8-2
蝋燭の明かりが眩しくなってきた。行灯にも火がともされ、葬祭の四日目もくれようとしている。そろそろ、公子クドオとヒヤマが弔問に訪れる頃合だ。
異邦の主従は、葬儀の初日から毎日欠かさず、同じ時刻に姿を現した。両人ともテシカガが調達した喪服に身を包み、頭も覆っているので、一目見ただけでは青髪とはわからない。
知っている者は、やはり、二人を見る眼差しに緊張がある。敵意、と言ってもいい。だが当人たちのほうはまったく頓着する様子もなく、泰然として黙祷を捧げる。それが済めば、早々に宿へ引き下がっていった。
だが、今宵は大葬の最後の夜である。弔いは夜を徹して行われ、明日の暁には、挽歌と共に棺を送り出す慣わしとなっている。
そちらにもお付き合いいただけましょうか、と、アモイは昨晩、公子クドオに尋ねた。
――貴国の葬礼の手順については、テシカガどのが丁寧に説明くだされた。すべて了解済みだ。
公子は人好きのする笑顔を浮かべて答えた。どうやらマツバ姫の見立てどおり、テシカガは接待役に適していたようだ。
しかしそのテシカガも、今ごろは似合わぬ鎧を着て馬に乗り、都の外縁を巡回しているはずだ。落馬をしていなければよいが、とアモイは内心に思う。
祈祷を捧げる神官の声は、随分かすれてきていた。祭殿に集う顔ぶれにも、葬儀を切り盛りする側の面々にも、疲労の色が見え始めている。あと一晩、ここが正念場だ。アモイは両手で自らの頬をたたいた。
祭壇の前には紺の法衣をまとった女たちが固まっていて、時折身じろぎをする様子はまるで一個の生物のようだ。誰が誰なのか見分けのつかない中に、テイネの
夕方、二人はイノウに呼ばれて、一時的に斎場を離れた。無論、例の遺書の件だ。アモイはその場に立ち会わなかったが、先に戻ってきた御方はどこか放心したような、覚束ない足取りであった。
継娘を排除するための諸々の企てが奏功しないまま夫の死を迎え、今日までさぞ気塞ぎであったに違いない。遺言のおかげで、その鬱屈から解放されたのだろう。あとは肝心の長男がこの場へ無事に到着しさえすればよいのだから、気が緩むのも無理はない。
これに対してマツバ姫は、まったく動じる様子を見せなかった。継母より少し遅れて祭壇の前に戻ってきた彼女は、呼び出される前と少しも変わらず、ただ姿勢を正して祈りを捧げている。タカスを国境へ派遣したことも、代わりにテシカガをムカワ将軍に預けたことも、書付を通じて伝えてあるが、返事はなかった。
言うべきことがあれば、何らかの形で伝えてくるはず。無言は肯定の証であろうと、アモイは自らに言い聞かせる。
吐いた息が、白く立ち上った。日が落ちてから急激に冷えこみ、雪でも降りそうな寒さだ。いくつもの炭鉢を運ばせて、広間の各所に配置するよう命じる。
「わあ、あったかいな」
別室で休んでいた義弟がいつの間にか戻ってきて、炭火の上に手をかざしている。また誰か、お守りが必要だ。そう思った矢先、支度部屋に隠れて一服しているシバを見つけた。
「ちょうどよいところにいてくれた。東の若君の付き添いを頼みたい」
「え……若さまの付き添い。拙者が、でございますか」
「差し支えがあるか?」
「ええ、その、これから皆さまのお食事のご用意やら、蝋燭の継ぎ足しやら、手伝うことがいろいろございまして」
「手伝いならば、どこぞから代わりを寄越すように手配しよう。若君のお相手は、誰にでも頼めることではないからな。そのほうならば、御方さまもご安心に違いない」
日ごろ甘い汁を吸わされている弱みか、テイネの名前を出されればこの男は断れない。そしていざ役目を負わされれば、御方の怒りを買わないようにと、それなりに注意して務めるだろう。そうアモイは睨んだのだった。
