第8章 愛し児へ

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 葬祭も四日目に入った。都の周辺では宮軍の各隊が喪旗を掲げて巡回し、人心の安定に努めている。指揮に当たっているムカワ・カウン将軍からの報告では、街に大きな混乱はないものの、小さな喧嘩や火事や泥棒騒ぎに民心の不安は表れているようだった。

 次なる王に誰を立てるべきか、いよいよ結論を出さなければならない局面となっていた。後継者の名が正式に宣言されるのは、五日間に及ぶ国葬の明くる日。つまり明後日だ。

 ところがこの期に及んでも、重臣たちの意見が割れて、未だ決着を見ていない。故人は結局、何も言い残すことなく、眠るように逝ってしまった。とすれば慣例に従うよりほかにないのだが、慣例にはいつの世も検討の余地が付き物である。

 重臣の半数以上が、今まさにこの都に向かっているはずの一の若君・シュトクを支持している。二十歳。もと東原とうげん城主で、四関しのせきの長官になって約一年。特別な功はないが、表立った落ち度もない。生活態度についてはよからぬ噂もあるが、何にしろ王の嫡男である。いざ即位すればそれなりの自覚も芽生えるであろうし、周りが補佐していけば問題はあるまいという、消極的ながら頑なな主張がなされた。

 残りの半数弱が、数日前に婿養子となったばかりの男を――つまりアモイを推している。二十四歳。マツバ姫と婚約して以降、非公式に西陵せいりょう城主の職務を引き継いでいた彼への評価は、領内では早くも確かなものとなっていた。ただ、都や東国では、彼の為人ひととなりや才覚は知れていない。何しろまだ四か月、正式に城主を継承してから、数日しか経っていないのだ。そしてあくまで養子であって、王との血のつながりはない。

 もっとも養子とは古来より、実子に継がせるのに都合が悪いときには最善の抜け道だ。だから揉めている。きな臭い関係にある隣国の太子が滞在している、この都で。

 長引かせるわけにいかないのは、イノウが充分に承知しているはずだ。当事者であるアモイは、議論の外にいる。会議が行われている王宮本殿とは別棟にある祭殿で、彼はまだ現れない故人の嫡男に代わり、葬祭を取り仕切っていた。

 真正面に設えられた祭壇には棺が据えられて、おびただしい香が焚かれている。神官たちがその前で、単調な祈祷と儀礼的な所作を延々と続けている。

 さらに手前には紺の法衣を頭からかぶった人々が正座して、ひたすら祈りを捧げている。故人の血縁者のうち女や成人前の少年は、公の場では誰とも口も利かずに弔いをする慣わしがある。紺色の群れの中にはマツバ姫もテイネの御方おんかたも交じっているはずだが、遠目にはわからない。

 ハルは無論、成人である。だから法衣ではなく、一城の主にふさわしい立派な喪服を着せられて、祭壇近くに席を用意されていた。もちろん、じっとそこに座っていることはできず、飾られた花を触りに行ったり、次々とやってくる弔問者の間をうろうろしたり、しまいにはうたた寝をしたりといったありさまだった。

「あれは危ない。起こして差し上げてはいかが」

 アモイの横に来て、そっと耳打ちしたのはミヤノだ。ハルが儀礼用の蝋燭のそばで寝入っているのを、気にかけているようだ。

 そう思うならば、なぜ自分で声をかけないのか——。苛立ちをこらえて、「しばらく、別室でお休みいただいたほうがよろしいかもしれません」と相づちを打つ。

 そもそも宮軍の総督であるからには、率先して喪旗隊の指揮を執るべき立場のはずだ。それをムカワ将軍に任せ、自分は儀礼の場に出るのが仕事だと心得ている。もっとも適性からすればまんざら間違った配役とも言えないのだが、やはり釈然としないものがあった。

 気の利いた助言をして満足したとでもいうように、ミヤノは鷹揚に頷いて席に戻っていく。アモイは顔色を変えないようにして、ハルの世話を頼めそうな小者がいないかと周りを見回した。

