7-5

 東南の露台へ戻ると、崖下に集う灯火の数はさらに増え、昼のような明るさだった。

 正規兵たちがまた恐慌を起こしては厄介なので、彼らにはその景色を見せないことにした。前線には命知らずの同志ばかりを配置して、他は後詰めに回した。

 バンは一人、露台の上に組まれた櫓に登り、黙って腕を組んでいた。補佐官から剥ぎ取った具足を身につけ、腰には瓢箪の代わりに剣を帯びている。いつしか寒さを忘れ、外套は脱ぎ捨てていた。

「あのおっさん、地下牢にぶちこんどいたぜ」

 同志の一人が報告にやってきた。

「おう、ご苦労だったな」

「ついでに足の一本でも、折ってやろうかと思ったんだけどな。あんたが手荒なことをするなって言うからよ」

「そんなのはいつだってできるじゃねえか。それより、こっちだ」

 そう言われて、同志は崖下の火の海を見やる。山賊上がりの荒くれ者も、さすがにこれほどの事態には慣れない様子で、張りつめた横顔だ。

「援軍が来るってのは、本当なのかよ?」

 少し声を低めて、同志は聞いてきた。

「あん? 援軍?」

「さっき、連中の前で、言ってたじゃねえか」

「あれくらいのハッタリがかませなけりゃ、でかい仕事は回ってこねえよ」

「そんなこったろうと思ったぜ。けど、どうするんだ。これっぽっちの頭数で、あの大軍を防げるのかよ」

「一か八か、やってみるさ」

「大博打だな」

「悪い賭けじゃねえ。当たれば一生、食うもんには困らねえで済む。当たらなけりゃ、まあ、トンズラすりゃあいいだけだ」

「それなんだけどよ、バン。俺らがこの城を守り切ったとして、一生食えるほどの褒美をくれるってえのは、一体、どこの誰なんだ」

「まあ、そいつは、守りきれたら教えてやるさ」

 バンはにやにやと笑った。その顔を見て、同志は追及するのをあきらめたらしく、話題を変えた。

「さっき城ん中で、妙なもんを見たんだけどよ」

「何だ」

 と聞いてみれば、この男も、ふとした拍子に長官の居室をのぞき見たのだという。薄明かりの下に死骸の散乱する、あの惨状を。

「何なんだよ、あれは。誰がやったんだ」

「俺じゃねえ」

「そんなのはわかってる。あれか、噂のイカれた若君か」

「さあな」

 吐き捨てるように、バンは答えた。

「城を乗っ取りゃあ、いい女と楽しめると思ってたのによ。あれじゃあな」

「そいつはあきらめるんだな。今度の仕事は、雇い主の注文がうるせえんだ。この城にあるものは何もかも、そっくりそのまま渡してやらなけりゃ具合が悪いのさ」

「死人もかよ」

「あれは、後で誰かに埋めさせる。だけど、今はそれどころじゃねえ」

「そりゃそうだ」

 同志はまた、下に目をやった。

 露台では別の仲間たちが、大きなかなえを運んでいる。正規兵に手伝わせながら、矢束や石ころを抱えてくる者もいる。城中から、使えそうな武器をありったけ持ってくるように、指示しておいたのだった。

 いいか、よく聞けよ、と、バンは櫓の上から怒鳴った。もし敵が総攻撃を仕掛けてきたら、まずは矢だ。敵陣に向かって、弓といしゆみで矢の雨を降らせる。当たるかどうかは気にしなくていい、とにかく向こうの出鼻をくじくことだ。それを切り抜けて崖まで迫ってきた敵兵には、石を投げ落とす。原始的なようだが、山賊上がりの仲間たちは要領がつかめているから、これでおおかたは撃退できるはずだ。

 万が一、敵が崖を登りきって城壁の間際まで来た場合は、たった今運んできた鼎が役に立つ。この鼎に大量の油を煮ておいて、相手の顔に柄杓でぶちまけてやるのだ。

「そうやってりゃ、この門の上まで登ってこられるやつなんていやしねえさ。まあ、もしいたとしても、こいつが黙っちゃいねえがな」

 と、バンは腰に帯びた剣をつかんだ。

「よし、手順はわかったろ。さっそく取りかかってくれ。下の役人どもも使ってやれよ。じっとさせておくと、また臆病風を吹かすからな」

 かくして、いくつもの鼎に油が煮られ、弩に矢が張られ、城中の石という石が運び上げられた。仲間たちはよく動く。屈服した正規兵たちも、意外と素直に指示に従っている。バンの言ったとおり、何もしないでいると不安になるのだろう。

