7-4

 人の下に付くのに向かない、というのは自覚している。が、西の姫の言う、人を率いる才がある、というのは本当かどうか。自分でも首をひねるところだ。

 とは言え、同志たちは皆、バンの合図を待っている。三十人足らずの浮浪者で城一つ乗っ取ろうという無謀な企てを仕切る以上は、姫の眼に賭けてみるよりほかにない。

 仲間たちは、ただの宿無しではなかった。ほとんどが脛に傷を持つ男たちである。危険な任務を前にして、どの顔も気が昂っている。あまり待たせると、勝手に暴動を起こさないとも限らない。

 行灯の照らすほの暗い廊下を、バンは進んでいた。夜半の城中は人気がなく、幽霊屋敷のようだ。

 見張りや見廻りはどうやら城館の外のみで、館内の警備は手薄だ。今、彼の歩いている箇所は、長官の私的な居住域である。用のない者は立ち入ってはならないと、登用された際に注意を受けた。が、こうして誰にも見咎められないところを見ると、非番の兵士もそろそろ寝静まった時分なのだろう。

 補佐官の執務室も、灯りが消えてから随分経つ。そろそろ頃合だろう。

 偵察を切り上げようと足を止めた瞬間、ふと、妙な臭いに気づいた。漂ってくる空気の流れをたどっていくと、角部屋の木の扉が、半分ほど開いている。

 足音を忍ばせて、バンは扉に近づいた。声は聞こえない。壁に張りつくようにして、中の様子をのぞき見た。

 長官シュトクの常居つねいの間だと、見当をつける。足元から奥へ敷きつめられた、綾目の美しい織物。天蓋から吊り下がった紗布、それにいくつかの灯篭。いずれもすでに燃え尽きて、天井近くの小窓から薄明かりが差しているだけだ。

 酒と嗅ぎ煙草と、他にも何か混じり合った、強烈な刺激臭がする。

 目を凝らしてみると、七、八人ばかりの人影が見えた。足を広げたあられもない姿で寝そべっている女。酒瓶を抱いて壁にもたれる、半裸の若い男。ひっくり返った煙草盆の横で、髪を乱して重なり合っている男女。四関しのせきの長官が、情人たちを侍らせて狂乱の宴に興じているという噂は、都でも聞いたことがある。

「こういう連中を飼うのに、税金を搾り取ってやがるわけか、くそっ」

 だが、何か妙だった。体を斜めにして、身を乗り出してみる。誰も動く気配がないのを見て取ると、意を決して部屋の中へ踏みこんだ。

 そこにいた情人たちは皆、屍だった。ある者は胸を、ある者は首を、斬られた形跡がある。重なり合った男女は、重なり合ったまま刺し貫かれたらしい。血痕は敷物の綾目に、新たな模様となって散りばめられていた。

 いつからこの状態だったのか。漂う腐敗臭からして、今日のものではないだろう。

 バンは裏返った煙草盆を蹴って、下に落ちていた紙片を拾った。誰かからの書簡のようだ。真ん中で破られ、握り潰された跡もある。窓明かりの下へ持っていって、文面を眺めてみたが、血痕が飛び散っていて、何が書かれているかよくわからなかった。そもそも文字を読むのは――書くのもだが――あまり得意ではない。

 しかし、宛名と差出人ぐらいは彼にも読み取れる。都にいる王妃テイネ・チャチャから、四関のウリュウ・シュトクへ。母から息子への手紙が、どうして破り捨てられたかは知れない。

 知る必要があるだろうか? いずれにせよ、この部屋にいる者は、作戦決行の妨げにはなりようがない。それがわかれば充分だ。

 紙片を放り出して、バンは部屋を出た。扉をきっちりと閉じ、廊下を大股で歩きだす。

 この館のどこかに長官の妻が残っているはずだが、と、不意に彼は思い出した。孕んだ子が流れてから、誰とも口を利かずに部屋に引きこもっているという話だが、その部屋がどこにあるのかは聞かされていない。その女は無事なのだろうかと、なぜか気になった。先ほどの惨状が、昂っている神経を変に刺激したのかもしれない。

 頭を振る。余計なことは、考えないほうがいい。

 階段を昇り、城門の上に出た。四関には二方向に門があり、北西を向いた赤銅の門は簡素な造りだが、東南すなわち海側の鉄門はさすがにいかめしい。屋上は兵を配置できるように、やや広目の露台となっており、さらにいしゆみなどを備えた櫓も立っている。もっとも昼間に近くで見たところ、弩の手入れは充分とは言えず、実戦で役に立つかどうかはわからなかった。

 空に星は出ていない。露台にはかがり火が焚かれて、当番の見張り兵たちが立っている。

 見張りのうちの何人かは、同志だ。そのほかは、バンの合図と同時に、背後から襲われる運命にある。そうとも知らず欠伸をしたり、中には城壁にもたれて居眠りをしている者もある。腕の立ちそうな兵には、予め眠り薬を混ぜた酒を飲ませておいたのだ。