どす黒い狸顔に神妙な表情を張りつけて、シバは与えられた役目に就くために支度部屋を出ていく。それを見届けてから、アモイもまた広間へ戻ろうと、廊下に足を踏み出した。
と、玄関のほうから、物々しい足音が響いてくるのに気づく。時間的に、美浜の主従かと思ったが、人数がもっと多いようだ。いや、それよりも気になるのは──。
近づいてくる足音の、硬い響き。
振り返って、突き当たりの曲がり角を凝視する。やがていくつかの人影が、角を曲がって現れた。先頭の二人は、笠をかぶった旅装の兵士。その間にやや後れて、暗色の外套をなびかせた若い将の姿が見える。背後には、七、八人の従者を引き連れていた。
アモイは廊下の中央に立ち、真正面からその一行を待ち受ける。先頭の兵士は今にも押しのけて通ろうとする勢いであったが、背後の主人が立ち止まったのを察して、脇へ控えた。
「若君。お待ちしておりました」
そう言って、アモイは
「アモイ・ライキと申します」
「公か、西の姫の婿というのは」
シュトクは挨拶もなくそう言った。血色の悪い頬に、表情はない。
しかし彼の眼差しには、せっかくの立派な容姿をひどく歪んだものに感じさせる何かが含まれていた。
「はばかりながら今日まで、葬儀進行の任をお預かりしておりました。若君がお着きになった上は、お役をお返ししたく存じますが、広間へお入りいただく前に、沐浴などお済ませ願えましょうか」
「沐浴?」
ここではっきりと、シュトクは笑った。嘲りの笑みだ。
「はい。そして、お召し替えも。夜を徹しての弔いに、その装いは窮屈でございましょう」
あくまで慇懃に、そう言い添える。外套で覆われているが、その下に具足を身につけていることは明らかだった。
彼が率いてきた四関の大軍は、都の手前に駐屯させている。混乱を避けるために、ムカワ将軍が都入りを阻止してくれたのだ。それで親衛隊だけを連れてやってきたのだが、少数とは言え、全員が武装したままというのは受け入れがたい。
相手の外套の裾からのぞく革の尖った靴先を、アモイは見下ろした。
「まずは、そのお履き物をお脱ぎいただけましょうか?」
くくっ、とシュトクの喉から笑いが漏れる。それはすぐに高らかな哄笑となって、廊下へ響きわたった。
「なるほど、不調法には違いない。すっかり辺境の砦暮らしが身について、都の作法など忘れてしもうたわ」
そこで笑い声を収め、真顔になる。
「不調法ついでだ。とりあえずは父の死に顔を見せてもらおう。着替えも
「若君、それは」
「
すると両側の兵士が、アモイの動きを封じるように立ちふさがった。その脇を、シュトクは悠々と通り過ぎていく。
行く先にある広間の扉はいつしか開かれていて、異変を察した数人の宮臣が廊下へ出てきていた。シュトクが兵士たちを引き連れて進むと、人々は思わず道を開ける。
「申し上げます」
真っ青な顔をした官吏が駆け寄ってきて、アモイに耳打ちした。
「玄関に、下足番の者が深手を負って倒れております」
「何……? それは、まさか」
「刀傷でございます」
それを聞いた瞬間、薄暗い廊下に漂うかすかな残り香が、鼻を突いた。血の匂いだ。
神聖な
──かれは、病み人だ。
いつかのムカワ将軍の言葉が耳に蘇る。
アモイは急いでシュトクの後を追った。開け放たれた戸口から広間へ飛びこむと、すでに場の空気は一変していた。
居並んでいた多数の参列者たちは壁際に身を寄せ、部屋の中心に円い空間ができている。壮麗な鎧を身につけた男が、その真ん中に直立していた。革靴を履いた足元には、脱ぎ捨てられた暗色の外套。部下の兵士たちは少し離れて、後ろに控えている。