 バンは櫓の正面に立って、また腕を組んだ。慌ただしく準備を進める男たちの足音を背に、灯火の群を見下ろす。

 仲間たちの前では大口をたたいたものの、これほどの兵力で総攻撃をかけられたら、守りきれない。内心では、そう思っていた。矢と石ころと煮え油で、手こずらせることくらいはできるかもしれない。しかし倒しても倒しても次が来るのでは、いずれは人手のないこちらが不利になる。そうなれば腰抜けの役人どもは逃げだすだろうし、同志たちにしたところで、この城に命まで懸ける気もあるまい。敵兵の一人が城壁を登りきった時点で、あっけなく関は落ちるだろう。

 ただしそれは、相手が本気で攻めてくればの話だ。だが、美浜みはま軍は本当に、そうするつもりなのだろうか。

 何とかいう名の知れた将軍が、使者として都に滞在していると聞いている。西の姫の結婚祝いに来て、そのまま国王の葬祭に参列しているという話だ。その使者からの手紙が故国に何かを伝え、急な出陣が行われた。

 もしも今、両国が戦になったら、都にいるその男とやらはどうなる。人質になるか、殺されるか、いずれにしてもただでは済まない。わざわざそんな折を選んで、攻撃を仕掛けるものだろうか。あるいは将軍というのは偽りで、身代わりを捨て駒として送りこんできたのか。それもまた、無駄に手が込みすぎている気がするが──。

「うん? 何だ、ありゃ?」

 考えあぐねて視線を泳がせた際に、ふと目を留めた。宙にほのかな明かりが点り、若い女の顔が浮かんでいる。

 今まで気づかなかったが、城館の屋根の頂上付近に、小さな窓が開いていた。角度からして、地面や露台に立っている者の視界には入らない。この櫓に登らなければ、見えない位置だ。

 屋根裏か、とバンは見当をつける。その窓から、燭台を携えた女が顔を出しているのだった。

「バン、どこへ行くんだ、こんなときに?」

「すぐ戻る」

 櫓から下り、露台と城館をつなぐ通路を大股で渡る。兵は門に集まり、使用人の類は息を潜めているので、館内はひっそりとしていた。

 記憶をたどって、下見をしたときに見つけた物置部屋へ向かう。目当ての扉を開くと、古びた調度や道具類が雑然と積まれている。その上の天井に、一箇所だけ微妙に色の違う部分がある。屋根裏への昇り口を塞いでいる蓋だろうと、察しはついた。

 梯子がないので、辺りにある箱やら椅子やらを積み上げて、よじ登った。蓋は薄い木の板一枚で、両手を当てればたやすく持ち上がる。そのまま横にずらし、開かれた昇り口から天井裏をのぞきこんだ。

 と突然、バンの目の前に、尖った矛先が突きつけられる。両側から、交差するように二本。

 とっさに左右の手で矛の柄をつかみ、力任せにぐいと引いた。あっ、と気の抜けた声がする。見上げた先には二人の女が立っていて、それぞれ一本ずつ矛を握り、下階からの闖入者に差し向けているのだった。

 身なりからして、貴人の腰元といったところだろう。地味だが質のよい上衣うえぎぬたすきでくくり、袴姿に鉢巻をしていた。勇ましい姿だが、顔は恐怖で引きつっている。体の震えが、矛先にも伝わってきた。

 つかんだ柄を押し返すように放ると、女たちはよろけて後ろへ退いた。その間にバンは屋根裏へ上がりこみ、周りを見回した。

 二人分の寝台と小さな机、火鉢と行灯、葛籠つづらかめの類がいくつか置かれている。その奥に衝立を並べて仕切った空間があり、冷たい空気の流れてくるのが感じられた。

 そちらへ向かって歩きだそうとすると、女の片方が慌てて目の前に立ちはだかる。真っ青な顔をしてまた矛を構え、「姫さまには、指一本触れさせぬ」と消え入りそうな声で言った。

「時間がねえんだ」

 バンは腰元を軽々と脇へ押しやり、衝立の間から奥をのぞいた。

 腰元のものよりは立派な、しかし貴人のそれにしては粗末な寝台と、鏡台と小さな箪笥。そして窓辺に籐の椅子があり、若い女が一人座って、こちらに背中を向けていた。緩く波打つ髪が、腰までを覆っている。