 そこへちょうど官吏が一人、近づいてきた。御家老がお呼びです、と言うので、その者に義弟を託して斎場を離れた。

 長時間に及ぶ本殿での会議は、休憩に入ったようだ。控えの間の長椅子に腰かけたイノウの顔色にも、さすがに疲れが見える。しかしねぎらいの挨拶もそこそこに、老人は懐から一枚の薄紙を取り出し、アモイに差し出した。

「これは……」

「御剣の柄に、巻きこまれておった」

「剣。祝言の前に、陛下がご老公に託された、あの?」

 イノウは頷いた。西陵せいりょう城での披露宴が済むまでの名代の証として預かった、黄金造りの剣。もはや授けた本人に返上することは叶わない。とすれば王位継承者に返すことになるが、それは果たして誰になるのか。案じながら剣を眺めていたときに、老人はふと直感めいたものを覚えたのだという。

「それで御剣を子細に検めてみたら、これが出てきたというわけですか」

 薄紙の書面に目を落としながら、アモイは尋ねた。

「……陛下の、ご遺書が」

「これから姫君や御方さまにもご覧いただくが、わしの見るかぎり、偽物とは思えぬ。ひどく弱々しき筆跡ではあるが、紛うかたなき陛下のおじゃ。それに何より、隠されていた場所がな」

「御方さまやシバの仕業であれば、剣の柄などに隠しはしない、ということですか」

「それもあるが……」

「他に何か、心当たりが?」

「実はわしがまだ其許そこもとほど若かったころ、陛下の五歳詣の供を仰せつかったことがあった。その折、大社の巫女から授かった護符をいかようにして持ち歩けばよいかとご下問を受けたのじゃ。肌身離さぬようにと言われたが、袖や懐に入れておいたのでは着替えるうちにくしてしまう、とな。わしは答えた。若さまは王家の男子おのこなれば、片時も離さずに剣を携え、その柄に巻きこんでおかれるがよろしゅうございましょう、と」

 そのやりとりは、まだ太子であった少年ウリュウ・タイセイと若かりしイノウだけの内緒話であったという。

 あの日、あまりにも唐突に、病室に飾り置かれていた剣を名代の証として貸与すると言いだした王。柄の中の遺書を、イノウに託したとしか考えられない。毎日のようにシバがそば近く侍っている中で、覚られずにそれをしたためるのも、注意が要ったことだろう。

 まして病身ともなれば、記された言葉がごく短文であるのは当然とも言える。残された者にできるのは、その簡潔な遺志を忠実に遂行することだけだ。

 しかし──この遺言は。

「御方さまは、お喜びになるでしょうね」

 せいぜい平静を装って、アモイはそう言った。老人は節の目立つ手を、彼の肩に載せた。

──王位継承は、厳に御大法の定めに従うべし。

 遺書にはそれだけが記されていた。

 大法とは、山峡国の黎明期に、初代国王ウリュウ・ソウウンが定めた家法集である。読み書きの教本に使われているので、文面は士分なら子どもでも知っている。が、現在では生きた法というよりも、教養として身につけるべき古文とでもいうべきものである。

 その大法五十条の中に、一家の跡取りをどのような順で決めるべきかを記した条文がある。時代を反映してか、徹底した血統主義に基づいており、その基準に従うなら養子の継承順位はあらゆる血縁者の後になる。つまり王と血のつながりを持たないアモイは、端からシュトクと争う立場にはないということだ。それどころか、ハルにすら遠く及ばない。

 テイネの御方にとっては、まったく都合のよい遺書である。

 甘い父とばかり見られていた王であったが、最後の最後で愛娘の意をしりぞけたか。それはそれで、よいのかもしれない。しかし、真意はどこにあるのだろう。嫡男のシュトクを後継者に選んで不毛な跡目争いを避けたとして、その後のことは考えていたのだろうか。