「細工は粒々、ってとこだな」

 昼間に物見塔の下ですれ違った巨躯の同志が、かがり火のそばにいる。あのかがり火を櫓の上で大きく回し、それから城門の内側へ投げ落とせば、それが合図になる。

 城門の近辺は、最も警備兵が多い。そこへ火を落とし、同時に小さな油壺をいくつか投げつける。炎はすぐに勢いよく燃え上がる、これは過去に何度も試した手だから、勘がつかめていた。訓練の行き届いていない役人が、どのような反応をするかも、おおかた見当がつく。度肝を抜かれて立ちすくむか、慌てふためいて右往左往するか。その隙に一斉に襲いかかれば、門番は何とかなるだろう。露台の見張りも、異変に気づいて門下をのぞきこんだところを狙えば、征圧はそれほど難しくないはずだ。

 問題は、その後だ。知らせを受けた補佐官が起き出してきて指示を出し始めたなら、所詮こちらは少数、形勢は逆転するだろう。

 つまり指揮を執る者が到着する前に、立て直しが不可能なほどに城内を混乱させるのが、理想の運びだ。運びが悪ければ、補佐官を殺すしかない。

 いっそ先にってしまおうか、とも考える。今、寝所に行って首を掻いてしまえば、手っ取り早い。しかし、「できうるかぎり、人を殺すな」と西の姫に言い添えられている。真の敵は関の向こうにいるのであって、城内にいるのは同じ国の民なのだ、と。

 役人が同国民、と言われても、バンにも仲間たちにも実感はない。だが何であれ引き受けた以上はきっちり注文どおりに仕上げてやろうという、ちょっとした意地もある。

 バンはかがり火に歩み寄った。巨躯の同志が、冬だというのに外套を脱いで、猪のように目を輝かせている。バンの胸にも、久しぶりの昂揚感が迫り上がってきた。パチパチと音を立てている木切れの端をつかんで、炎の中から引き抜こうとした。

 曇った夜空の片隅に、小さく星が瞬いた気がしたのは、そのときだった。

「――?」

 城外の闇に目を凝らした。光の点が見える。それも一つではない。いくつも連なるように並んで、動いている。星にしては、低すぎる位置に。

「何だ、あれ?」

 同志も不審に思ったようだ。欠伸をしていた別の見張りたちも、露台の上から身を乗り出した。光の列は、確かに地上を移動している。

 距離感がつかめないものの、美浜みはまの領内であることは間違いなかった。昼間に見下ろした風景を思い起こす。四関の下は、大風水おおかざみが流れ下って削った峡谷になっている。谷底は下流に向けて次第に広がり、やがて崖が果てて平地になる、その境目のあたりに、隣国の砦があった。まさにその方角から、灯火が列をなして近づいてくる。

「奴ら、どういうつもりだ……」

 バンはつぶやいた。松明を掲げた隊列の規模の大きさが、だんだんと明らかになってくる。遠いうちはかすかに見えた光も、いつしかおびただしい数の灯火であると知れた。

 大軍だ。

 灯火の波は、見る見るうちに押し寄せてきた。城門前の崖下まで来て、整然と隊列を組み始める。そして後続の兵を待つ。光の列は途絶えず、延々と続いた。まるで巣窟から這い出した火蛇が、この城を呑もうと牙を剥いているかのようだ。

 そのころにはもう、四関中の人々が城外の異変に気づいて、起き出していた。バンのいる露台へも、多数の兵卒が集まってきた。大変な騒ぎになる。ほとんどの者は恐慌を来たして、わけのわからないことを叫んでいた。何だ、何が起こったと、耳元で怒鳴られても答えようがない。

 どこからか、わあっ、と喚声が上がった。北西側の城門のほうだ。仲間の一人が息せき切って駆け寄ってきて、「おい、来てくれ」と言う。人並みを押しのけて、バンは露台を走った。

 館を取り囲む城壁の上はすべて露台になっているから、地面に降り立つことなく反対側の城門まで移動できる。騒ぎは、まさにその赤銅の門の前で起こっていた。露台から見下ろすと、ひしめく兵士たちが蛆虫の群れのように見える。開けろ、門を開けろ、と口々にわめく声。

 門の前には例の補佐官が立って、何人かの部下と共に、群衆を必死で押しとどめようとしていた。寝ているところを慌てて出てきたのか、夜着の上に鎧をつけたその将は、兜を忘れていた。薄い髪が乱れ、顔面は蒼白だ。その声は兵たちの怒号にかき消され、露台の上には届かなかった。

