろ」

「その言葉のままに報告しよう」

 タカスは言った。直感で、この男は嘘をついていないと思った。

 俺らが来る前に死んでたやつもいる。そう言ってバンは、腐りかけた死骸の転がった一室へタカスを連れていった。城内のどこよりも荒れ果てたその部屋は長官シュトクの私室で、斬り殺されていたのは彼の情人たちらしかった。

 足元に紙片が散らばっていた。拾って接ぎ合わせてみると、「愛しき我が子へ」という常套的な書き出しが読み取れた。テイネの御方おんかたから息子へ宛てた書簡に間違いない。

「それ、何て書いてあるんだ」

 自分で読む気はないらしく、バンはタカスに尋ねる。

「大したことは書かれていない。早く上洛して、陛下を見舞うようにと。小言のようなものだな」

「それだけで、こんなに怒り狂うもんかね」

「私にもわからん」

 いずれよい噂のある人物でないのは二人とも知っているので、それ以上の詮索はしなかった。

 ひととおり館内の様子を見せてから、バンは最後に城壁の上にある櫓へ向かう。冷風に吹きさらされた露台には矢束が置かれ、投げ石が置かれ、攻め来る敵への備えがそのまま残されていた。大きなかなえと柄杓もあり、鼎の中には大量の油が黒々と、冷たい光沢を揺らめかせている。

 タカスとてまだ年若い将の一人だ。城に籠って外敵を迎え討った実体験はない。現実的な戦の気配がひしひしと伝わってきて、思わず武者震いを覚えた。

「聞かせてもらいたいものだな」

 雪のちらつく櫓の上で、タカスはバンに言った。

「手薄になったこの砦をわずかな手勢で乗っ取ったのは、おまえたちの企みどおりだったのだろう。だが、美浜の進軍は計算外だったはずだ。どうやって防いだ」

 このころにはタカスにも、この男が「オヤカタ」から何を指示されたのか、見当がついていた。国防の要である四関の堕落ぶりは何とかしなければならないが、テイネの御方が後ろ楯になっている以上、シュトクが公正に裁かれることはない。だから、彼が上洛する隙を突いて四関を掌握するという荒療治に出た。とは言え、理由もなく兵を差し向けては内紛になる。そこで、賊に奪われた砦の危機を西陵からの救援部隊が救う、という筋書きが必要だったというわけだ。

 しかしその台本に、美浜軍の登場まではさすがに想定されていなかったろう。士気低い官兵と気の荒いならず者たちを同時に働かせ、この国難を乗りきったというのは、紛れもない大功だ。

 ところがバンは、この点についてはあまり自慢する気がないようだった。

「まあ、話すのは別にかまわねえけどよ」

 彼は後頭部を掻きむしりながら答えた。

「実際、そっちのほうは、言うほどの手柄じゃねえのさ。あいつら勝手に来て、一晩黙って突っ立って、そんで勝手に帰っていったんだ」

 一昨夜、四関のすぐ下に広がる平野を埋め尽くした美浜軍は、灯火を焚いて整列し、そのまま一夜を過ごした。朝日が昇ると一斉に火を消し、指揮官らしき将が部下と共に進み出てきて、大声で呼ばわった。

──我ら、美浜の民を代表し、ウリュウ王陛下の冥福を謹んでお祈り申し上げる。

 それだけを伝えると、また整然と隊列を組み、前夜に来た道を粛々と帰っていったのだという。

「奴ら、馬鹿にしてやがるぜ。ま、どのみち本気で攻めてくる気はねえと踏んでたけどな」

「向こうの兵の数は、いかほどだったのだ」

「いかほどって、数えきれねえほどさ。松明がずらっと並んで、昼かと思うくれえによ。そっちの林の端から、あっちの谷の際に沿って」

 バンは城門の外を指差す。今はただ、寒風の吹き荒れる山野があるばかりだ。

「一晩だ。火を掲げて、並んで、夜が明けるまで、奴らはそうしてた。しょうがねえから、こっちも一晩中、酒盛りだ」

「酒盛り?」

「このクソ寒い中で、寝ずの番だぜ。それも、見渡すかぎりの火の海を見下ろしながらだ。素面でやってられるかよ」

 タカスは露台の隅に転がっている、空樽や柄杓や杯の類を見下ろした。てっきり、敵を追い返した後に祝杯でも挙げたものと思っていたが、どうやらこれも戦いの道具だったようだ。