「キサラさま……!」

 腰元が叫ぶ。だが、女は外を見たまま動かない。

「あんたが、口の利けないっていう姫さまかい」

 無遠慮に呼びかけると、ようやく女が振り向いた。傍らに置かれた燭台が、その白磁のような頬を照らし出す。人形みてえな顔だな、とバンは思った。

「いいか、一度しか言わねえぞ。そこの灯りを消して、窓を閉めて、一切、外に顔を見せるな。野郎どもがあんたに気づいたら、何をされても責任は持てねえ。こいつら二人で防ぎきれるもんじゃねえことぐらい、わかるだろ」

 そこまで一気にまくしたてた。キサラは聞いているのかいないのか、無表情のまま丸い目でバンの顔を見上げている。

 ちっ、と舌打ちをして、バンは左右見回した。並んでいる衝立のうち、丈夫そうな一枚を選んで片手でひょいと持ち上げ、身を翻す。呆然としている腰元たちの間を通り抜け、先ほど自分が上がってきた穴のそばへ、衝立を置いた。

「俺が出てったら、こいつを蓋の上から打ちつけておけ。釘ぐれえ、どっかから出てくるだろ。いいか、何日かかるかわからねえが、騒ぎが収まるまでは、ここでじっとしてるんだ。わかったか」

 二人のうち、年増のほうの女に念を押した。窪沼くぼぬまにいる妻に、どことなく面差しが似ている気がした。相手はわけがわからないといった様子で、しかしおずおずと頷いた。

 それを確認すると、こうしちゃいられねえ、とバンは穴から飛び下りた。物置部屋に積み上げた箱やら椅子やらが、けたたましい騒音と共に崩れ落ちる。あいたたた、と腰をさすりながら立ち上がると、天井から見下ろす中年女と目が合った。にやりと笑ってみせて、そのまま部屋を後にした。

 物置部屋の扉を閉めたところで、ふと、苦笑が浮かんだ。

 どうも変だ。西の姫に――あの童連れの旅の剣士に見こまれて以来、調子が狂いっぱなしだ。自分らしくない。

 しかしこの際、などにこだわってはいられない。美浜の不可解な進軍のおかげで、計画は完全に覆されてしまった。こうなればなりふりかまわず、出たとこ勝負で切り抜けるしかないだろう。

「奴らめ、来るなら来てみろ。目にもの見せてやる」

 大きな独り言を放つと、あの灯火の大軍が待ち受ける露台へと戻るため、廊下を駆けだした。

 いずれ、危険を承知で引き受けた仕事だ。小さな危険も大きな危険も、さして違いはない。度胸と腕っぷしとハッタリだけで、今まで生きてきたのだ。誰が相手でも、それは変わらない。そう、どれほどの強敵を前にしても、自分はあの腰抜けの役人どものようにみっともなく慌てふためいたりはしない──。

 バンの足が、連絡通路の途中で、ぴたりと止まった。 

 露台の上から、男たちの喧騒が聞こえてくる。もっと人手を寄越せだの、薪が足りないだのと怒鳴り合っている。その緊迫が、急速に現実感を失っていく。

 ふっ、と、バンの口から息が漏れた。それはすぐに、弾けるような大笑いになった。その声を耳にした何人かの仲間たちが、怪訝そうな顔で辺りを見回す。

「へっ、なるほどな」

 バンは独りつぶやくと、急に笑いやめて、また足を動かし始めた。通路を渡り終え、露台へ出る。男たちが忙しく立ち回っている中に分け入っていくと、手近な同志に声をかけた。

「手は空いたか?」

「空くわけねえだろ、油を煮るのにどれだけ薪がいると思ってるんだ。どうした、急な仕事か?」

「いや。手が空いてからでいい。どっかに酒蔵があったろ」

「そりゃあるだろうよ。何だよ、一杯やろうってのか?」

「ああ。ぱあっと飲もうぜ」

 冗談で言ったところへ意外な答えが返ってきたので、同志がきょとんとした顔をする。バンは笑いながら、相手の肩を勢いよくたたいた。

「皆に伝えろ。武器の準備が済んだら、あの灯りを肴に酒盛りだ。だから早いところ、済ませちまえってな」

 そう言うと再び櫓に登り、崖下に波打つ火の海を見下ろした。一面が灯明で埋め尽くされ、整然として、壮観でもあった。手すりから身を乗り出して、口笛を吹く。

──博打はまだ負けるときもあるが、ハッタリなら負けねえぜ。

 とぐろを巻く火蛇に向かって、胸の内で毒づいた。

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