 アモイは唇を噛んだが、さすがに故人の遺志を握りつぶすことはできなかった。

「かくなる上は、名を捨てて実を取ろうぞ」

 諭すように、イノウは言う。

「一の若君をひとまず立てて、其許も姫と共にこの王宮みやに残れ。そうして御方の専横を抑え、国の乱れを防ぐのじゃ。美浜の脅威に備えるには、他に手はあるまい。その先のことは、追い追い策を講じることとしよう」

「どうやら、それしかないようですね」

 老人の正論に力なく応じたとき、廊下に人の気配がした。

「ご無礼申す。我が君はおられましょうか?」

 聞き覚えのある声だ。イノウが遺書を懐にしまったのを確認し、入れ、と命じた。

「お話中でしたか」

 扉を開けて姿を現したのは、ものものしい武具を身につけたタカス・ルイだ。

「どうした、タカス。ムカワ将軍の応援はよいのか」

「その将軍からのご伝言を申し上げに参りました。四関の若君、今は都の東に位置する峠の手前にあり、今夜にもご到着の見込みとのことです」

「そうか、間に合ったか。それは何よりだ」

 もっと早くに着いてほしかったというのが正直なところだが、それを期待できる男ならばここまで議論は長引いていない。しかしともあれ、故人の遺族がそろうことは、葬祭をつつがなく完結するために重要だ。まして後継者に指名される男なら、この先の儀礼を司り、自らの立場を示してもらわなければならない。

 イノウも同じことを考えているのだろう、複雑ながらも安堵した面持ちを見せた。

「ところが……。そうとばかりも言えません」

 凛々しい眉の間に皺を寄せて、タカスが続けた。

「どういうことだ」

「実は若君、四関に配備されている兵の大半を引き連れておいでです」

「何?」

「大軍を誇示するかのようにゆるゆると東国を横断するさま、まるでこの都に攻め寄せるかのようだと、民衆も噂しているようです。また都の外縁でとらえた密偵らしき男あり、若君の補佐官よりテイネの御方への密書を携えておりました。今の四関はもぬけの殻同然ゆえ、至急、救援をと願い出る内容でした」

 アモイとイノウは、そろって言葉を失った。一体何を思って、そのような大軍を引き連れてきたのか。ただでさえ民心が不安になりがちなこの状況で、国境の砦を空にしてまで。

「事情は、ご本人にただすよりほかにあるまい。まず急ぐべきは、四関に兵を補うことじゃな」

 渋面の老人が分別をつけ、アモイも同意した。

「東原の城から、一軍を派遣してもらいましょう。しかし急のことゆえ、手配に時間がかかるかもしれない。タカス、おまえ、喪旗隊を離れられるか。おまえの騎馬隊なら、明日中には四関に入れるだろう」

「はっ。ムカワ将軍も同じ考えでいらっしゃいました。お許しがいただければ、すぐに発てるよう準備は整っております」

「頼む。援軍が着くまで、砦を固めていてくれ」

 考えうるかぎり、最も現実的な選択だった。タカスは二人に対して折り目正しい礼をすると、素早く踵を返して立ち去った。

「小気味がよいのう。西の城の若い衆は」

 イノウは目を細めてつぶやき、これを潮に本殿へと戻っていった。

 アモイは少しの間、その場に残って思案した。それから西陵城主別邸に遣いを出し、タカスの代わりに喪旗隊の応援に向かうよう、テシカガに指示した。目的不明の大軍が都を目指している以上、人手は少しでも多いほうがいい。戦はともかく見廻りぐらいならば、彼とて何かの役に立つはずだ。

 さすがに、都を焼くような暴挙に出るとは思えない。王位継承者となることがほぼ確定したシュトクには、叛乱を起こす理由がないからだ。

 ただこの場へ姿を現して、故人の前にひざまずいて、遺族として悲しんでみせさえすれば。そして万民の前に立ち、故人の遺志を継ぐと宣言さえすれば。そうすればアモイは、行きがかり上預かった権限のすべてを、彼に差し出すほかにない。

 辺境に追いやられていた一の若君が、今、ついに王として都に凱旋する。今回の行軍は、その権勢を誇示するための浅はかな見栄に過ぎないのだろう。この時点で、アモイはそう推察していた。

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