「本当は、虚勢を張ったのではないか」

「あん?」

「大軍を前にしても動じない姿を、美浜の将兵に見せようとした。違うか」

「そりゃまあ……脅してくる野郎に怯えた顔を見せるなんざ、死んでもごめんだからな」

「敵に弱味を見せなかった。それは何よりの手柄だ。もしもおまえたちがここにおらず、留守居の官兵たちだけであったなら、そうはいかなかったろう。礼を言う」

「よせやい。酒を飲んで誉められたって、うれしかねえや。それより、蔵の中の酒な、ほとんど飲み尽くしちまった。そこんとこは、オヤカタにうまく言っといてくれよ」

「わかった」

 食えない男の顔に照れ笑いが浮かぶさまを、タカスは興味深く眺めた。官兵たちが得体の知れない彼を受け入れたのも、血の気の多い賊たちが言うことを聞くのも、何となくわかる気がしてくる。

「それで、これからどうする」

 ややあって、タカスは尋ねた。

「どうするって?」

「このまま我々と共に、館さまに仕える気はあるのか」

 不意に、風がやんだ。またすぐに吹き始めるまでの一瞬、バンの横顔にわずかなためらいの色が浮かんだように見えた。

「もともとここにいた役人どもは、あんたに引き渡す。だけど俺らの仲間は、出ていかなけりゃ、意味がねえだろ。あんたらは、俺らを成敗しにきたんだろうが」

「関を取ったとは言え、略奪も殺戮もしていない。その上、抵抗もせずに門を開いて投降したのだ。私の裁量で隊に加えても、許しは得られよう」

「そりゃ許すだろうさ、そもそもが八百長なんだ。けど、俺の仲間は、何も知らねえ。ただの儲け話と思って、ついてきただけだからな。まずは働きに報いてやってくれ」

「手配しよう」

「それが済んだら、俺らは解散する。その後で、まだお国のために働きてえなんて物好きがいたら、拾ってやったらいい」

 俺はごめんだけどよ、と男は言い添える。重ねて勧誘してもよかったが、あえてタカスは引き下がった。

 何も言わなくとも、この男はいつかまた、自分と共に働くことになるだろう。そんな気がした。

 いつしか降る雪が繁くなり、露台が白くなり始めた。西日は雲に隠れ、辺りは早くも薄暗い。

「解散するにも、今からでは遅くなる。今宵は皆で、ここにとどまるといい」

「……ああ、そうだな」

 バンは手を擦り合わせて、息を吐きかけた。その白い湯気の間から、ふとタカスの顔に目を留める。じろじろと無遠慮に眺め回すので、「何だ」と訊くと、

「あんたみたいな顔をしてりゃ、女の扱いも得意そうだな」

「どういう意味だ」

「ちょいと、思い出したことがあってな。頼まれてくんねえか」

「頼み?」

「どうも、扱いに困ってるんだ」

 そう言うと、バンはタカスを再び館内へ連れていった。どこへ行くのかと思えば、何のことはない物置部屋だ。その中央にガラクタを積み上げてよじ登ると、天井を拳でたたいて、開けろ、助けが来たぞと濁声で怒鳴る。と、やや間を置いて、屋根裏への抜け穴を塞いでいる蓋がわずかに開かれた。

 額に鉢巻きを締めた中年女が、上からのぞきこんでくる。バンの姿を確認すると、安堵した様子で迎え入れた。タカスも後に続いて、穴から隠し部屋へ上がりこむ。

 蝋燭の灯りが一つあるだけでよくは見えなかったが、どことなく生活臭を感じる。賊から身を守るために隠れたのではなく、前々から幽閉されていた、もしくは引きこもっていたのではないかと思われた。

 中年女は貴人の腰元のような雅な出で立ちに、鉢巻きとたすき掛けをして、矛を携えている。隣にもう一人、同じような格好の若い女がいて、タカスの顔を見るなりぱっと頬を赤らめた。

「あっちだ」

 バンは衝立で仕切られた奥を指し示すだけで、自分は入口のそばから動こうとしない。代わりに若いほうの女が、タカスの前に立って案内した。

「キサラさま、失礼いたします。お助けくださるかたが来てくださいましたよ」

 灯りの点されていない暗がりに小さな窓が一つあり、その前に、椅子に座った人影が見えた。髪の長い後ろ姿だ。

 キサラ。その名は、タカスも知っている。テイネの御方によって強引にシュトクに嫁がされ、やがて身籠ったもののまもなく堕胎し、以後まったく口が利けなくなったという噂も。

「西陵城主の命により参じました、タカス・ルイと申します」

 ひざまずいてそう呼びかけると、キサラは立ち上がり、ゆっくりと振り向いた。

 緩やかに波打つ黒髪の陰から現れたのは、薄闇の中でもそれと知れる、陶磁のような白い頬。まだいくらかあどけなさを残した、しかし儚げに整った顔立ち。

 タカスは思わず息を飲んだ。その薄幸の美少女を見上げたまま、しばし言葉を失う。同時にキサラも、突如として自分を救いに現れたこの美男子を、瞬きもせずに見つめている――。

「あの役は、まあ、俺じゃねえよな」

 後ろのほうで、バンがぼそりと独りごちる。中年の腰元がそれを聞いて、くすりと笑ったようだった。


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