「火だ」

 バンは叫んだ。後を追ってきた巨躯の同志が、「えっ」と聞き返した。

「あの腰抜けども、城を投げ出す気だ。冗談じゃねえ。あの大軍を、俺らだけに押しつけられてたまるか」

 近くのかがり火に駆け寄り、木切れではなく台座ごと持ち上げて、門下へ放り投げる。それは火の粉を散らしながら補佐官の足元に落ち、門扉を赤く照らし出した。

「それ、油だ!」

 言いながら、懐に仕込んだ油壺を投げこむ。壺は扉に当たって砕け、油が弾け飛んだ。瞬時、炎が大きく燃え上がった。

 それを見て近くにいた同志たちも、次々と壺を投げつけた。門扉の表面が火に包まれ、群衆は悲鳴をあげて後ずさる。

「水を持ってこい!」

 バンは露台の同志に怒鳴ると、そのまま門下の石畳に飛び降りた。炎に気を取られている補佐官の背後へ回りこみ、左腕で首を固める。

「へし折られたくなかったら、動くなよ」

 罠の中の鼠のようにもがいていた補佐官は、観念したようにおとなしくなった。

 兵らは先ほどまでの喧騒が嘘のように、黙って立ち尽くしている。燃える城門を背にした大男の鬼のような形相に、身がすくんでしまったという体である。

「よう、兄弟。ちょいと耳を貸してもらうぜ」

 バンは割れ鐘のような声で、群衆に向かって呼ばわった。役人に向かって、兄弟などという言葉を吐くとは、自身でも想像だにしなかったことだ。

「何のつもりか知らねえが、美浜みはまの兵隊が、崖下に集まってるらしい。まさかこんな時に、城を捨てて逃げるなんてやつはいねえだろうな?」

 誰も答えない。だが、炎に照らされた兵士たちの顔は恐怖に強張って、まだまともな思考を取り戻しているようには見えなかった。

「ここは大した砦だぜ。がっちり門を閉じてりゃ、おいそれと攻め落とせるもんじゃねえ。だけど万が一、この城が抜かれたら、一巻の終わりだ。逃げたって、どうせ追撃されて、皆殺しにされる。到底、生き延びられやしねえだろうよ」

 桶を抱えた仲間が、駆けつけてきた。燃え盛る炎に、次々と水をかけ始める。群衆が開門するのを防いでも、門そのものが焼失してしまったのではどうしようもない。幸い、赤銅の扉も石造りの柱も、油のかかった表面が焼けただけで大事には至らない。

 炎が小さくなっていくのを見て、群衆も少しは平静を取り戻したようだ。「俺たちに、一体どうしろってんだ」と、問いかける声が上がった。見れば、昼間に物見塔で酒を分け合った、あの兵士だった。

「さっき言ったろ。門を閉じて、守りを固めるのさ」

「あんな大軍を防げるなんて、本気で思ってるのか」

「それを言うなら、こっちこそおまえらに訊きてえな。この城は一体、何のために造られたんだ。海のやつらが攻めてくるのを、防ぐためじゃねえのか」

 群衆は再び黙った。

 彼らはただ、命が惜しいだけなのだ。国境警備の仕事に就いているのも、国を思ってのことではなく、生計のため、あるいは酒を飲んで毎日を暮らすための方便に過ぎない。

 それはバン自身の送ってきた生き方と、ほとんど違いがないはずだ。それなのに、なぜだか妙に腹が立つ。

「じきに援軍が来る」

 バンは言い放った。その一言が、兵たちの顔色に変化をもたらした。城内に、ざわめきが広がる。

「援軍だって?」

「それは確かなのか」

「どこから来るんだ」

「兵の数は。あの大軍に太刀打ちできるのか?」

 矢継ぎ早に質問が出た。バンはそれに一々答えることはせず、

「とにかく一日か二日、たせりゃ何とかなる。請け合おうじゃねえか。俺だって城と心中するなんざまっぴらだ、勝算がなけりゃこんなこと言いやしねえよ」

 それから、ふと思い出したように、左腕で締めつけていた補佐官の首を解放した。中年男は石畳の上に転がり落ちて、咳きこんだ。

「あんたは自由にするわけにはいかねえな。だからって連れて歩くのも邪魔くせえから、まあ、豚箱にでも入っててもらおうか」

 仲間たちが何人か出てきて、男の腕を取って立ち上がらせる。腰から剣を奪い、鎧も剥ぎ取ると、夜着だけの寒々しい姿になった。汗に濡れた薄い髪の毛が額に張りついたみすぼらしい顔で、初めて賊の首領を正面から見る。

 もはや刃向かう気はないようだ。ただ疲れ果てた生気のない声で、ぼそぼそと尋ねた。

「おまえは、何者だ……誰の命を受けて来た」

 バンは何と答えるか少し迷って、

「別に、誰の命でもねえ。ちょいと魔が差したのさ」

 肩をすくめて、笑って見せた。

 

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