神官の祈祷の声は止んでいた。炭鉢の熾火がじりじり鳴るのが聞こえるほど、広間は静まり返っている。
「若君。これは一体……」
ミヤノ総督が口を開きかけたものの、後が続かない。
シュトクは祭壇を向いている。アモイの位置から、その顔は見えなかった。が、祭壇の前の女たちがひどく怯えている様子は、遠目にもわかった。
革靴が一歩、前に踏み出す。紺色の塊は悲鳴をあげ、蜘蛛の子のごとく離散して、また部屋の隅に固まった。祭壇の前に残った人影は、二つだけだ。
そのうちの一人が祭壇を背にして、シュトクを待ち受けるかのように、こちらを向いて立っている。頭巾を深くかぶっているため表情はわからないが、唇が震えているだけは見て取れた。
「これはこれは、我が母上ではござらぬか」
通りのよい声で、シュトクは芝居がかった台詞を吐く。
「いかがなされた? たいそう怖いお顔をしておいでだ。母上のお言葉どおり、私はこうして参上したというのに。確かに少々遅くなりはしたが、あの遠い辺境の地から、はるばるやってきたのだ。ねぎらいぐらいはあってもよろしいのでは?」
御方が息を吸い、何かを言おうとする。しかし声は発せられない。
「おっと、そうでしたな。この
「この……
堪えきれずに、御方が我が子を罵った。
「そなたは明日より、この国の王となる身ぞ。何を血迷うて、兵など連れてきた。何ゆえ、かような狼藉を為すのじゃ」
「いけませぬな、母上。しきたりを破るなど、これから王となる者の母にふさわしくない」
「シュトク。今すぐに兵を返しなされ。礼に則って、父上を弔いなされ。そうすれば、そなたは」
「そうすれば?」
息子の声から、笑いが消えた。
「私は、いちばんになれますか」
「……何を……」
「指図は無用と、言ったはずだ」
まるで枝でも払うかのように、シュトクは母親を乱暴に押しのけた。王妃は横ざまに飛ばされて、床の上へ倒れ伏す。
うめき声をあげている女の横を、靴音が通り過ぎる。祭壇のほうへ──その前にひざまずいている、もう一人の女のもとへ。
この騒動のさなかにも、彼女だけは一切、姿勢を崩すことはなかった。アモイが広間を出た時と寸分違わず、黙々と祈りを捧げ続ける後ろ姿。
その背に今にも届くかというところまで歩み寄り、シュトクは立ち止まる。
一方の女は、振り返りすらしない。
アモイは人混みをかき分け、祭壇の前へ駆け寄ろうとした。しかしシュトクの引き連れてきた兵士たちが、再び道を塞ぐ。
「覚えているか。十六年前の葬祭を」
またも謳い上げるような声が、静まり返った広間に響く。
「おまえの母親が死んだときだ」
その言葉に、ようやく紺色の人影が反応する。
祭壇の前に、彼女はゆっくりと立ち上がった。語りかける男と、ほぼ同じ背丈だ。それから後ろを振り向いて、相手の顔を正視した。頭巾の下の暗がりから放たれる、鋭い眼差し。
一の若君と、一の姫君が対峙する。人々は息を詰めて、二人を見守るしかない。
まさか、と誰もが思っているだろう。ここは王宮の祭殿だ。亡き王の祭壇の前で、王子と王女の間に、そのようなことがあるはずはない。
しかし、他に一体、何が起こりうるというのか?
武具を装着した細い肩が、すっと広がった。シュトクが、大きく息を吸ったのだ。そして次の瞬間、右手が剣の柄にかけられた。
マツバ姫は動かない。法衣の中に腕を収めたままだ。イノウから釘を刺されて以来、彼女は公の場で剣を佩くことをやめている。
人々が口を開け、あっ……と声にならない声をあげた。
シュトクの手元に、白刃が閃く。それを合図に、後ろに控えた兵士たちも、一斉に刀剣を抜いた。
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